真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

2011年3月20日 日曜日 何故3号機を優先させるの

2011年03月20日 15時40分55秒 | Weblog
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 何故3号機を優先させるのか。
報道を見ていて疑問に感じたのは私だけでは無いと思う。4号機の使用済み燃料を置いてあるプールの水位が下がっていて危険だから、危険を顧みず注水する。と政府や東電が説明したにも関わらず、3号機を優先に注水している。疑問に感じ、ニュースを注意深く見ているが、どのマスコミもその事を疑問に思っていないのか、言わない。
 これはおかしい、今まさに、戦時中の報道管制が敷かれていると疑い、ならばネットで調べてみようと、徹夜した。意外な所からそのわけを見つけた。ウィキペディアで福島第一原子力発電所の沿革を読んでいて疑問を感じた。
福島第一原子力発電所は、
福島県双葉郡大熊町および双葉町にまたがる東京電力の原子力発電所です。
〒979-1300 福島県双葉郡大熊町大字夫沢字北原22番地
北緯37度25分17秒東経141度02分01秒座標: 北緯37度25分17秒 東経141度02分01秒
沿革
1960年(昭和35年)11月29日:福島県から東京電力に対し、双葉郡への原子力発電所誘致の敷地提供をする旨を表明する。
1961年(昭和36年)9月19日:大熊町議会にて原子力発電所誘致促進を議決する。
10月22日:双葉町議会にて原子力発電所誘致を議決する。
1964年(昭和39年)12月1日:東京電力が大熊町に福島調査所を設置する(65年福島原子力建設準備事務所、67年福島原子力建設所となる)。
1966年(昭和41年)1月5日:公有水面埋立免許の許可を申請する。
7月1日:1号機の原子炉設置許可申請を提出する。
12月1日:1号機の原子炉設置許可を取得する。
12月23日:漁業権損失補償協定を周辺10漁協と締結する。
1967年(昭和42年)9月18日:2号機の原子炉設置許可申請を提出する。
9月29日:1号機を着工する。
1968年(昭和43年)3月29日:国が2号機の原子炉設置を許可する。
1969年(昭和44年)4月4日:福島県と東京電力の間で「原子力発電所の安全確保に関する協定」が締結される。
7月1日:3号機の原子炉設置許可申請を提出する。
1970年(昭和45年)1月23日:国が3号機の原子炉設置を許可する。
7月4日:1号機において核燃料を初めて装荷する。
11月17日:1号機の試運転を開始する(翌年5月11日に記念式典を実施する)。
1971年(昭和46年)2月22日:5号機の原子炉設置許可申請を提出する。
3月26日:1号機の営業運転を開始する。
8月5日:4号機の原子炉設置許可申請を提出する。
9月23日:国が5号機の原子炉設置を許可する。
12月21日:6号機の原子炉設置許可申請を提出する。
1972年(昭和47年)1月13日:国が4号機の原子炉設置を許可する。
12月12日:国が6号機の原子炉設置を許可する。
1974年(昭和49年)7月18日:2号機の営業運転を開始する。
1976年(昭和51年)3月22日:「原子力発電所周辺地域の安全確保に関する協定」を「立地4町を加えた三者協定」へと改定する。
3月27日:3号機の営業運転を開始する。
1978年(昭和53年)4月18日:5号機の営業運転を開始する。
10月12日:4号機の営業運転を開始する。
1979年(昭和54年)10月24日:6号機の営業運転を開始する。
2000年(平成12年)1月7日:3号機において実施予定であったMOX燃料の装荷について延期する旨を県知事に報告する。
2001年(平成13年)2月26日:佐藤栄佐久福島県知事(当時)が3号機プルサーマル計画について、当面許可しない旨を表明する。
2002年(平成14年)8月29日:東京電力、原子力安全・保安院が原子力発電所における点検・補修作業の不適切な取り扱いについて公表する。
10月25日:東京電力が1号機の原子炉格納容器漏洩率試験における不正に関する報告書を経済産業省に提出する。また、1号機の1年間の運転停止処分を受ける。
2003年(平成15年)4月15日:定期検査時期等も重なり、東京電力の運転する原子力発電所全号機が運転を停止する。
7月10日:佐藤栄佐久福島県知事(当時)が6号機の運転再開を容認する。
2005年(平成17年)7月30日:1号機の運転を再開する。
2006年(平成18年)12月5日:1号機における復水器海水出入口温度測定データの改ざんについて報告する。
2007年(平成19年)7月24日:新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原発での事故を受け、日本共産党福島県委員会、同県議会議員団、原発の安全性を求める福島県連絡会が連名で東京電力に対して「福島原発10基の耐震安全性の総点検等を求める申し入れ」を提出[2]した。
2010年(平成22年)2月16日:福島県知事は2月定例県議会で、東京電力が福島県に申し入れていた福島第1原発3号機でのプルサーマル計画実施について、条件付で受け入れることを表明した。同知事は、昨年から県エネルギー政策検討会を再開して検討してきたこと、核燃料サイクル推進という国の方針、玄海原発でのプルサーマル発電の開始などに言及、受け入れる考えを述べた[3]。
9月18日:3号機のプルサーマル発電、試運転開始。
10月26日:3号機のプルサーマル発電、営業運転を開始

