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どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

同じ自由

2007年06月16日 | 日記
足跡を残して下さった方がいたので その方の日記を拝見したら(正確には日記のページじゃなかったが)

日記にコメント欄が無いというのは どういうものかという日記があった

だが 言わせて貰えばチョイト前までこんなものは無かったのだ

三十一文字では無いが この限られた文字数の足跡がお洒落でもあり粋でもあると思っている

ブログの成長で焦ったOCNのカフェが 慌てて設置したようなものだと私は思っている

足跡では不足で ミニメほどでは無いコメントを残すのには便利だと思われているのだろうが

それは 私は違うと思う

通い合う心は量ではなく質である


偏見かもしれないが 足跡が200を超えるような人の訪問はそっと退散する事にしている

色々な意味で 私とは相容れない人種だと判断するからである

その方の自由は十分認めます

こちらにも同じ自由は 充分にある


ある一つの梅雨の思い出

2007年06月16日 | 日記
昨夜は例の電話の後 過去が蘇ってなかなか寝付けなかった

梅雨の思い出は二つあるのだが そのうちの一つは母方の祖母の死である

この時のことは 此処に既に書いたことがあるのだが…

母方の一族とはある事情から 冠婚葬祭といった儀礼的な付き合いだけになっていた

それでも祖母は時折遊びに来てくれては 一週間程我が家に滞在してくれた

私達は勿論 父も歓待していたのを思い出す


その祖母がもう長くはなさそうだという事になり 私は初めて祖母の住む家へと行ったのだ

それは 実際には死期が迫っている事を本人に知らせるようなものだった

会う事も 会わない事も どちらにしても辛い事だった


それから少ししたある雨の激しい日 予備校から帰宅すると母の置手紙があり・・・

私は一度しか訪問した事の無いその家へ 記憶を辿りながら行ってしまった

祖母の旅立ちには間に合わなかった

既に集まっていたいとこ達の間で 私だけが感傷的であり浮いた存在だった

あの日の深い悲しみと疎外感にも似た感情は この時期になると一度は思い出す

19日

その日は もうすぐ


で もう一つはっていうと やはりその頃の事だ

これは雨降りの日にでも書くとしよう