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どこまでだって歩いていけるさ

2012年1月22日 それまでの日記を引き連れてOCN Cafeから移住。
新しい扉の向こうには何があるのだろうか。

蔵の町(川越)後編

2007年06月05日 | 日記
この町で見たかったものは 実はもう一つあった

日本聖公会川越基督教会だ

昨年 日光で見た聖公会の教会(ガーディナー作)の美しさが忘れられなかったからだ

子供の頃 綺麗なカードが貰えるというので 姉に付いて何やら得体の知れぬ場所に行った事がある

(内緒だが 幼い頃 姉に付いてよく遊びに行った

 大概がロクなものではなく…極めつけは路地物の苺を食べて…高価薬を飲むハメになった事か…

 だが 音に関しては常に先輩だった)  

姉の友達の家だったのだろうか

或る日突然 食事の時 回らぬ口でイェス様 イェス様と言い始めて驚いたとは父の話

それも数回で終わった宗教心の無い私ではあるが 神社仏閣にしろ教会にしろ 全てがそうでは無いが 

何となく厳かな気分になるのは嫌いじゃない

簡単な地図しか持って行かなかった私は あちこち見ながら漸く辿り着いた

一本の道を歩いていくとT字路にぶつかる

其処に それはあった

まるでその道が此処に到達するようにと誘っているかのようだ

日光のそれとかなり似てはいる

スレート葺き 塔屋があるのは同じだが 日光のそれが土地の石を使ったものだったのに対し こちらは煉瓦

今 写真を確認したがフランス積みだ

設計はウィリアム・ウィルソンという人らしい(なんか銀行のカードの見本みたいな名前だ)

恐らくは 宣教師だろう

施工は清水組とあるが これは今の清水建設の前身だろうか

丁度 午前中の礼拝が終わった頃だったのか 沢山の人が教会から出て来る処に出くわした

場違いな自分が侵入する事には いつも些かの抵抗を感じる

かなり年配の女性から こんにちは と声を掛けられた

ヴォーリズの病院でも同じ事があったのを思い出す

山登りをした時に声を掛け合うのに似ている

此処で出会った人は皆同胞 そんな感じなのだろう

慌てて こんにちは と答える

中に入ってみた 

その前に帽子を取る

なんとなく これが最大限の私の気持ちなのだ

ステンドグラスは無かった

誰も居なければ通路に寝そべって天井の梁を撮るところだが そうもいかない

宗教心に篤い者が 皆 優れた人格の持ち主だとは思っていない

宗教が 時には偏狭な精神を生むこともある

しかし 或る人は懺悔を 或る人は救いを求めて 或る人は心の平静を

それぞれの想いがあるのだろうと感じる

その想いと時の重さを その建物に感じた

もう充分と帰り際 また面白い建物を発見

全体の写真を撮るのには かなり引かないといけない

マンションの入り口に入って写真を撮っていたら そこの住人と出くわし 声を掛けられた

父より2歳若い人だった

中野生まれだという彼と少しおしゃべり

私を奥さんと呼ぶから 違う 違う 嫁にも行かずこんな事ばかりしてます なんて話しもした

勿体無い なんて言われた(此処 強調文!!)

こんな会話もまた 徘徊の愉しみの一つでもある

だから 徘徊は止められまへんなぁ~ と言う事で お次は暁齋の美術館へ~

蔵の町(川越)前編

2007年06月05日 | 日記
小江戸と呼ばれている川越と 河鍋暁齋の美術館に行くのが今回の徘徊の目的だ

相当早くに起きた私は やっぱり出かけようと決めて 残った家事を急いで片付けた

入梅前の晴天の日は最高 外に出てそう思った

川越は ここ数年(いや もっと前から)日帰りの旅として人気のある場所となっている

蔵の町としても有名だ

駅前から歩いて10分ほどだろうか

まず目をひくのは旧八十五銀行本店の建物だ

青銅葺きのドーム型塔屋と白煉瓦の洒落た建物だ

これが竣工された時はさぞかしハイカラだったことだろうと思う

大正時代や昭和初期の 規模としては小さいが味のある建築物も幾つか残っている

そして 蔵 蔵 蔵 

何でも明治26年の川越大火以降の事らしい

ブーフーウーのウーを見習ったということかな

煙草卸商の家が蔵造り資料館になっている

面白かったのは地下蔵で 僅か一坪ほどなのだがこれがなんと煉瓦積み

珍しいものだそうだ

ガラス越しに覗く

百年以上の凝縮された歴史が詰まっているかのようだ

実はこの敷地 周囲も煉瓦塀

よほど懲りたのだろうね

ところでこの店(屋号は「万丈」)も煙草が専売になるとやがて廃業となった

蔵の中には当時を偲ぶ縁の品もあって 専売になる以前の煙草商についても垣間見ることが出来る

あさひ だの 敷島 だの 話には聞いた事あったけどねぇ~

パッケージの意匠もそれぞれの煙草商の創作だったようだ

もう是だけで充分だが まだまだ!

時間もありません

続きはまた