俺は二言めにはもてたいもてたい言ってるけどほんとうにもてたいのだろうか。
私はもてない男である。この28年間彼女と言う存在がいたことが数日しかない。その数日も実際問題、恋愛に必須のデートやその他もろもろをせず、せいぜい学校から一緒に帰るくらいだったのでそんなもん勘定に入れなければ、人生=彼女いない歴である。
もちろん、私もことあるごとに「彼女欲しいですねえ」「もてたいっすねえ」と言っている。
キャバクラにも通い詰めたし、ヘルス嬢に告白したこともある。もちろん撃沈したが。
ある日、「ホーンテッド!」というライトノベルを読んでいたときのこと。唐突に悟った。
「俺は恋愛したいんじゃなくてラブコメしたいんじゃないだろうか?」
そのとき読んでいたのは、すぐ死にたがるネガティブ美少女に惚れられてしまい、お弁当を作ってこられたシーンのこの台詞
「せ、先輩!私先輩の分もお弁当を作ってきたんです!い、いっしょに食べませんか?あ、あの……やっぱり駄目ですか?そ、そうですよね、私が作ったお弁当なんて食べられませんよね。腐った生ゴミみたいな味がしますもんね、そんなものを毎日食べている私はきっと生ゴミにたかる蠅以下の下等生命体なんですええきっとそうですこんなもの捨ててやる!飛んでけ私の人生ごと!」
この台詞の「飛んでけ私の人生ごと!」が痛くツボにはまってしまい、こんな恋愛したいなあとつぶやいたのだが、即座にこれって恋愛じゃなくてラブコメだよなあと気付いた。
俺はラブコメしたい
→ラブコメができる人材はとてもじゃないが現実にはいない(今まで会ったことがない)
→ゆえに仮想ラブコメの鑑賞(ライトノベルとかアニメとか)で我慢しよう
の3段論法で落ち着いたのだが、現実の女性に対して頑張る気はさらに萎えた。
本田透は「電波男」の中で恋愛資本主義からはじき出されたオタクは自ら「萌え」という市場をつくりだしその中に愛を注ぐと言ったことを書いているが、それがわかってしまった訳だ。
さて、しかし世の中多数の男女がしたい恋愛というのも実はこれに似ているのではないだろうか。恋愛ドラマ、小説を鑑賞することによって恋愛したいという気分が盛り上がり、近場の異性に飛びついてみる。これが恋愛と呼ばれているものではないのだろうか。
だからこそ、世の中には「本当の愛」を探している人間が満ち溢れるのではないか。
ドラマや小説の中にあるような「本当の愛」を体験できるような環境や相手は実はほとんど存在しない。
「稲中卓球部」の中で前野が
「奴らは(世間で普通にくっついている男女は実はうんめいのあいてでもなんでもなく)とりあえずだ」
と喝破しているのが思い出される。
結論:恋愛は求めても手に入らない。あがくだけ無駄。普通に生きていてそばに来てくれる異性と仲良くなれたらいいね。
私はもてない男である。この28年間彼女と言う存在がいたことが数日しかない。その数日も実際問題、恋愛に必須のデートやその他もろもろをせず、せいぜい学校から一緒に帰るくらいだったのでそんなもん勘定に入れなければ、人生=彼女いない歴である。
もちろん、私もことあるごとに「彼女欲しいですねえ」「もてたいっすねえ」と言っている。
キャバクラにも通い詰めたし、ヘルス嬢に告白したこともある。もちろん撃沈したが。
ある日、「ホーンテッド!」というライトノベルを読んでいたときのこと。唐突に悟った。
「俺は恋愛したいんじゃなくてラブコメしたいんじゃないだろうか?」
そのとき読んでいたのは、すぐ死にたがるネガティブ美少女に惚れられてしまい、お弁当を作ってこられたシーンのこの台詞
「せ、先輩!私先輩の分もお弁当を作ってきたんです!い、いっしょに食べませんか?あ、あの……やっぱり駄目ですか?そ、そうですよね、私が作ったお弁当なんて食べられませんよね。腐った生ゴミみたいな味がしますもんね、そんなものを毎日食べている私はきっと生ゴミにたかる蠅以下の下等生命体なんですええきっとそうですこんなもの捨ててやる!飛んでけ私の人生ごと!」
この台詞の「飛んでけ私の人生ごと!」が痛くツボにはまってしまい、こんな恋愛したいなあとつぶやいたのだが、即座にこれって恋愛じゃなくてラブコメだよなあと気付いた。
俺はラブコメしたい
→ラブコメができる人材はとてもじゃないが現実にはいない(今まで会ったことがない)
→ゆえに仮想ラブコメの鑑賞(ライトノベルとかアニメとか)で我慢しよう
の3段論法で落ち着いたのだが、現実の女性に対して頑張る気はさらに萎えた。
本田透は「電波男」の中で恋愛資本主義からはじき出されたオタクは自ら「萌え」という市場をつくりだしその中に愛を注ぐと言ったことを書いているが、それがわかってしまった訳だ。
さて、しかし世の中多数の男女がしたい恋愛というのも実はこれに似ているのではないだろうか。恋愛ドラマ、小説を鑑賞することによって恋愛したいという気分が盛り上がり、近場の異性に飛びついてみる。これが恋愛と呼ばれているものではないのだろうか。
だからこそ、世の中には「本当の愛」を探している人間が満ち溢れるのではないか。
ドラマや小説の中にあるような「本当の愛」を体験できるような環境や相手は実はほとんど存在しない。
「稲中卓球部」の中で前野が
「奴らは(世間で普通にくっついている男女は実はうんめいのあいてでもなんでもなく)とりあえずだ」
と喝破しているのが思い出される。
結論:恋愛は求めても手に入らない。あがくだけ無駄。普通に生きていてそばに来てくれる異性と仲良くなれたらいいね。