言語空間+備忘録

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中国の失業率

2009-12-09 | 日記
田代秀敏 『中国に人民元はない』 ( p.42 )

 ところが、中国の統計のどこにも、農民の失業はないのである。
 中国の失業統計は、都市戸籍をもっており失業登録している者だけをカウントしており、都市戸籍をもたない農民の出稼ぎ労働者は、失業統計に一切計上されない。都市戸籍をもっていても公的な機関に失業登録できなければ、やはり失業統計に計上されない。
 だから、中国の失業率は、「都市登録失業率」 であって、全国の労働者を対象とした失業率ではない。失業のトータルな実態はまったく不明のままである。
 農民が排除されているのは、失業統計だけではない。農民には、年金がない。医療保険がない。最低賃金の保証もない。そのうえ、農地の使用料を現金で収めなければならない。二〇〇六年に農業税が廃止されたが、その際に中国共産党は 「二千年来の皇糧国税を廃止」 と自画自賛した。要するに、中国共産党が一九四九年に中国人民を 「解放」 した後も、中国の農民は中華帝国伝統の租税体制に組み込まれていたままだったのである。
 中国は都市と農村とがまったく異なる原理で動いている 「二元社会」 である。都市戸籍と農村戸籍とを厳格に分ける戸籍制度は、そうした伝統的な社会構造に即している。
 中国で農民は職業ではなく、階級であり身分である。たとえば、都市戸籍の者と農村戸籍の者とが結婚する場合、都市戸籍の者が農村戸籍に移ることは可能だが、逆は絶対に不可能である。
 都市民と農民との経済格差は拡大するばかりである。その結果として、一億人以上の農民が農地を捨てて都市に流れ込んでいる。だが、農民は都市で社会保障を受けることができないし、その子供たちは義務教育の小中学校にさえ通えない。そうした子供たちのための学校を、篤志家たちが設立しているが、有料にもかかわらず設備は貧弱である。近い将来、そうした子供たちが長じて労働市場に参入しようとしたときには、様々な障壁に直面し、社会そのものに深い恨みと憎しみとをもつのではないかと危惧される。


 中国の統計には、農民の失業はカウントされていない。中国の失業率とは、「都市登録失業率」 であって、全国の労働者を対象とした失業率ではない。したがって失業の実態はわからない、と書かれています。



 アメリカは没落する、次は中国の時代になる、といった意見があります。そこには、日本製品を売る市場として中国が有望である、といった期待が含まれていることが多いと思われます。

 商品を売りさばく市場として中国を考えるのであれば、中国の景気が重要になってきます。景気を判断するデータのひとつに、失業率がありますが、

   中国の統計上、失業率には農民の失業率がカウントされていない

とすれば、数字だけを見ていたのでは、実態を見誤りやすいと思われます。

 当然、「実際の失業率は、統計上の失業率に比べ、高い ( 悪い )」 と考えられます。したがって、中国の失業率は統計数字を割り増して考え、中国の景気は割り引いて考えることが、実態を捉えるうえで、不可欠になります。



 日本では、製造業派遣の禁止などが主張されていますが ( 「雇用対策の問題点」 参照 ) 、

 中国の農民は、( 日本における ) 派遣以上に、雇用の調整弁としての役割を担わされていると考えられます。資本主義国である日本で、共産主義国の中国に比べ、( 雇用の調整弁とされる ) 労働者の待遇がよいにもかかわらず、日本では、( 共産主義国以上に ) 社会保障を強化しろ、という主張がなされている現状は、

   日本は本当に資本主義国なのだろうか?

と思わされます。派遣を禁止して全員を正社員にしろ、という主張もわからなくはありませんが、派遣という雇用形態を認めたうえで、派遣の待遇を改善する方向が、現実的なのではないかと思います ( 「非正規労働者の待遇改善を優先すべき」 ・ 「非正規労働者の待遇改善策」 ・ 「間接的な方法であるところがミソ」 参照 ) 。