ケ時々ハレ・2

楽しむために、「晴れ」のために「褻」を生きてます。左脚も人工股関節にしました。右人工股関節はライト、左はエルといいます。

3月18日(月) 夫、初出勤

2013-08-13 22:59:01 | 日々雑記
夫、新しい仕事先に初出勤。

9月から半年勤めたコールセンターのバイトは辞めた。
夫の企画ごと月額いくらで買い取って雇ってくれた会社があったわけです。

退社して2年。
トンネルに光が射して来ました。
とても良い会社だそうで、よかったよかった。

私の仕事はいつもの通り。
今日は書留が36通と多かったので、比較的楽だった。

ちょっとくしゃみ鼻水が多かったかな。
先週末ぐらいから、急に花粉症状がひどくなって来た。

早く寝よう。
できれば水曜日は映画に行こう。
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3月11日(月) 震災から2年、納谷悟朗さんご逝去

2013-08-13 19:45:17 | 日々雑記
東日本大震災から2年がたった。

去年は家で、娘と一緒に黙祷したが、今年は職場で14時46分を迎えた。

「ストーリー311」という11人の漫画家が描いたコミックを購入。
読んでいたら泣けて来た。
この本の印税と収益は、被災地復興のために寄付されるそうだ。

2年前にいたチャチュケが今はいないし、2年前に生まれてもいなかった綱吉が今はいる。

チャチュケは、あの大きな揺れの中でも全然怖がっていなかったなぁ。
キラタクは押し入れにこもっちゃったけど。

そして今日、納谷悟朗さんの訃報が流れた。
亡くなられたのは3月5日だそうだ。

18年前の山田康雄さんの訃報、30年前の平井道子さんの訃報を思い出した。

大物が去ったなぁ。

あちこちに考えが飛んでまとまらないけれど、今日も無事に夫が帰宅したことと、凛、キラ、タクト、綱吉が幸福そうに暮らしていることに感謝します。
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2012年はこんな年でした

2013-08-12 22:06:44 | 日々雑記
1月:夜更かし覚悟で継続ワタリーショップに参加し始める。ジェイライブは休止。ボーナスで「エビータ」観劇。

2月:ジェイライブは休止。たかひろに聞いて基礎代謝アップのために全裸睡眠を始める。やたらに暖かい。ご招待で「壁抜け男」観劇。

3月:新しいジェイライブが始まった。綱吉去勢手術。細菌性の胃腸炎にかかる。

4月:ワタリーショップを楽しみに日々を暮らす。

5月:6-dim+の下北沢またたびライブで息が止まりそうに笑う。楽しかった。

6月:家族みんなに愛されていた巨大猫チャチュケが、持病のてんかん発作で死去。大きな喪失感。私は誕生月をワタリーショップやジェイライブで祝ってもらう。テアトルエコー「もやしの唄」観劇。

7月:ワタリーショップとジェイライブを楽しみに、猛暑と闘いつつ働く。

8月:京ちゃんの語りのショーを観劇。ZIPPEI兄弟の悲惨な急死からしばらく立ち直れず。久しぶりにパソコン通信FCHILD時代の旧友とオフ。ワタリーショップとジェイライブには欠かさず通う。暑い暑い夏だった。夏休みはあったが、何もできず。娘が22歳になる。

9月:クロコダイルでの8周年記念ジェイライブを堪能する。ジェイライブとともに時を過ごせてしあわせだった。肝機能の数値に問題ありということで、4内に通い始める。私が離乳まで育てた、叔母の家の猫、むねじろうが老衰で死去。

10月:仙川での6-dim+ライブを堪能。この頃から体調が悪くなり、楽しみにしていたワタリーショップに通えなくなる。(仕事の後に寄り道する体力がない) 息子が25歳になる。

11月:テアトルエコー附属俳優養成所1期生~19期生までの大同窓会。恩師も大勢揃った。熊倉さんも、槐さんも、みんな元気。全員で合唱した「ラストワルツ」に感激。寒くて冷たい雨の日だった。テアトルエコー「へちゃむくれと台風」観劇。

12月:身体があまりにもつらいので京ちゃんに教えてもらった整体に通い始める。徐々に楽になってきた。待ちに待ったクロコダイルでの6-dim+(ほぼ)全員集合ライブ。鷲尾真知子さんとともに観る。6-dim+はすばらしい。伝染性急性胃腸炎にかかり、10日ほど絶食。少し痩せたが回復とともに、また戻りつつある。12月7日(金)の17時過ぎの地震以来、全裸睡眠ができなくなった。純さんの「東京コメディストア・ジェイは活動に終止符を打つ」発言に打ちのめされる。なんとか生き甲斐を探して生きなければ。


2012年は、まだまだ夫の仕事が軌道に乗らないまま終わった。

ワタリーショップと、ジェイライブと、6-dim+のイベントと、たまに行く映画や観劇以外は働きづめの1年間だった。

気分をリフレッシュする機会が少なく、生活費を稼ぐことに追われて休みの日は死んだように眠るばかりだった。

チャチュケを喪ったのは大きかった。
大きな大きな穴が空いている。

来年はもう少し暮らしに余裕ができますように。 
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2012年12月7日(金) 震度4(?)

2013-08-12 21:39:51 | 日々雑記
朝の5時半、地震で起きる。
千葉で震度3。
東京は震度2。
また寝る。

夫、仕事。
娘、休み。

私も今週を乗り切って最後の仕事。

特に問題はなかった。
無事に週末を迎えられるかと思ったのだが。

6階へあがり、狭くて細長い更衣室で1人で着替えている時にそれは来た。

ロッカーがガタガタ音をたてて揺れ出したのだ。

地震だ!
私は表へ飛び出した。

すでに着替え終わってはいたが、荷物や杖は置きっぱなし。

更衣室の外、臨床講堂のロビーには人事課の顔見知りがいた。

隣の更衣室からは治験管理室の顔見知りも出て来た。

揺れは大きくて長い。

防災センターから院内放送が流れる。

「ただいま地震です。大きく揺れております」

それが恐怖を煽る。

エレベーターも止まった。

揺れがおさまっても、恐怖と動悸はおさまらない。

とにかく下へ行こう。

職員用の階段を下りる。
途中4階のメンタルヘルスで、主治医の丸ミドリ先生に恐怖を訴えたかったが(金曜日は先生のいる日)、すでに外来は終わっていた。

ウィルコムの夫とは、すぐに連絡がついた。

面会受付の顔見知りに聞くと、1階でもすごく揺れたそうだ。

余震を感じたくない。

地下鉄は止まっているかもしれないし、たとえ動いていても乗るのが怖い。

歩いて帰ることにした。

ソフトバンクの娘とは連絡が取れないが、Twitterで連絡がついた。

猫たちはみんな怖がっていないとのこと。

息子のDoCoMoには、わりとすぐつながったが彼は出なかった。
仕事中だったのかもしれない。

50分ほど歩いて帰宅。

テレビの画面が怖い。
3.11と同じような日本地図の画面が出ている。

夫は、無事に地下鉄で帰って来た。

23区震度4だそうだが、もっと揺れていたような気がする。

歩いて帰ったせいか、恐怖のせいか、左股関節が激痛。
それよりも、また揺れるんじゃないかという恐怖で身体の震えが何時間も止まらなかった。

「大奥」を見て、勘三郎の追悼番組の録画を見る頃にようやく落ち着いて来た。

大奥総取締役に任命された有功が、まあカッコよかったこと。

もう揺れないでください。
お願いします。
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2012年11月17日(土) テアトルエコー大同窓会

2013-08-12 21:20:30 | 日々雑記
土曜日の仕事から帰宅し、軽くお昼を食べてから、夫と一緒にテアトルエコーの同窓会に行く。

恩師数人、1期から19期までの卒業生、全員で140人以上集まった。

ほぼ30年ぶりに会ったのが9期の戸部公爾、10期の鈴木恵美夫妻。
(エコーは内部結婚が多い)