 昨年の10月 3号機だけプルサーマル発電をしていた。プルサーマル聞いたことがある、悪魔を思わせるやな名前である。
1号機 出力 46.0万 kw
燃料 二酸化ウラン約 69 t / 年
着工日 1967年9月 営業運転開始日 1971年3月
2号機 出力 78.4万 kw
燃料 二酸化ウラン約 94 t / 年
着工日 1969年5月 営業運転開始日 1974年7月
3号機 出力 78.4万 kw
燃料 MOX燃料 (プルサーマル)約 94 t / 年
着工日 1970年10月 営業運転開始日 1976年3月
4号機 出力 78.4万 kw
燃料 二酸化ウラン約 94 t / 年
着工日 1972年9月 営業運転開始日 1978年10月
5号機 出力 78.4万 kw
燃料 二酸化ウラン約 94 t/年
着工日 1971年12月 営業運転開始日 1978年4月
 3号機だけ燃料が違う、これが問題なのでは。
MOX燃料
MOX燃料(モックスねんりょう)とは混合酸化物燃料の略称であり、使用済み燃料中に含まれるプルトニウムを再処理により取り出し、
二酸化プルトニウム(PuO2)と二酸化ウラン(UO2)とを混ぜたものである。
主として高速増殖炉の燃料に用いられるが、既存の軽水炉用燃料ペレットと同一の形状に加工し、
核設計を行ったうえで適正な位置に配置することにより、軽水炉のウラン燃料の代替として用いることができる。
これをプルサーマル利用と呼ぶ。
MOXとは(Mixed OXide)の頭文字を採ったものである。
問題点
ウラン新燃料に比べ放射能が高い(特に中性子が著しく高い)ため、燃料の製造については遠隔操作化を行い、作業員の不要な被曝に十分配慮して行う必要がある。
ウラン中にプルトニウムを混ぜることにより、燃料の融点が下がる。これにより燃料が溶けやすくなる。また熱伝導度等が、通常のウラン燃料よりも低下する。これにより燃料温度が高くなりやすくなる。
核分裂生成物が貴金属側により、またプルトニウム自体もウランよりも硝酸に溶解しにくいため、再処理が難しい。
FPガスとアルファ線(ヘリウム、ガス状)の放出が多いため、燃料棒内の圧力が高くなる。
性質の違うウランとプルトニウムをできる限り均一に混ぜるべきであるが、どうしてもプルトニウムの塊(プルトニウムスポット)が生じてしまう(国は基準を設けて制限しているが、使用するペレット自体を検査して確認することはできない)。

