真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

6月12日(金)虫プロファンさんの、コメントに

2020年06月12日 23時59分44秒 | 日誌
コメントを頂きました
W3についての疑問に思っていることは (虫プロファン) さんの、コメントです。

最終話(1966年6月27日放送)の前4回分の放送はいわゆるリピート放送(以前に放送済みのエピソードを再度放送)だったわけですが、
なぜそうなったのか本当の理由が知りたいです。

私が、記憶していること。
『W3』31話の時、TBSで『ウルトラQ』が始まり、視聴率が今までの20%台から、31話は、9.3%、になりました。
そこで放送時間を、36話 から、19時30分に変更して、18.7%と回復いたしました。
フジテレビも特撮番組制作を放送したいと言い出しましたが、虫プロでは余力がありませんでした。

フジテレビはこれを東急エージェンシーに依頼、渋谷に事務所を置いていた、営業の穴見専務にも打診がありました。
ピー・プロダクションで特撮「クラブ君の冒険」のパイロットフィルムを作りました。

うしおそうじ(鷺巣富雄(さぎす とみお)ピープロ社長が虫プロダクションに、見せに来て、試写しました。
先生はじめ。虫プロ役員などで見せてもらいましたが
たまたま、穴見常務に会いに来ていた、東急エージェンシーの上島一男プロデューサーも見ました。
W3の後番組として、スポンサーロッテに、売り込みました。
ロッテからは「手塚ものを続られないか」と言う要望があり、うしおそうじ先生が手塚先生に相談しました。
先生からはは、「マグマ大使」や「ビッグX」が良いと言う、事だったと聞いております。
フジテレビ別所孝治プロデューサーから、穴見専務を通じて、「マグマ大使」を特撮でやらせてほしいと、挨拶があったと言う事でした。

W3の52話、最終回は、私が、進行を担当し、演出助手の仕事までやり、大変でした。
  
(セリフ台本の裏に、サインしてもらいました)
アフレコ、音楽取り、ダビング、まで付き合い、完成フイルムを、フジテレビに、私が、5月に、納品しました。
阿佐ヶ谷駅南、中杉通 にあった、杉並会館で打ち上げも済んでいます。
そのあと解散して、各班に振り分けられました。
私も、悟空の大冒険班に、移動するはずが、社長室の応募があり、受けました。
辞令を貰ったのが、6月16日付、その前から社長室へ、行っておりますので、最終回6月27日に、W3班は、なかったと思います。
     
急遽決まった、「マグマ大使」、制作期間を確保するために、制作が終わっていた、W3を再放送して、時間を稼ぎました。
それが再放送の理由だと思っております。
5月23日 第51話「地底のクジラ」放送後
5月30日 (第3話)再放送 「シャングリラの謎」
6月6日 (第25話)再放送「死の自動車レース」
6月13日 (第24話)再放送「謎の発明家」
6月20日(第19話)再放送「フェニックス物語」
6月27日 第52話 「サヨウナラ・W3」

1966年7月4日「マグマ大使」第1話 「わたしがゴアだ」放送となりました。(アメリカの独立記念日)