10期の女の子たちも30年ぶり。

熊倉先生や槐先生は舞台を拝見しているので案外久しぶりではない。
川和先生にも客席でばったりお会いしたことがある。

声楽の宮本先生は30年ぶり。

9期はマリが幹事で、公爾、大将、京子が来ていた。

8期は根本泰彦、雨蘭咲木子、夫、私の4人。

私はわりとまめにエコーの舞台を観ているので、劇団に残っている人とは、たいして久しぶりではないのだが、久しぶりに同期トークができた気がする。

サッコは18歳のサッコそのままに見えるが、すごくゴージャスな大人になっている。

7期は杉村理加さんだけだった。

6期の後藤さんにも会いたかったなぁ。

まつじゅんさんとなをちゃんは(約)5年前の同窓会以来。
あの時はまだ本物の股関節でした。
知り合えて嬉しかった大先輩。

エコー養成所コミュニティで知り合った鈴音さんは初対面。

ところが鈴音さんは、インプロジャパンの池上奈生美さんと同期なのだ。
奈生美先生は、娘の恩師の1人。
お隣の席でジェイライブを観たこともある。

5期の野口絵美さんも、桑山康子さんも、10期の保科さんも、娘の恩師。

10期の松尾あきらくんは、ご実家が夫の実家の真向かいだったり。

いろいろいろいろおもしろい。

私は8期で入って9期で卒業した異端児だが、実は5期も一度受験して受かっている。
(大学の都合で通えなかったが)
だから5期の皆さんには少しだけ思い入れがある。

5期の小林優子さん、丸山真奈美さん、白山照彦さんは全然変わらない。

1期の森沢早苗さんは迫力ある美人だ。

田中真弓さんの恩師紹介は素晴らしかった。

ラサール石井さんもカッコよかった。

熊倉先生が

「今も研修所をやっているけど、いやー大変。19期までよくやった、槐さん、アンタはエライ」

とおっしゃったのが印象的。

怒涛のような同窓会だったが、最後に全員で「ラストワルツ」を三部合唱したのは感動的だった。

10期の小林隆くんが来なかったのが残念。

他にも会いたい人いっぱいいたんだよ。

想像通り収拾がつかなくなる大人数だったけれど、話したい人とは話せたし、楽しかった。

立食形式だったんだけど、私が杖をついているのを見て、熊倉先生が
「こっちに座りなさい」
と言ってくれた。

やさしい。

二次会には行かずにバスで帰宅。

槐先生が

「臆面もなく何かを持って帰りなさい。そして明日からの毎日に生かしなさい」

とおっしゃったのに、元気をいただいた。

同期や先輩後輩と会って、しっかり毎日働こうと思えた。

いい先生方に恵まれた。
夫に出会ったのも、運命と受け入れましょう。

来週からまたがんばろう。
とりあえず明日は寝て過ごす。
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2012年10月30日(火) 懐かしい声

2013-08-12 21:06:07 | 日々雑記
テアトルエコー附属養成所の大同窓会が近い。

私たち夫婦の期の代表(ディズニー映画などで活躍している男性)が、
「8期の参加が少ない! 消息を知っている人がいたら教えて」
とメールをくれた。

昼休みにちょっと検索してみた。

「彼ならきっと芝居を続けているだろう」
と思えた人の名前を。

そして見つけた。
どこに所属しているのかを。
それからどこかで講師をしていることもわかった。

プロダクションの代表の携帯番号が載っていたので、仕事帰りに電話してみたら、懐かしい彼の声だった!

30年ぶり!
ホームページの写真は老けていたが、声は全然変わらない。

もう1人仲良くしていた男の子の連絡先も教えてもらい、彼とも久しぶりに電話で話した。
こちらも声が変わらない。
2人とも頭は薄くなっているようだけど。

一気に30年前にタイムワープした。
3人でよく遊んだなー。

同窓会には2人とも来られないらしいけれど、同窓会前に気分が盛り上がった。

嬉しいなぁ。
会いたいなぁ。

同期生、見つかるといいんだけど。
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2012年8月18日(土) お別れを言わなくちゃいけないのか

2013-08-11 18:09:12 | 日々雑記
仕事の後、白くて可憐な花束を買い、夫と待ち合わせ、ペットボトルの水を買ってから汐留へ行く。

汐留は何度も行っている場所だが、日本テレビには初めて行った。

午前中はものすごいどしゃ降りだったという噂だが(地下室にいると外で何が起きていても何もわからない)、ZIPPEIの献花台に向かう頃には焦げそうな陽射し。

お花とお水をお供えして、手を合わせて来た。

どうしても水を供えてあげたかった。

かわい過ぎる2人。
早すぎるし、酷すぎる死に方。

なんとしてもあきらめきれない。
とてもとても大好きだった。

花に囲まれた彼らを見て、また泣いた。



死ぬべき時じゃなかった。
無理やりに引きちぎられた命だ。

お水を供えている人もいっぱいいた。
考えることは同じなのだろう。

彼らが亡くなって初めて兄弟の見分け方を知った。
鼻がピンクな方がお兄ちゃん。

うちの子じゃないけど、本当に愛していたよ。
もう姿を見られないんだね。
つらい。

泣いて泣いてそそくさと汐留を去った。

中野坂上で本を読みながらお茶。

放心状態。

帰宅して、買って来た文庫本を読もうとして、下巻を2冊買って来たことに気づき、あわてて交換に行った。

ゆうべあまり寝てないのに、昼寝しそびれ~。

夕飯に大根おろしをたっぷり食べて、胃炎をなおす努力をする。

さあ、9時から「ほん怖」見よう。

ところでZIPPEI兄弟の亡くなった日は、私の父方の祖母の命日と同じ日でした。

ZIPPEI、大好きだよ。
私が、そっちに行ったらさわらせてね。

君たちを1時間半真夏の車内に放置したブリーダーを、私はたぶん一生理解できないよ。

毎朝、本当にしあわせだったよ。
また会いたい・・・・・・

しばらくさようなら。
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2012年7月27日(金) とても嬉しかったこと

2013-08-11 17:41:56 | 日々雑記
「ドリーミング」の中で生まれてくる前の子どもたちが、こんな歌を歌う。

何を持って行こうか?
何を着て行こうか?
やっぱり裸で行こう
夢だけ持って行こう

生まれるから待っててね
生まれるから愛してね
生まれるからパジャマをちょうだい

この歌、なぜか泣けるんだ。
これは単なる話の枕です。

私は職場のエレベーターホールや更衣室で1人になると、いつも何かしら歌ってる。
最近は「0655」の歌が多い。
特に「レタスレタス」が気に入ってる。

歌っていてふと思い出した。
34歳の若さで(35歳の誕生日の直前だった)、新婚1年目の友達が、1年間の闘病の末に亡くなった時、るこは思ったそうだ。

「死ぬ時は何も物は持って行けない。思い出しか持って行けない」と。

その、るこの言葉を思い出した。

そして私は、生きているうちにたくさん笑って楽しい思いをして、たくさん覚えた歌を持って行こうと思った。

いずれ死ぬ時が来たらね、という話なんだが、すごくいい思いつきだと思った。

それでTwitterやfacebookに書いた。

そしたら、すぐに電話がかかって来た。
ヒデトモだ!
(最初は純さんのワークショップで知り合った。今は東京コメディストアジェイのメンバーとしてプロの舞台に立っている。息子と同い年なので、思い入れがあって可愛いと思っている)

どうしたんだろう?

出たとたん

「KENちゃん!死んだらあかん!」

と言う。

「いずれは死ぬだろうけど、まだ死なないよ」
と言うと、facebookを読んで心配になって、こら電話せないかんと思ってくれたらしい。

誤解なのだが心配してくれたのがすごく嬉しい。

「あれ、すごく前向きな意味で書いたんだよ」
と言ったら
「いや、そうは読めんからフォローしといてくれ」
と言う。

「なんでそんなに心配してくれたの?」
と聞くと、
「娘ちゃんの日記読んだら、なんかKENちゃん、いろいろつらい思いしてるみたいだから」
と言う。

娘が何か、私のことを書いたのか。

タイミングよく、というか悪くというか、
私が
「死ぬ時には笑いと歌を持って行こう」
と書いたもんだから、今にも死にそうに読めてしまったらしい。

私は、ヒデトモの気持ちが嬉しくて、ありがたくて、じわじわしみじみしあわせになった。

帰宅した娘に、いったいどんなことを書いたのか聞いたら、しぶしぶ読ませてくれた。
(私と娘はマイミクだが、私は日記を読ませてもらえない)

