Michiyo Kamei "Shape of life"いのちのかたち  

画家 亀井三千代 記
「身体曼荼羅」春画と解剖図
michiyokamei diary

亀井三千代 HP/Michiyo Kamei official web site 

https://michika-6.wixsite.com/michiyokamei

ありがとうございました。

2016年07月19日 09時00分25秒 | EXHIBITION


座の会、無事に終了しました。
昨年より入場者数も増え、各作家に変化も見られ
とても刺激的な展覧会となりました。

個人的には、次なる課題も見え
手探りですが、実現していきたいイメージもあります。

座の会の興奮さめやらぬうちに
どんどん描いていきたいです。
要するに、絵のことしか頭にはありません。

人生は短い
ありったけの時間、制作に費やしたいと思います。

ところで、
日本画とはなんぞやとギャラリートーク等で話題になり、
その得体の知れないものに、今更だけど興味がわく。
で、その後の議論で、実は私は日本画家と思われていないことを知った。
知らなかった!!(笑)

つまり、日本画とは素材ではない。
出自か?システム論か?といえば、そうでもない。
対洋画だろうか?
もしそうなら、洋画の概念がはっきりしていないと成り立たない。
こんなに、扱いにくい素材をわざわざ使ってまで表したいものとは何だろう?

私は油絵のようなこってりしたものには少し抵抗を感じるし、
周りを見ても、描きたいものを描くのに素材は関係ない、なんて思えない人がそもそも日本画をやっている。
だからといって、素材の研究さえしてれば日本画になるとも思っていない。
どこか、日本画の中に日本らしさが在るのではないかと
(幻想かもしれないが)
それを掘り起こすのではなくて、結局は発見・発明していくしかないのかもしれない。
素材、風土、線、そして現代に生まれて描きたいもの、残したい概念、
そんな複雑な精神活動の全体が日本画なのではないかと思う。

座の会のメンバーが何となく気が合わないのは
日本画というやっかいなものに対して、常に戦闘態勢にいるからで
おおらかそうに見える作家のほとんどが
内心では辛抱強く不可能性に対峙しようという、偏屈な人間の集まりだからかもしれません。
そんな座の会が何年も続くとは思えませんが
続く限りは私を受け入れてくれている仲間から学び考え、
その場に精力を注いで行きたいと思います。

お暑い中を、お越しいただいた方々
本当にありがとうございました。