どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

泣いたり笑ったり

2015年09月07日 | 日記
本日の片づけ・・・泣いたり笑ったり

これ 実は8日に書いている

昨夜 食後に眠くなってしまったので 数文字だけ「新規投稿」に書いておいて閉じたのだ

「現在日時をセット」しなければ 昨日の日にちで日記をあげることができるので インチキをしているわけ


片付けをしていたら 「○○(母の名前)を偲んで 思い出ぽろぽろ」と書いた箱を見つけた

そこには 手紙やら写真やらと一緒に 例の私の手作りの数々のカードやら祝儀袋やらが沢山詰まっていて そうしたら 父が 母の死後 私の出勤後に この家で一人 整理していたんだなと思ったら すごく悲しくなって どんな気持ちでそれをしたのか 人前で泣くような人では無かったけれど 人知れず涙も流したのだろうかなどと思ったら もう涙があふれてきて おそらく 両親の死後 こんなに涙が出たことは無かったかもと思うほどで

思い出話をしながら父と一緒にやっていたら悲しい思いをさせなかったんじゃないかとか 確かにあの頃はまだまだ仕事が忙しくて 私だって週末は出かけることもなく家事をして父と食事もしたけれど でも 父の喪失感をどこまで理解してあげられたかと考えると 胸が締め付けられるようで 

こうして書いている今でも涙が滲むけれど・・・・

ばかやろう 二人とも死んじゃって 今 やっとこうして暇な時間が出来たのに って べそをかきながら捨てた


気を取り直して午後からは自分の持ち物の整理も始めた

領収書もほとんどシュレッダーにかけ これから先は1年ごとに整理しようと誓った

そして 大きな封筒に手をかけた瞬間 あっ あれだ とすぐに分かった

実は私も 親からお年玉や子供の日 誕生日などの時に それなりに貰っていたのだ

ほとんど母が用意してくれていて 必ず 一言添えてあった

母は手術の後なかなか回復せず 私は父と二人三脚 自分の時間なんて全く取れないような生活が続いたために その翌年のものには 「何もしてあげられなくて・・」とか「色々ありがとう・・」「来年もお祝いさせてね」とか いつもの 元気でとか健康で といったものとは違った言葉が書いてあり また泣いた

同じ家に居ながら年賀状も送りあっていたのだが 母は暮に治療半ばにして退院したものだからほとんど寝たきりだったために 宛名は父の手によるものだったが 母は「思いがけない出来事に貴方の心の暖かさを一層感じまして、心を熱くさせて頂きました。ありがとう。」と書いてくれていた

また涙が出た


そして これはは絶対に捨てられるはずもなく 私は 新しい封筒に入れ直して仕舞った

なんだよ~ 親と同じことしてんじゃん 私

家系なのか遺伝なのか 似たもの親子なのか 親の因果が子に報い~~かぁ? 

そう思ったら おかしくなって笑った
コメント (8)
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