• ★☆────────────────────────────────
58秒!小林正観さん的生き方のエキス
名言・迷言・冗句
───────────────────────────── 42回目の号
子どもとのかかわりで
ドキッとする正観さんの話。
社会の中の人間関係に通じことであり
自分がどう生きるか
このことにも繋がるポイントです。
子育て中の
お母さん、お父さん
なかなかの話です。
今回は42号目です。
■正観さん 自分が見本を見せている
■未熟ではない自分をつくりあげる
■編集後記
___________________________________
■正観さん 自分が見本を見せている
_________________________________
親も子どもも未熟児。
___________________________________
未熟ではない自分をつくりあげる
___________________________________
完全主義を止める、という話から
ある母親の質問へと展開します。
子どもに対して
怒るということ 叱るということ
その間のどこに線を引いたらよいのか
という質問に対して
結論は、怒るのも叱るのも
ぜんぶ辞めなさい、とひと言。
そうしてから説明に入ります。
子どもって未熟ですよね。
未熟で、それが目につくから
注意するんですよね。
その注意しているのを
親の側では しつけと言っている。
子どもは未熟なことが1000箇所あったとします。
親であるあなたは何箇所あるのですか?
997箇所くらいです。
3箇所くらいしか違わない。
親は優れていると
思っているかもしれません。
子どものあら捜しをして
気に入らないことがあると
憤ったり烈火のごとく怒ったり
声を荒げたりする
このような
子どもにはない未熟な点を
親はたくさん持っている。
だから数えてみると
3つくらいしか違わないんです。
子どもと親は。
未熟さを997持っている人が
未熟さを1000持っている人に対して
注意をする資格はありません。
子どもに対して何かを言いたいのであれば
未熟ではない自分をつくりあげることです。
未熟でない自分をつくるということは
どんなことがあっても
起こらないこと。怒鳴らないこと。
叱るということで
子どもに怒っているという
未熟なわたしを続けている限り
子どもは未熟なままです。
子どもは、未熟な見本を
見ているんだから当然です。
未熟な人間を身近な手本として
毎日見せ続けているのだから
子どもは
こういう大人になるための見本を
見せてもらっていると感じてしまう。
だから目の前の人が
やっていることをやっているだけ。
子どもが未熟の塊と思うのは
自分がその見本を見せているからです。
997の未熟な点をもっている人が
未熟さ1000の人を
ああじゃ こうじゃと言う資格はない。
親も子ども も 未熟児。
今回もありがとう。
(ありがとう仙人)
___________________________________
■編集後記
_________________________________
いかに自分が未熟児であるかを
分かってしまえば・・・。
正観さんは
人間ろくなもんじゃあないんです。
そこから出発すれば
気は楽ですね。
すべての人間関係に当てはまりますね。
すべての人と同じで
とやかく言う必要はまったくない
このことに気づいて
今度は何をしていくか。
次回のお話になります。
うたしフォーエバー
ありがとう。ありがとう。
___________________________________
メールマガジン「58秒!小林正観的生き方のエキス」
☆発行責任者:ありがとう三昧堂 ありがとう仙人
☆公式サイト:http://www.mag2.com/
☆問い合わせ:358@aehko.com
☆過去の記事:http://blog.goo.ne.jp/mg2sanmai
☆登録・解除:http://www.mag2.com/m/0001179075.html
__________________________________________
58秒!小林正観さん的生き方のエキス
名言・迷言・冗句
───────────────────────────── 42回目の号
子どもとのかかわりで
ドキッとする正観さんの話。
社会の中の人間関係に通じことであり
自分がどう生きるか
このことにも繋がるポイントです。
子育て中の
お母さん、お父さん
なかなかの話です。
今回は42号目です。
■正観さん 自分が見本を見せている
■未熟ではない自分をつくりあげる
■編集後記
___________________________________
■正観さん 自分が見本を見せている
_________________________________
親も子どもも未熟児。
___________________________________
未熟ではない自分をつくりあげる
___________________________________
完全主義を止める、という話から
ある母親の質問へと展開します。
子どもに対して
怒るということ 叱るということ
その間のどこに線を引いたらよいのか
という質問に対して
結論は、怒るのも叱るのも
ぜんぶ辞めなさい、とひと言。
そうしてから説明に入ります。
子どもって未熟ですよね。
未熟で、それが目につくから
注意するんですよね。
その注意しているのを
親の側では しつけと言っている。
子どもは未熟なことが1000箇所あったとします。
親であるあなたは何箇所あるのですか?
997箇所くらいです。
3箇所くらいしか違わない。
親は優れていると
思っているかもしれません。
子どものあら捜しをして
気に入らないことがあると
憤ったり烈火のごとく怒ったり
声を荒げたりする
このような
子どもにはない未熟な点を
親はたくさん持っている。
だから数えてみると
3つくらいしか違わないんです。
子どもと親は。
未熟さを997持っている人が
未熟さを1000持っている人に対して
注意をする資格はありません。
子どもに対して何かを言いたいのであれば
未熟ではない自分をつくりあげることです。
未熟でない自分をつくるということは
どんなことがあっても
起こらないこと。怒鳴らないこと。
叱るということで
子どもに怒っているという
未熟なわたしを続けている限り
子どもは未熟なままです。
子どもは、未熟な見本を
見ているんだから当然です。
未熟な人間を身近な手本として
毎日見せ続けているのだから
子どもは
こういう大人になるための見本を
見せてもらっていると感じてしまう。
だから目の前の人が
やっていることをやっているだけ。
子どもが未熟の塊と思うのは
自分がその見本を見せているからです。
997の未熟な点をもっている人が
未熟さ1000の人を
ああじゃ こうじゃと言う資格はない。
親も子ども も 未熟児。
今回もありがとう。
(ありがとう仙人)
___________________________________
■編集後記
_________________________________
いかに自分が未熟児であるかを
分かってしまえば・・・。
正観さんは
人間ろくなもんじゃあないんです。
そこから出発すれば
気は楽ですね。
すべての人間関係に当てはまりますね。
すべての人と同じで
とやかく言う必要はまったくない
このことに気づいて
今度は何をしていくか。
次回のお話になります。
うたしフォーエバー
ありがとう。ありがとう。
___________________________________
メールマガジン「58秒!小林正観的生き方のエキス」
☆発行責任者:ありがとう三昧堂 ありがとう仙人
☆公式サイト:http://www.mag2.com/
☆問い合わせ:358@aehko.com
☆過去の記事:http://blog.goo.ne.jp/mg2sanmai
☆登録・解除:http://www.mag2.com/m/0001179075.html
__________________________________________
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます