言語空間+備忘録

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支那事変 ( 日中戦争 ) と大東亜戦争 ( 太平洋戦争 ) の評価

2009-08-09 | 日記
田母神俊雄 『自らの身は顧みず』 ( p.89 )

 中国やアメリカとの戦争についても日本はむしろ戦争に引きずり込まれた被害者という側面が強いのである。もちろんどの国の歴史にも光と影はある。だが、少なくとも日本だけが侵略国家などと言われる筋合いはないのである。

(中略)

 日本は日清戦争、日露戦争などによって合法的に権益を得てこれを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。
 これに対して中国国民党の蒋介石は頻繁にテロ行為を繰り返した。邦人に対する大規模な暴行惨殺事件も繰り返し発生している。


 日本だけが侵略国家と言われる筋合いはない、と書かれています。



 日本だけが侵略国家と言われる筋合いはない、というのは、まさにその通りだと思います。

 しかし、いまの日本に、「日本だけが侵略国家だった」 と思っている人は、おそらく一人もいないのではないかと思います。したがって、わざわざ強調しなくともよいのではないか、と思います。わかりきったことだからです。

 けれども、



同 ( p.113 )

 戦後、GHQの下で働き労働基本法の策定に携わった米国の日本専門家のヘレン・ミアーズ女史は『アメリカの鏡・日本』(角川書店)で、「歴史的にみてアジアの民衆を『奴隷にしていた』のは日本ではなく私たちが同盟を結ぶヨーロッパの民主主義諸国である」と明確に断じている。
 また、「日本は現地住民に独立を約束した。それだけでなく独立を保障した具体的行動を進めている。一九三五年にはすでに満州での治外法権を放棄していたし、一九四〇年には中国に正式に約束し、一九四三年には中国政府に租借地を返還している。大戦中日本は、実際に、占領したすべての地域に現地『独立』政府を承認していった」として、米国の戦争目的に疑問を呈し、「私たちが『解放』戦争と呼んでいたものは、実はヨーロッパによるアジアの再征服(恥ずかしいことにアメリカが手を貸した)だったのである」と述べている。
 私がこうした歴史を踏まえて言いたいのは、「日本だけが侵略国などと言われる筋合いはない」ということだ。むしろ日本の戦いに誇りを持ってもいいはずのものだ。


 日本だけが侵略国だったどころか、むしろ日本はアジアの民衆を解放したのであり、誇りを持っていいはずのものだ、と書かれているのですが、



 「誇りを持っていいはずのものだ」 とまで言われると、すこし、疑問があります。なぜなら、「中国国民党の蒋介石は頻繁にテロ行為を繰り返した」 り、「邦人に対する大規模な暴行惨殺事件も繰り返し発生している」 のであれば、「日本は日清戦争、日露戦争などによって合法的に権益を得てこれを守るために条約等に基づいて軍を配置した」 とはいっても、中国の民衆は、日本が軍を配置したことに対して不満を持っていた、と考えられるからです。

 とはいえ、日本による 「解放」 戦争だったという側面もあったことは、否定しえないとも思います。したがって、「一方的に恥じ入る必要はない」 ということは言えると思います。



 私としては、

   ・日本だけが侵略国家だったわけではない、
   ・日本は一方的に恥じ入る必要はないが、誇ってはいけない、

というのが、妥当なところではないかと思います。

 おそらく、田母神さんの思っていることも同じであり、愛国心に駆られた田母神さんは、国を憂い、真実を 「伝えたい」 と願うあまり、つい言葉が強くなり、「誇ってもいいはずのものだ」 と書かれたのではないかと思っています。また、そうでなければ、自衛隊は世論の支持を得られないのではないかと思います。

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