ケ時々ハレ・2

楽しむために、「晴れ」のために「褻」を生きてます。左脚も人工股関節にしました。右人工股関節はライト、左はエルといいます。

9月7日(日) 「ONE~ひとつの夢」

2008-09-07 23:22:40 | ミュージカル

MW優の公演、「ONE~ひとつの夢」
けいちゃんと一緒に、
3チームあるうちの、AチームBチームを観ました。

じゅりちゃんニーナさんのチーム、
観られなくてごめんね。

もしまだ検査が終わっていなかったら、
外出許可を取ってでも観に行くつもりだったの。
よかったぁ、昨日のうちに退院できて。

Aチームは、ものすごくレベルが高い。
カズ兄、けいこさん、たどぅ、ヒロコさん、
ミサコちゃん、たみちゃん、マミちゃん、
ともちゃん、N川さん、ナオたん・・・。

あとは知らない人たち。

でも、たどぅたみちゃんも、
最初、「この人たち知らない」と思った。
メイクで、ものすごく雰囲気変わるのだ。

「I Hope I Got It」では、みんながうますぎて涙が出た。
カズ兄のダンスが、すごくカッコいい。

「SING!」青山アルの相手役は、
全員が歌えるように稽古していて、
本番の舞台で突然指名されるという。

明先生、たどぅを指名。
たどぅの緊張が伝わって来たが、
「吐きそう」と言っていたたどぅとは、すでに別人だ。
立っているだけでプロっぽい。

本当は、全員分のクリスティンが聴きたかったんだけど。

佐和子先生のヴァル、超キュート。
似合っています。

「Montage」も、すごくお洒落なステージングだった。
このまま、どこかの舞台に乗せてもいいぐらい。
みんな、ものすごくうまくなっているよね。
この3ヶ月、どれほどの努力を積み重ねて来たのか、
想像できる。

カズ兄はポール、
ナオたんはマイク、
ヒロコさんがコニー、
N川さんはシーラ
だったかな。

けいこさんは、ペッサリー ペッサリー
だった。
あれ、マギーは誰だっけか。

manaさんは、ディアナ。

manaさんのキャラクターには、ちょっとない歌。
「こんちくしょう!」ですもの。
でも、カープを歌う声の力強いこと。
manaさん、こんな声が出るのね!

TCSjの、あやこさんが観にいらしていた。
意外な所で会えると嬉しい。

そして、羽永先生のキャシー
オリジナルキャストですよ。
また涙が。
羽永先生は、照明がなくても華やかに輝いている。

ともちゃんは、新婚ネタで明先生にいじられる。

先生方の「ONE」、最高にカッコいい。
羽永先生をセンターに、
manaさん、佐和子先生が3人で踊る。
スリーダンサーズです。
そこへ明先生が入る。

そして恒例のラインダンス。
これはハードだよね~。

アトムさんと、飯野おさみさんもいらしていました。

飯野さんと、
「WICKED」や、初演「CATS」や、
初演「コーラスライン」のお話をしながら歩いて、
けいちゃんと2人でスタバでお茶。

4時開演のBチーム。
こちらは、知らない人がほとんど。
主催者さん、ミサコちゃん、asako、マミちゃんしか知らない。
ひでさんピロさんは、何度か一緒にレッスンしたことがある。

「SING」は、2人指名されたが、
2人とも、全然違うクリスティンでおもしろかった。

最後に主催者さんが泣き出したのでびっくり。
それにつられて、出演者が次々もらい泣き。
この3ヶ月、大変だったんだろうなと思う。

久しぶりにみんなの顔を見られてよかった。

飯野おさみさんと一緒に写真、撮ったじょ~。

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胸の上のキラ・2

2008-09-07 22:29:10 | 
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胸の上のキラ・1

2008-09-07 22:28:22 | 
退院して来た直後から、
キラたんが、私の胸の上で寝ています。
幸福です。
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主治医の説明~病状と選択肢

2008-09-07 10:28:58 | 股関節

9月5日(金)の晩に、
主治医のアジカタ先生(仮名)の診察と説明。

ベッドで診察、ちょっと嬉しい。(←変態)
脚の太さを測ると、やはり右の方が細い。
(筋肉が落ちているため)

脚の長さには、まだ差がない。

みっちり詰めてやった精密検査の結果でも、
今、この場での診察でも、
右脚の方が、かなり悪い。

変形性股関節症は、
前期、初期、進行期、末期と進んで行くが、
私の右脚は、進行期の中程度。

左脚は、これにくらべるとだいぶいい。
(でも右をかばっている分、痛いんだけどね)

いくつかの組み合わせの選択肢がある。
以下の通り。


@ 右脚を回転骨切り術で手術する場合

病状が進行し過ぎているので、手術の適合性がない。
関節唇(かんせつしん)が切れてなくなってしまっているし、
嚢胞もできている。
手術しても痛みは完全には取れないし、
将来、人工股関節にするまでの、
一時しのぎ的な手術になるだろう。
入院は2~3ヶ月におよび、社会復帰までに半年近くかかる。


@ 左脚を回転骨切り術で手術する場合

今なら、完全に治すことができる。
そのかわり、今現在痛くてたまらない右脚は、
そのままということになる。


@ 右脚を人工股関節全置換術で手術する場合

入院も1ヶ月ですむ。
痛みもなくなる。
人工の物なので耐久性には限度があり、
(だいたい10年~15年)
そうなると再手術が必要。
(ただし最近の物はかなり良くなっている)

仮に15年後、60歳前後で再手術するのならともかく、
さらに15年後、80歳前後で、
侵襲の大きいこの手術ができるかどうかが問題。


以上の説明を聞いた私の考え。

今なら完全に治せるという、左脚に着手するのは、
私の中では、最も考えられない選択肢。

右が痛い!
今、今、痛いのよ!