プルサーマル
プルサーマルとは、プルトニウムで燃料を作り、従来の熱中性子炉で燃料の一部として使うことを言う。なお、プルサーマルとは、プルトニウムのプルとサーマルニュートロン・リアクター(熱中性子炉)のサーマルを繋げた和製英語(plutonium thermal use)である。なお、軽水炉は熱中性子炉の一種である。
通常の軽水炉との違い
通常、軽水炉ではウラン235とウラン238を混合したウラン燃料(二酸化ウラン)を核分裂させることで熱エネルギーを生み出すが、ウラン238が中性子を吸収し2度のβ-崩壊を経てプルトニウム239が生成され、そのプルトニウム239自体も核分裂する。その結果、発電量全体に占めるプルトニウムによる発電量は平均約30%となる(プルサーマル発電を行なわない場合でも、運転中の軽水炉の中にはプルトニウムが存在し、ウラン同様に発電に利用されていることに注意)。それに対し、プルサーマルではMOX燃料と呼ばれるウラン238とプルトニウムの混合酸化物(Mixed Oxide)を燃料として使用する。プルサーマルで使われるMOX燃料はプルトニウムの富化度(含有量)が4~9%であり、MOX燃料を1/3程度使用する場合、発電量全体に占めるプルトニウムによる発電量は平均50%強となる。
なお、高速増殖炉でもMOX燃料が使用されるが、プルトニウムの富化度は20%前後である
欠点
しかし、プルサーマル方式は、元々ウラン燃料を前提とした軽水炉でプルトニウムを(一部)燃やすこともあり、経済的な課題のほか、技術的に見て課題点が多い。
再処理に関わる部分
軽水炉からの高レベル核廃棄物をそのままガラス固化させる場合と比べ、事故が発生する可能性が飛躍的に高まる
再処理によって核廃棄物は却って増える(一般的な資源のリサイクルと異なる点)
冷戦終結後、ウラン資源の需給は安定しており、再処理で製造したMOX燃料では経済的に引き合わない状態になっている(つまり、プルサーマル計画自体が不経済)。
再処理を行なうと核燃料の高次化が進むため、最大でも2サイクルまでしか行なえない(高速増殖炉の場合はこの問題は発生しにくい)[3]。
これに対し原子力関係者は使用済み燃料の発生量や再処理工場の能力などから1サイクル目が終わるのは来世紀などと考え向き合うことを避けている。
再処理を行っても、利用できるのは使用済み核燃料のうち1~2%を占めるプルトニウムのみで、燃え残りウランは高速増殖炉のメドが立っていない現在、利用するアテがない。
MOX燃料の軽水炉での燃焼に関わる部分
高速増殖炉と比べて燃焼中に核燃料の高次化が進みやすく、特にアメリシウム241が生成されやすくなる。核燃料の高次化が進むと、反応が阻害され、臨界に達しなくなってしまい、核燃料として使用できなくなる。
上記と関連し、事故が発生した場合には従来の軽水炉よりプルトニウム・アメリシウム・キュリウムなどの超ウラン元素の放出量が多くなり、被ばく線量が大きくなると予測される。
原子炉の運転や停止を行う制御棒やホウ酸の効きが低下する。[4]
燃え方にムラが生じ、よく燃えるところの燃料棒が加熱・破損しやすくなる。もっとも、これは現行の方式ではコストを下げるために一部の燃料棒のみにMOX燃料を入れるから起きる現象で、コスト面を犠牲にして全燃料棒にMOX燃料を入れるように変更すれば回避できる。
水蒸気管破断のようなPWRの冷却水温度が低下する事故や、給水制御弁の故障のようなBWRの炉内圧力が上昇する事故が発生した場合において、出力上昇速度がより速く、出力がより高くなる。(燃料体の設計および原子炉内での配置を工夫することによって対処が可能[4])
MOX燃料そのものの持つ危険性

日本国内での動向
日本においてプルサーマル計画が注目を集めたのは、もんじゅの事故により高速増殖炉の開発の見通しが立たなくなったことがきっかけである。日本においても、プルサーマルの開始に向けて、国による安全審査や地元の事前了解が進んでいたが、住民投票による反対(新潟県)などにより、計画は遅れていた。他の反対の事例としては、福島県知事(当時)の佐藤栄佐久が、発電所から距離のある地域を含めた県全体の観点や自身の戦略等から、地元の意向を別に強く反対してきた、といったことがある。