すると、娘が私のために怒ってくれていることがわかった。
ものすごく怒っている。

私の脚を心配し、味方をしてくれているのだ。

これでまた、どんどん嬉しくなった。

大丈夫。
負けないから。
辞めないから。

さらに、なんだか今日はやたらにチャチュケのことを考えていた。
思わず泣き出すほどに。
なんなんだろうねーと思いつつお線香をあげる。

そうか。
今日はチャチュケの49日だった。

ぼくのことを考えて~と、チャチュケが言ってたのかもしれない。

本気で心配して慌ててくれる友達。
私を心配して怒ってくれる娘。

100人力だよ。
味方がいてくれるって本当に嬉しい。
チャチュケもきっとそばにいる。

今日は、そんないい日だったの。
おまけに明日の土曜日は休みだし、ジェイライブだ!

継続は力なり。
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2012年6月24日(日) 誕生日

2013-08-11 17:23:21 | 日々雑記
ひとつ年齢を重ねました。

最近、facebookで高校の同級生とおしゃべりしているのですが、人間そうそう変わるもんじゃないですね。

中身は本当に21~22歳のまんまです。
もしかしたら、そんなの私だけかもしれないけど。

とんとんさんからいただいた畑の恵みでジャーマンポテトを作り、
それから入浴。

夫に誕生日プレゼントに本を買ってもらって、それから経堂のさばのゆへ、つなコメを楽しみに行きました。

第1部、お客さんとのつながりは、りょーちんの芝居友達のよっしーさんと組みました。
すごく可愛い人だったー。

第2部、カンカラ三線の演歌歌手、岡大介さん。
とてもいい声に、とても純朴そうなお人柄。
どう見ても22歳ぐらいにしか見えないのに、34歳だそうです。
一緒に歌って気持ちよかった。

第3部、たけしさん&りょーちんのペーパーズは、なんだか珍しい組み合わせ。
私の書いたのも、夫の書いたのも、読まれました。
これがまた嬉しいもんです。

それから6-dim+と岡さん3人のシーン。
かわいくって大笑いしちゃった。

体調よくないんだろうけど、ちょっと疲れたね。

たけしさん、マミちゃん、dolly、星子さんがハッピーバースデー歌ってくれた。

しあわせでめまいがしそう。

お酒飲んでないのに酔っ払ったみたい。
もう寝ようーっ。
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2012年6月20日(水) スピリチュアル・リーディング

2013-08-11 17:17:40 | 日々雑記
ここ1年いろんなことがあり過ぎるので、娘と一緒にスピリチュアルリーディングに行って来た。

たどぅに紹介してもらった所です。

私が聞きたかったのは、宇宙で一番好きな人、でも会えなくなってしまった人のこと。

それから長い間、親しくつきあっていたけれど、やはり理由がわからないまま縁が切れてしまった女性のこと。

それから夫の事業のこと。

宇宙で一番好きな人も、
親しかった女性も、
根っからのアーティストだそうだ。

そりゃそうだ。
好きな人は俳優だし、表現者である。

親しかった女性は芸術方面を生業としている。

そして私はアーティストに惹かれる人間なんだって。

その通りだよね。
私自身は才能ある人が好きなのかと思っていたけど、物理学者や、経営者や、政治家に惹かれるわけじゃなかった。

昔からアーティストに惹かれる人間だった。
(なら、なぜ夫に惹かれたのかは不明)

