言語空間+備忘録

メモ (備忘録) をつけながら、私なりの言論を形成すること (言語空間) を目指しています。

中国製品の競争力と世界の状況

2010-04-28 | 日記
アレクサンドラ・ハーニー 『中国貧困絶望工場』 ( p.24 )

 チャイナ・プライスは世界中で製造業の空洞化に対する不安を招いた。例えば、二〇〇四年には、米国通商代表部 (USTR) の求めに応じ、米国の労働組合中央組織であるアメリカ労働総同盟産業別労働組合会議 (AFL-CIO) は中国に対し、「労働者を酷使することで安価な労働力を生み出し、最大で一二〇万人の米国人労働者から職を奪っている」と非難した。
 その後、ワシントンのシンクタンクである経済政策研究所は、二〇〇一年以降、米国の対中国貿易赤字により一八〇万人の就業機会が失われたと見ている。チャールズ・シューマー上院議員 (民主党、ニューヨーク州選出) とリンゼイ・グラハム上院議員 (共和党、サウスカロライナ州選出) は、中国通貨の人民元が低く抑えられているために、米国の製造業界ではこの五年間で三〇〇万人もの失業者が出た、と指摘している。
「製造業の新興勢力たる中国は米国を犠牲にして出現したものである以上、我々は経済安全保障の面で深刻な懸念と疑念を抱かざるを得ない。すなわち、物としての製品を生産する能力を失った国家は果たして経済力を長く保てるのであろうか」
 これはシューマー上院議員の事務所が発表した予言的なプレスリリースである。
 米国の製造業者の多くはこれと同意見である。彼らは中国のライバル企業による米国でのダンピング行為に対し、米国政府が中国製のテレビ、家具、繊維製品に関税を課すように求める訴訟を次々と起こしている。
 ウィスコンシン州ウォータータウンの小型部品メーカーであるフィッシャー・バートン社のリチャード・L・ウィルキー社長は下院歳入委員会で次のように証言した。
「これだけは言わせてもらいたい。わが社の周囲の企業が事業から撤退していくのを数多く見てきたが、その中には私の取引先が何社もあった。全部が全部時代遅れの企業ではなかった。技術分野に巨額の投資を行っていた企業もあれば、近代的なビジネス手法を導入して競争力を維持していたところもあった。彼らの動きはどれも間違っていなかった。だが、それでも中国のために不利な状況に追い込まれたのだ」
 筆者がチャイナ・プライスの存在に初めて気づいたのは、英国の経済紙フィナンシャル・タイムズの記者として東京に派遣されていた頃のことであった。一九九九年、日本のシャーナリスト・グループが本田技研 (ホンダ) の中国生産拠点を視察するというので、筆者もこれに参加した。ホンダは広東省広州市にある工場を買収し、同社の厳格な方針の下に経営していたのである。現地生産車のアコードがフルスピードで飛ばすのを間近に見て、中国には強力な製造国家としての潜在能力があることを肌で感じた。現地生産車であることを知らなければ、少なくとも門外漢の筆者には外観を見ても運転しても日本製のアコードとの違いがわからなかったほどだ。
 それからまもなく、電子機器分野の話を書くことになり、半導体企業の日本人経営者二人に取材した。余談ながら、どちらも中国語を学習中だというので、その理由を尋ねると、「将来、僕たちの仕事を奪いそうな人間のことを深く知っておきたいからね」という答えが返ってきた。
 筆者が今まで耳にしていたのは、「日本人が仕事を奪っている」という話であった。ワシントンの近くで育った頃は日本株式会社に対する脅威が高まっていたし、日本の投資家がロックフェラーセンターやゴルフで有名なペブルビーチを買収したことで米国中が大騒ぎになった時代のことを覚えている。また、日本車は米国で飛ぶように売れていたのに、米国車は日本でそれほど売れなかった。
「日本人は我々とは別の土俵を作って勝負している」
 そんな話も耳に入ってきた。高校では日本語を学んだが、これは我々米国人の経済的なライバルを深く知ろうとしたからである。
 今度は日本が恐れをなす番であった。新聞雑誌は中国が世界に向けて「デフレ輸出」を続けていると批判した。中国は日米双方にとって本物の脅威であるように思えた。そこで、筆者は中国語を学ぶために中国に渡ることを決意した。二〇〇三年、フィナンシャル・タイムズ紙は中国南部 (華南地域) を取材するために筆者を香港へ移動させた。
 他の国々も似たような思いであった。数年後、スペイン製靴業界の中心地エルチェでは、住民数百人が自分たちのビジネスを奪っているのは競合相手の中国企業であると糾弾し、暴力的な抗議行動にまで至った。イタリアでは、家具と製靴の両業界が中国にビジネスを奪取されて大混乱に陥っていた。同じく、スコットランドの漁業関係者も打撃を受けていた。
 貧しい国々も同様であった。メキシコのマキラドーラ (保税加工区) は仕事が中国に流れていくのを落胆しながら見守るしかなかった。ポーランドの製造業者は安価な生産コストで知られていたが、今やそれ以上の低コストを武器とする中国のライバル業者に市場を奪われつつあった。さらに、中国はナイジェリアの繊維工場よりも低価格で勝負してきたのである。


 中国製品の圧倒的な競争力と、中国製品によって駆逐され、仕事が奪われつつある世界各地の状況が描写されています。



 上記記述のうち、次の証言が重要だと思います。

「これだけは言わせてもらいたい。わが社の周囲の企業が事業から撤退していくのを数多く見てきたが、その中には私の取引先が何社もあった。全部が全部時代遅れの企業ではなかった。技術分野に巨額の投資を行っていた企業もあれば、近代的なビジネス手法を導入して競争力を維持していたところもあった。彼らの動きはどれも間違っていなかった。だが、それでも中国のために不利な状況に追い込まれたのだ」

 この証言は、巨額の技術投資を行ったり、近代的なビジネス手法を導入したりしても、中国製品に太刀打ちするのは困難である、と主張しています。つまり、中国製品に太刀打ちするのが困難である理由は、中国製品の技術レベル・ビジネス手法が圧倒的に優っているからではなく、中国製品が安いからです。このことは、

「労働者を酷使することで安価な労働力を生み出し、最大で一二〇万人の米国人労働者から職を奪っている」

という主張からもわかります。



 ここからわかるのは、「多少、高性能・高品質の製品であっても、安い製品には負ける」ということです。

   「( ほとんどの ) 消費者は、多少性能が低くとも、安いほうを選ぶ」

のです。



 このように書くと、いかにも、「中国製品に太刀打ちするのは不可能である」といわんばかりですが、実際には、そんなことはないと思います。競争に勝ち残る方法はいくつか存在します ( …と、私は思います ) 。

 しかし、それは「企業のレベルで」競争に勝ち残る方法がいくつかある、ということであって、「社会全体のレベル・国家のレベルで」考えてどうなのかは、私には、よくわかりません。さらに考えたいと思います ( このブログの趣旨は、後者の視点、つまり、「社会全体のレベル・国家のレベルで」考えてどうか、「世界全体のレベルで」考えてどうか、です ) 。