さらに右を自骨で切って回す手術。
やっても、それほど良くならないのなら、
やりたくない。
これは、近所の医院の先生の言っていたことと同じだ。

メリット、デメリットを考慮しても、
右脚を人工股関節にするというのが、
今、最も私の望みに適っていると思う。

夫も同じ考え。

アジカタ先生(仮名)に、
「先生ご自身のことだったら、どうなさいますか」
と聞くと、
「僕自身や、僕の家族だったら、右を人工にするだろう」
とおっしゃる。

80歳になった時のことまで考慮していられないというのが、
私の正直な気持ちです。

今、目の前で家が燃えている!

新しく住む家を探しに行く前に、
まずは、燃えている火を消そうとするでしょう。

先生も、このたとえには賛成してくださった。

第一、隣のベッドにいらしたHさんは、
82歳で、8月下旬に人工股関節の手術をなさって、
私が帰る頃には、歩行器で歩く練習までしていた。

すごく心強い先輩だ。

「あわてなくてもいいから24日までによく考えて」
とおっしゃるが、
すでに考える余地はないように思われる。
9割以上、人工股関節に傾いている。

何より、人工股関節手術には、
主治医グループが自信ありそうなのだ。

そういう結論に達することになると思います。
たぶん。

コメント (2)
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主治医の問診で語った股関節症歴

2008-09-07 09:46:15 | 股関節
【20歳】

ダンスの先生に、
「赤ちゃんの頃、股関節脱臼って言われたことないかどうか、
  お母さんに聞いてごらんなさい」
と言われたのが初めて。
今、思えばさすがはプロのダンサーの眼力だな。

母には、
「検診でそんなこと言われたこと一度もない。
  あんたはただ身体が硬いだけよ」
と軽くいなされる。


【29歳】

産後1年たった頃から、初めて股関節に違和感を感じる。
ごくたまに、痛む。

パソコン通信で知り合った友人(整形外科医)に診てもらい、
「先天性の臼蓋形成不全」だと診断される。
赤ん坊を抱いたりするせいと、
産後に体重が増えたせいで、
初めて自覚症状が出たのだということ。
まずは無理をするな程度の助言で終わる。

母は、
「そんなの全然聞いてない!」
と憮然とする。


【35歳】

息子の就学を前に、部屋のリフォーム。
その時に、家具をあちこち動かしたせいで、
かなり強い痛みが股関節にある。
(左右どっちの脚なのか、両脚なのか、まるで記憶にない)
跛行するほどの痛みが1ヶ月ほど続く。

この時、初めてT医大の整形外科を受診。
(2人の子供もここで産んだ)

「もう少しお子さんが大きくなって手が離れたら、
 自分の骨が使えるうちに、手術した方がいいですね」
(つまり回転骨切り術をするということ)
という診断。
息子7歳、娘4歳だった。

「手術しないとどうなりますか」
と聞くと、
「本人が痛くてガマンできなくなります」
と言われる。

しかし当時は、
そんなに痛い状態というのが想像もできなくて、
手術するより、痛いのをガマンしている方がマシ
・・・と思っていた。

余談だがこの翌々年、マイミクののんちゃんが、
小さいお子さんを預けて回転骨切りに踏み切った。
いずれ自分もすることになるのだろうかと、
常に頭の中で考えるようになった。


のんちゃんは2週間寝たきりだったのに、
私は術後すぐに車椅子の練習が始まった夢。
この夢の内容を考えると、なんとなく予知夢???
という感じがしてくる。


【37歳】

股関節に問題があることなどすっかり忘れるほど無症状。
書店に勤め始める。
これで腰と頸を悪くすることになる。

それから10年弱は、
無理をしたり、冷えたりすると痛みが出るが、
休めば治まる、という状態が続く。

ほぼ毎日1時間はウォーキングもしていた。


【46歳】

出身中学の同期会幹事になる。
5年に1度の大同期会があり、
ハイヒールで、立食形式のパーティーに参加。

これがきっかけとなったのか、
この日以降、痛みがひどくなりまともに歩けなくなる。

近所の整形外科医院を受診。

痛み止めの飲み薬と、貼り薬、
それから杖を使用することになる。

手術のために仕事ができなくなると、
経済的な不安が大きかったし、
(今もそれは同じだけど、痛みが不安に勝ちました)
子供たちも、かなり成長していたにも関わらず、
何ヶ月も目を離していられる状況ではなかった。

杖を使い始めてから、
数ヶ月の間は、ひどい痛みが治まることもあるようになった。


【47歳】~【48歳】

ミュージカルワークショップ優
と出会う。

痛み止めを使いながら、
時には夜中に呻きながら、
舞台で踊ったりした。
みんなと同じ振り付けができずに一人だけ変えてもらうこともあった。

本人はとても満足な生活だったのだが、
これで脚が悪化してしまったらしい。

痛み止めを飲んでも、痛みがなくなることはもうない。


【49歳】

仕事中、立っていることもできなくなり、
常時、椅子を使用する。

4月。
通っていた整形外科医院で、
「いつ手術してもいいよ」
という診断。

この時は、まだ手術する決心つかず。

わずか1ヶ月後の5月。
自由に動いて芝居できるようになりたいと思い、
ついに手術を決意。

息子も、娘も、もう大丈夫だろうと踏んだ。

以上が、今回の入院に至るまでの股関節症歴でした。

決心するのが遅かったかもしれないけど、
でも、家庭の事情でどうしようもなかった。

この後、アジカタ先生(仮名)からの説明がありました。

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