そのアーティストの2人は似た部分がある。
2人とも波が大きいし、むらもある。
時には人格が変わるほどに気分が変わることもある。

宇宙で一番好きな人は、前世で私の息子だったことがあるそうだ。

実はそんな予感、私にもあった。
息子のように思える時があった。
息子だと思って全力で力になろうと思った。

息子でいてくれたことがあるなんて嬉しい。

こういうタイプは、何かのきっかけでヒョコッとまた戻ってくることもある。
私には待つしかできないって。

親しかった女性は、前世で同じ修道院にいたことがある。
彼女の方が立場は上で、仲はよくて何かとめんどうを見てくれていたとのこと。

彼女もアーティストだから、ヒョコッと気が変わるまで待つしかない。
あるいはお互いに深入りし過ぎたのかもしれないから、とにかく放っておくこと。

夫の話はあまりおもしろくないので書きませんが前途多難な予感。

私は家族にも家族以外にも期待が大きい。

頼られると全力で助けようとする。
その通り。
でも相手によるかも。

自覚はなかったけど、人に期待するのやめるように努力しよう。

全力で助けようとするのは悪いことじゃないんだよね?

私は、結局夫が好きなんだなと思った。

離婚もひとつの手だと言われたが、離婚したくない。
一緒にいたい。

とにかく会えなくなってしまった2人と、前世でどんな関係だったのかは聞けてよかった。

わかったのは私には何もできないということだけ。

頼られた時に助ければいいんだ。

最後にちらっとチャチュケのことも。
チャチュケは、今、家の中にいるんだって。

いるよね!
だっているもの!

もう全然、苦しんでいないって。
よかった。
本当によかった。

チャチュケ、心から愛しているよ。
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2012年3月11日(日) 大震災から1年

2013-08-10 21:59:35 | 日々雑記
東日本大震災から1年がたった。

いつもの年以上にあっという間の1年だった。

始終、揺れている1年だった。

1年たったとは思えない。

昨日のことのように、思い出される。

2時46分、家にいた娘と一緒に黙祷した。

夫もバイト先で黙祷したそうだ。

こんなに大きな変化に襲われた1年があっただろうか。

個人的にも大きく震災の影響を受けたし、今も受け続けている。

それでも毎日生きていく。
ちゃんと生きよう。
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2011年はこんな年でした

2013-08-10 16:10:10 | 日々雑記
1月:2年連続夫不在の正月を過ごす。
10月に始めたテレオペの仕事がつらくてつらくてしんどい毎日を過ごす。


2月:某医大の人事課から電話が入ったのをきっかけに、ついにテレオペを退職。
せいせいして毎日グウタラ過ごす。
水中ウォーキングにも通う。
お世話になった小林アトムさんがご逝去。


3月:東日本大震災発生。
東京でも生まれて初めて経験する大地震に見舞われ、娘や夫と再会するまでが大変だった。
余震におびえる毎日。
夫は会社を辞めた。


4月:ご縁の深い某大学病院に勤め始める。
奇数週には土曜日勤務もある。
余震はまだ続く。


5月:必死に働く日々。
余震を感じたくなくて、休みの日は新宿御苑で昼寝することしばしば。
安心して眠れない日々が続いていた。


6月:娘が教習所に行く途中で、雨の中で鳴く仔猫を拾ってしまった!
里親を探しつつも、家族全員うちで飼うことを予感していた。
綱吉と命名。
9年ぶりの仔猫はやんちゃですごい。
久々にワタリーショップにも参加したら、やたらに楽しかった。
余震はまだ続く。


7月:初のりょーちんワークショップに参加。
夫も初めてインプロに挑戦。
柳瀬大輔さんのライブに招待されたり、ラッキー。
夫が退社してからというもの、経済的な不安に常におびやかされている。


8月:冷房のない、窓のない地下室で、湿度95%の中で必死で働く。
まだ余震続く。


9月:だいぶ職場に慣れて来た。
夫や娘と過ごす時間が少なくて寂しい。


10月:ようやく世間があまり揺れなくなってきた。
飛蚊症と50肩に悩まされる。
特に50肩の激痛は呻くほど。
「ステキな金縛り」に大感激。
娘が運転免許を取得。


11月:25回目の結婚記念日。
銀婚式を6-dim+&Barbaraに祝ってもらった。
11年ぶりに夫とディズニーランドへ行く。
車椅子を借りて、1日中たっぷり楽しめた。
50肩にヒアルロン酸注射を打ちに通う。


12月:余震はだいぶおさまっている。
今度は暖房のない冷え冷えとした地下室で凍えながら仕事している。
体調不良で一度も休まなかったのはありがたかった。

今年はひたすらおびえて暮らしていた。
地震と、経済的な不安とに。

来年はもう少し人生を楽しみたい。
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2011年3月11日(金) 大地震

2011-05-22 20:28:29 | 日々雑記
怖くて怖くて、おちおち日記を書いていられないが記録しておこうと思う。

夫が出勤し、娘が出勤し、
私は本を買いに行き、スーパーやドラッグストアで買い物をして、
のんびり金八先生を見ていたところだった。

14時46分。

最初は小さな揺れだと思っていたのが、だんだん大きくなった。
廊下へ出てみたら、隣の部屋の人が
「大きいですね、外へ出ましょう!」
と声をかけてくれたので、PHS(と敢えて書く)だけ持って階段を下りる。

そうこうするうちに、揺れはどんどんタダゴトじゃなくなって来た。

「怖い怖い怖い」と言いながら、足踏みする。
揺れを感じたくないために足踏みするのだが、街全体が揺れているから、全然役にたたない。

外へ出てからも、なかなかおさまる気配がなく、むしろ揺れが強くなる。

あちこちから人が飛び出して来るし、向かいのマンションのエアコンの室外機が落ちて来そうに揺れている。

隣の駐車場に避難。

こんな強い揺れを経験するのは生まれて初めてだ!

「とうとう来てしまった」とかすかに思う。

10分ぐらい揺れていたような気がする。

おさまった頃に、管理人のミチエさんが下りて来た。

どれぐらい駐車場にいただろう。

駐車場にいる間に、けっこう大きな余震が何度か来て、そのたびにおびえる。

夫と娘はすぐに連絡がついた。
さすがPHS!
緊急時に強い。

夫は西船橋で立ち往生していたが、電車が動かないので歩くと言う。
何キロあるんだろう!


自分の家へ戻ってみると本が大量に落ち、食器も落ちて割れていた。

チャチュケと凛はいたが、キラタクの姿が見当たらなかった。
たぶん押し入れにでも隠れていたのだろう。

ガラスだけをさっと片付けて、余震が怖いのでミチエさんの家に行く。

絶えず余震が来るので、怖くてたまらない。
じっと座っていられない。

やや認知症のミチエさんは1分おきに
「KENちゃん、お腹すいてない?」と聞く。

4時半頃に娘から
「早く帰っていいって言われたからこれから帰る」
と電話が入る。

最初はタクシーで帰るよう指示をしたが、とても乗れそうにないので、歩いて帰るように言う。

歩けばたぶん2時間半ぐらいの距離だ。

18時半頃、実家の父が車で娘を迎えに行ってくれると言う。

ありがたい!

(もう食べたにも関わらず)1分おきに
「何か食べなさい」
と言うミチエさんの相手をしながら待つ。

19時半に父が現れた。
「ここまで1時間かかった!」と言う。
いつもなら15分で来られる距離だ。

父の携帯では娘に連絡が取れないので、PHSを持って私が同乗する。

娘は池袋から新宿へ向かう道のどこかにいる。

車があまりにも進まなかったり、娘が意外に歩くのが速かったりして、なかなかうまく合流できなかったが、22時28分に新宿でようやく娘を回収。

0時頃に、やっと息子の携帯がつながる。
無事。

自宅に着いたのが0時40分。

歩けば40分の距離を2時間以上かかったわけだ。

時間がたつにつれ、車の量が増えて行き、自転車や歩く人も大勢いた。

これが東京の光景なのか。
すごく怖い。

帰宅後、娘と一緒に落ちた本や食器を片付けた。

いまだに揺れてる。

怖くて眠れない。
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エントリへ出勤したいなぁ(BlogPet)

2010-12-04 08:33:16 | 日々雑記
きょうKEN(♀)は、エントリへ出勤したいなぁ。

*このエントリは、ブログペットの「サダちゃん」が書きました。
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エントリ(BlogPet)

2010-11-27 07:55:21 | 日々雑記
きょうは、KEN(♀)はエントリっぽい出勤したかも。

*このエントリは、ブログペットの「サダちゃん」が書きました。
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