どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

おはよう!

2008年02月10日 | 日記
おはよう~

ちょいと千葉の温泉まで^^


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いとこ―続編というか是が本編

2008年02月10日 | 日記
いとこの事を考えるなんて滅多に無い事だ

おそらく 放りっぱなしになっている彼の年賀状のせいだと思う


私と同い年

決定的に違うのは 彼が日陰の身だったことだ


母の俗に言う腹違いの長兄には 妻以外の女性がいた

私は 記憶の中ではその家族に一度も会ったことが無い

彼女は私の小学校入学の祝いにと 文具と一緒に絵の具セットを贈ってきてくれた

それを深く覚えているのは それがそのまま3歳年上の姉のもとにいったからだ

クレヨンと色鉛筆の世界の私には(そして壁や襖に描くという子供だった) 目を見張るような代物だったのに

合理的な考えの母は 貴方にはまだ早いし姉には必要 別のものを買ってあげるからと

だが 私は長く根に持っていたのだよ

あの時絵の具セットを自分のものにしていたら ひょっとしたら画家になっていたかもしれないのに

あるいは 家中が私の落書きでイッパイだったかも


彼は 大人の話にだけ出てくる母の旧姓を名乗る少年だった

その彼が父親の強い志望で医学部に進んだことも その後大学の付属病院に勤務していたことも知っていた

もうとうの昔に無縁になった我が家に 何故毎年年賀状を送ってくるのか それが不思議でならない

(無縁になったのは 彼とは何も関係が無いのだが)

プリンターで打ち出したものでは無く 勿論印刷でもない彼の年賀状は なかなか達筆の干支の文字だったりするのだ

ふん かっこつけやがって なんて思ったりもしたものだ


今もって扱いに困る親宛の郵便物に 今日ふと目が留まった

PCで検索したら 見事にひっかかった

今は ある病院の院長らしい

肩書きはどうでもよく ただどんな顔の人間なのか知りたかったのだ


髪の毛が無かった^^

父親は剛毛の持ち主なのに


実は この母の長兄には実子ができなかった

戦争の最中に 貰い子をした

それなのに外に女性を作り子供も 

なんという罪作りなことを

いや あれは彼の子供では無いかもしれない

そんな大人の話を耳にしたこともある



だが それもどうでもいい

人生の半ばを過ぎた彼の 初めて見る顔

恰幅の良さそうな 私と同じ年月を経た顔だった

一体どんな心境で人生を送ってきて そして今があるのか

素直に興味が湧いた


彼と会うことは 一生無いだろう

それにしても 人生って面白いと思う

それが不遜な言い方だとしたら 噛みしめる味のあるもの とでも言おうか
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする