Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

カマキン 寄せ書きにうるうる

2016年02月03日 08時40分39秒 | 日記


最終日に訪ねた。
鎌倉近代美術館

込むと嫌なので10時着を目標に家を出た。

久しぶりの鎌倉
小町通りは人がいっぱいでイライラした
早く美術館に行きたいんだけど
道を塞ぐカップルはゆったりだ。

少し曇り空。

ところで、日本美術における近代は
西洋美術のモダンとはだいぶ意味が違うように思う。

輸入された西洋美術にどう追いつくか
そして現在、未だにその延長にあるように思う。
何故、追いつかなくてはならないのか
いつまで追いかけなくてはならないのか。

懐かしく、古くて新しい日本の近代絵画たち。

中庭から空を仰ぐ
雲の切れ目から 蒼空がのぞき始めた。

主人のお目当ては絵画より喫茶
いつの間にか並んで席をゲットしていた。
喫茶《ピナコテカ》

喫茶内の壁画 田中岑《女の一生》1957は
軽やかに踊る身体、女性への慈しみ、柔らかい質感と色調で
店内をぬくもる素敵な壁画だが
男性から見たある種の女性像には、女性の立場から見ると
多少のズレを感じるし、これを女性が見ることによって女性像をすり込まれる
なんてことはないんだろうか?

とか、考えない考えない…



ロールケーキとサンドイッチ
ショップで山下菊二のコラージュ展のカタログを見つけて
有頂天になる!!


テラスから…

そして出口付近、
いきなり
胸を打たれた。

寄せ書き
美術館の様々な想い出がストレートに書かれてあった。

美術館は、ある人達の人生の中ではこんなに大切な場所になりうる。

「死んだ父と来た」という寄せ書きを見つけ
私もふと父のことを思い出した。





子供の頃、竹橋の国立近代美術館にはよく父に連れて行かれた。
音の出る立体作品があってそれが大好きだった。

今でも実は上野よりも竹橋の方が好きで
かなり落ち込んだ時はそこに行ってぼっとする
作品をながめていると
いつの間にか気持ちがすっかり切り替わる。


私にとっても美術館は特別な場所だったのだ。

寄せ書き1枚1枚の気持ちが痛いほど伝わり
なんだかうるうるきた。
そんな気持ちのまま美術館を出ると、友人にばったり出会い
絵画の話より寄せ書きの話をしている自分が居た

形のあるものは有限
絵も、建物もこの身体も

でも人の気持ちは伝達し世代を超えて乗り移り、
終わらない記憶となる…だろうか?

形にならないものを伝えるために形をつくる

絵を描くとは そんなことなんじゃないかと思った。



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