★また、雑誌連載は1966年5月8日号で最終ですからについて、
     
4月23日(土)発売の第18号(デラックス号)で終わっていますから、遅くても、4月21日には、手塚先生の手を離れています。
     

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寝ていない、
06時50分、「言葉検定」正解、
07時15分、「はね駒」
07時30分、「エール」途中で、
07時44分、「お天気検定」、終わっていた(涙)
07時45分、「こころ旅」 途中から「ニュース検定」、正解
野口英雄     
08時、「エール」を地デジで、見直す。
08時19分、血圧体温を記録。
08時15分、体重を量り、着替えて、下に行く。
歯磨き洗顔、 朝食準備、 食べながら、パソコン。
09時20分、母屋へ行く。
妻の着替えと、布団仕舞う、朝食
燃やせるゴミ類、出す準備。
10時、洗濯物とごみ袋を持って部屋へ、
洗濯物を干す。
ゴミを出す。
11時50分、デミグラスハンバーグ弁当、
シュウマイ弁当を3個、持って行く。
12時、次男に声をかける。
電子レンジで温める。
長男の部屋にも、持って行ってもらう。
妻の分も温め、デミグラスハンバーグ弁当で、
テレビを見ながら、妻と、昼食。
12時15分、弟から久しぶりの電話、「検査入院していた」と言うと、
「連絡ぐらいしろよ」
心配かけたくないものね。
14時、部屋に行く。
パソコンなど。
16時、洗濯物を取り込む。
母屋へ行く、
お風呂を沸かし、妻と、六仙公園を一回り。
16時50分、家に戻り、洗濯物を片付ける。
食器を拭いて、片づけ。
プラごみの裁断、ペットボトルのキャップ外しとラベルはがし。
ごみの処理など。
17時、妻を呼び、お風呂に入れる。
17時35分、風呂から出し着替え。
17時45分、布団を敷いてあげる。
18時40分、部屋に戻る。
メールのチェックなど。
ご飯の上にカレーをかけ、電子レンジで温める
食べながら、パソコン、ナンプレ放題。
19時45分、 雨が降っている、車でイオンへ行く。
金曜日、雨、ほとんど売り切れ。
予算が少しオーバーするが、
桃花の、鶏肉とカッシュナッツ炒め弁当、
中華セット弁当、
エビチリ炒飯、
豆福で、豆腐と茄子の味噌和え丼を、
20時08分、セルフレジで買う。
20時15分、家に戻る。
妻の、歯を磨こうとしていた。
食器を片付ける。
エアコンタイマーを1時間、入れ、
電気など消し、次男に、声をかけ。
20時50分、部屋に戻った。
21時55分、パソコン内の資料を集め、コメントを頂いた、返事を書き始める。
23時35分、ブログを書き始める。
23時59分、今日は、寝なくては、ブログを投稿する。
★------------------------------------------------------------------------------★
 昨日:3738歩、起床:ー時ーー分、血圧:126、56、脈拍:57、体温:35.7、体重:58.6、天気:晴/くもり/雨
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W3のなぞ (虫プロファン)
2020-06-13 01:20:56
W3の最終話とマグマ大使放映開始の関係を深く再認識させて頂きました。個別の事情は知っていましたが、それらの流れとしては把握していませんでした。

W3を観たのは本放送時、それから7年後の1972年
(あるいは1973年?)に地方局による再放送が
あったのがテレビで見た最後でした。モノクロだっ
たために、それ以降には放送にはのぼらなくなった
のでしょう。そうしてDVD-BOXが出たときに買っ
て、それが3度目でした。第二回目のとき最終話の
音声をテープにとって何度も聞いていたので、最終
話には特に思い入れがあります。残念だったのは、
DVD化されたときに、最終話放送の本編の最後の
シーンで、宇野誠一郎先生の音楽が完全に鳴り終え
てしみじみと余韻を残す程度の時間的な余裕が
再放送のフィルムのときまではあったのに、DVDで
はまだ鳴り終わらない段階ではバタッと切れていた
と感じたことでした。
 
さて、W3にはまだまだいくつかわからないことが
ございます。たとえば放送エピソードのタイトル
が資料によって異なっているものがあることも
その1つです。

また
W3第4話「くすの木物語」1965年6月27日放送
 脚本:若林一郎、演出:柴山達雄
この物語は、内容的には後の実験アニメ
「森の伝説」のプロトタイプ(試験作品)的な
性格のもので、BGMもベートーベンの田園を
ほぼ丸々採用しているという点でも、ディズニ
のシリーシンフォニー指向的だったといえる
でしょう。

でもこれには手塚治虫の名前はクレジットされて
はいないようです。はたして脚本担当の
「若林一郎」氏の独自脚本だったのでしょうか?
田園を丸々使うという案は誰の提案発案だったか
など。

くすの木は宝塚の手塚実家屋敷に大木が生えて
いて、いくつかの漫画作品のネタにもなって
います。(たとえば樹の精が庭木屋に夢に出て
来て切らないでくれと訴えたというような話
なども。『新聊斎志異・女郎蜘蛛』だったかな?)。
http://mushimap.com/kyutezukatei/
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