言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

中国の技術力

2010-04-27 | 日記
アレクサンドラ・ハーニー 『中国貧困絶望工場』 ( p.21 )

 付加価値的に見た場合、中国の生産シェアは過去一〇年以上も世界最速の成長を遂げている。すなわち、一九九〇年時点では世界の生産高の二・四パーセントを占めていたが、二〇〇六年には一二・二パーセントに拡大し、米国と日本に次いで世界第三位の生産大国になった。
 一九九〇年以降、中国の輸出は毎年平均二桁成長を実現しており、一九八四年の二六〇億米ドルから二〇〇六年には九六九〇億米ドルもの製品を世界に輸出している。米国の経済コンサルティング会社であるグローバルインサイト社は、中国が二〇二〇年に米国を追い抜き、世界最大の生産国になると予測している。二〇〇四年、中国は日本を凌駕し、米国、ドイツに次いで世界第三位の輸出大国に躍り出た。この調子で行けば、中国は二〇〇八年に米国を追い越し、世界最大の輸出国になる。
 中国は伝統的な比較優位の貿易理論 (生産面で得意な分野に特化し、それ以外は他国から輸入することがお互いのメリットになるという理論) に挑戦し、基本的な消費財 (第二次大戦後の輸出ブームで他のアジア諸国が生産してきた靴、衣服、玩具など) からハイテク製品 (コンピュータ用モニター、iPod、携帯電話など) まで、あらゆる製品を生産してきた。
 この挑戦が成功したのは、中国の労働力と外国資本の組み合わせによるところが大きい。中国が国際ビジネスに意欲を示したことにより、世界中の製造業者がその門戸のすぐそばに引き寄せられた。広東省の広州、東莞、深圳 (シンセン) など南方の都市は、自社工場の立ち上げや中国製品の海外売り込みのために中国に移り住んだインド人、ブラジル人、日本人、イスラエル人、英国人、アイルランド人、イタリア人、フランス人、米国人で溢れている。ウォルマートの世界調達センターは香港と境界を接している深圳 (シンセン) に設立されている。IBMも調達部門の最高責任者を深圳 (シンセン) に配置している。
 一九九〇年、中国は三五億米ドルの外国直接投資を受け入れたが、国連貿易開発会議 (UNCTAD) によれば、この金額が二〇〇五年には七二〇億米ドルに激増している。さらに、二〇〇二年から二〇〇五年までの外国直接投資の累積額だけで二三九二・八億米ドルに達している。これらの投資が「世界の工場」の生産設備導入に役立っている。
 ウォルマートは中国から毎年少なくとも一八〇億米ドル相当の製品を仕入れている。二〇〇五年、韓国のサムスンは中国から一五〇億米ドル相当の部材を購入した。自動車メーカーの間でも、特に米ゼネラルモーターズと独フォルクスワーゲンは中国から部品を調達している。今では米航空機メーカーのボーイングでさえ中国から飛行機の部品を買っている。一九八九年から二〇〇五年までの間に、中国は米国向けの輸出シェアを四一分野で拡大した。
 二〇〇六年、米国向け輸出で最大の分野は家電製品や発電機などの電気機器であったが、玩具、スポーツ用品、衣服、家具、靴なども相当輸出した。この年、米国の中国からの輸入額は二八七八億米ドルに達したが、中国への輸出高はわずか五五二億米ドルであった。


 過去 10 年以上、中国経済は急速に成長している。中国経済の特徴は、靴や衣服からハイテクまで、あらゆる製品を生産していることである、と書かれています。



 航空機 ( …の部品 ) を作るには、高度な技術力が不可欠だと思います。( 部品の種類にもよるとは思いますが ) ボーイング社が中国から飛行機の部品を調達していることは、「中国製品の技術レベルは、すでに高い水準に達している」ことを示していると考えてよいと思います。

 もっとも、引用文中に、中国経済が発展したのは「中国の労働力と外国資本の組み合わせによるところが大きい」と書かれているとおり、それらの製品を作っているのが中国企業 ( 中国資本 ) とはかぎらないのですが、外国資本も中国人を雇っているわけですから、

   技術は徐々に ( 中国人に ) 習得され、( 中国に ) 移転しつつある、

と考えるのが適切だと思います。

 中国の技術力を侮ってはならないと思います。



 一般に、経済が発展すると、徐々に高度な製品の製造へと移行する、と考えられています。しかし、中国の場合は、ハイテク分野のみならず、靴や衣服などの ( 比較的単純な ) 製品においても、競争力を有している。とすれば、それはなぜか、が問題になります。

 おそらくは、戸籍制度や、圧倒的な人口など、さまざまな要因によるのであろう、とは思いますが、

 その要因の解明、及び、中国経済の今後を予測するために、次はこの本 『中国貧困絶望工場』 を引用しつつ考えたいと思います。