一方で、2006年(平成18年)3月に、九州電力の玄海原子力発電所3号機で実施したいという申し入れに、佐賀県知事の古川康は事前了解を出した。また、2008年(平成20年)1月には、福井県知事の西川一誠が高浜原子力発電所の3、4号機で、2010年(平成22年)までにプルサーマル発電を実施する計画に事前了解を、静岡県知事の石川嘉延が浜岡原子力発電所でのプルサーマル発電に事前了解を出す など、地元の同意も背景に、プルサーマル発電計画は着実に実施に向かって進んでいる
プルサーマル発電での営業運転中の原子炉
九州電力 玄海原子力発電所3号機 2009年(平成21年)11月5日より試運転開始。同年12月2日より、営業運転を開始。
四国電力 伊方原子力発電所3号機 2010年(平成22年)3月2日より試運転開始。同年3月30日より、営業運転を開始。
東京電力 福島第一原子力発電所3号機 2010年(平成22年)9月18日より試運転開始。同年10月26日より、営業運転を開始。
関西電力 高浜原子力発電所3号機 2010年(平成22年)12月25日より試運転開始。2011年(平成23年)1月21日より、営業運転を開始。
現在までに事前合意が成立しているプルサーマル発電計画 [編集]中部電力 浜岡原子力発電所4号機 2012年(平成24年)3月以降に導入予定。
関西電力 高浜原子力発電所4号機 2011年(平成23年)夏から導入予定。
中国電力 島根原子力発電所2号機
北海道電力 泊原子力発電所3号機
東北電力 女川原子力発電所3号機 2015年(平成27年)度までに導入予定。
現在計画中のプルサーマル発電計画 [編集]電源開発 大間原子力発電所1号機 2014年(平成26年)度に運転開始予定。(建設中)
プルサーマル計画の進捗状況 プルサーマル計画は、核燃料の検査データ不正や原発事故により、当初計画が10年以上遅れている。

1972年(昭和47年)6月1日 国の原子力開発利用長期計画において、プルサーマル実施を明記。
1986年(昭和61年) 日本原子力発電が敦賀原発1号機で、関西電力が美浜原発1号機で、それぞれ少数体のMOX燃料の健全性を確認する試験を、1995年(平成7年)まで実施。
1994年(平成6年)6月24日 原子力開発利用長期計画で、1990年代後半からのプルサーマル本格実施を計画。
1997年(平成9年)2月4日 プルサーマルを含めた核燃料サイクルの推進について閣議了解。
1998年(平成10年)
2月23日 福井県および高浜町へ、高浜原発3・4号機でのプルサーマル実施について安全協定に基づく事前了解願いを提出。
5月8日 福井県および高浜町から、プルサーマル実施に関する原子炉設置変更許可申請の手続きを進めることを了承。
5月11日 通商産業省に原子炉設置変更許可を申請。
12月16日 通商産業省から高浜発電所での原子炉設置変更許可を取得。
1999年(平成11年)
6月17日 福井県および高浜町からプルサーマル実施について事前了解を取得。
7月21日 - 10月1日 高浜原発4号機用BNFL製MOX燃料をイギリスから輸送し高浜発電所へ搬入。
9月13日 BNFLで加工中の高浜原発3号機用MOX燃料に検査データ不正問題が判明(詳しくは原子力発電のウソ一覧を参照)。
12月16日 受け入れ済みの4号機用MOX燃料にも検査データ不正問題が判明。当該燃料の使用を中止。
2002年(平成14年)7月4日 - 9月18日 高浜原発4号機用BNFL製MOX燃料を高浜発電所からBNFLへ返送。
2003年(平成15年)10月23日 海外MOX燃料調達に関する品質保証活動の改善状況について、国、福井県、高浜町等に報告。
2004年(平成16年)
2月5日 海外MOX燃料調達に関する品質保証活動の改善状況について、原子力安全・保安院が評価・公表するとともに、原子力安全委員会に報告。
3月11日 原子力安全委員会が原子力安全・保安院の評価を妥当と判断。
3月20日 今後プルサーマル計画を進めていくことについて、福井県、高浜町が了承。
3月31日 MOX燃料製造に関する品質保証体制を確認する基本契約を、原子燃料工業およびコモックス社(フランス)と締結。
7月12日 原子燃料工業熊取事業所およびコモックス社メロックス工場に対する品質保証システム監査結果を国、福井県、高浜町等に報告。
8月9日 美浜原発3号機2次系配管破損事故が発生。プルサーマル計画の準備作業を休止。
2007年(平成19年)2月7日 美浜原発3号機の本格運転を再開。
2008年(平成20年)
1月30日 プルサーマル計画の準備作業を再開。
2月12日、18日 - 21日 原子燃料工業熊取事業所および、コモックス社メロックス工場に対する品質保証システム監査を再度実施。
3月14日、17日 同監査結果を国、福井県、高浜町等に報告。
3月31日 高浜原発3、4号機用MOX燃料16体の調達に関する本案約を原子燃料工業と締結。
10月16日 - 23日 原子燃料工業および、コモックス社メロックス工場に対して定期監査を実施。
11月10日 高浜原発3、4号機用MOX燃料調達に係る輸入燃料体検査申請を行なう。
11月21日 高浜原発3、4号機用MOX燃料32体の調達に関する契約を原子燃料工業と締結(2回目装荷用)。
2009年(平成21年)
1月30日 高浜原発3、4号機用MOX燃料の製造開始。
11月5日 玄海原発3号機のプルサーマル試運転開始。
12月2日 玄海原発3号機のプルサーマル営業運転開始。
2010年(平成22年)
3月2日 伊方原発3号機のプルサーマル試運転開始。
3月30日 伊方原発3号機のプルサーマル営業運転開始。
9月18日 福島第1原発3号機のプルサーマル試験運転開始。
10月26日 福島第1原発3号機のプルサーマル営業運転開始。
12月25日 高浜原発3号機のプルサーマル試験運転開始。


プルトニウムが放出するアルファ線は、短い距離しか体内を透過しない。
飲みこんだ場合は、ほとんど排泄されてしまう。
しかし、吸いこんでしまうと長い間、肺に付着し、徐々に血液中に入る。
プルトニウムの毒性はアルファ線によるものなので、吸いこんだ場合に、大きな影響が出る。
なのに、やもうえず、放水して空中拡散させている恐ろしさがある。
プルトニウムの毒性には、放射線の毒性と化学的な毒性が考えられる。
 放射線の毒性は、プルトニウムが放出するアルファ線によるもので、このアルファ線は人体の中を極めて短い距離しか透過しない(組織の中で約40ミクロン、骨では約10ミクロン)。 この短い距離の間に、アルファ線は細胞や組織、器官に全部のエネルギーを与え、それらの機能を損なわさせる。プルトニウム1g当たりの放射能の強さは、同じようにアルファ線を放出するウランに比べてかなり高くなるので、放射線の毒性も強くなる。
 プルトニウムは、半減期が長いことも毒性に関係している。一番存在量の多いプルトニウム239の半減期は、約2万4000年で、長い間にわたってアルファ線を出し続けている。しかし、人体は異物を排除する排泄機能があるから、プルトニウムを体内に取り込んでも一生体内にとどまっているわけではない。プルトニウムが体内にとどまる時間を表す生物学的半減期は、骨では50年、肝臓で20年と評価されている。化学的な毒性
プルトニウムは、ウランと同様に腎臓に対する化学的な毒性が考えられる。しかし、化学的な毒性は放射線の毒性よりもはるかに小さいと考えられている。
ほとんど排泄される経口摂取
プルトニウムは無傷の皮膚からは体内に吸収されない。傷があると、そこから侵入し、比較的長い時間その場所にとどまり、ゆっくりとその部分のリンパ節に集まる。また、血液の中に入ったものは、肝職や骨に付着する。
プルトニウムが体内に取り込まれるのに、飲食物などを介して口から入る(経口接取)か、呼吸を通して吸入される(吸入摂取)かの二通りが考えられる。
飲み込んだプルトニウムは、消化管にほとんど吸収されずに排泄されてしまう。消化管から吸収される割合は、年齢や化合物の種類で異なり、大人の場合、酸化プルトニウムで約0.001%、硝酸プルトニウムで約0.01%とごくわずかである。

肺に付着する吸入摂取
 一番影響が大きいのは吸い込んだ場合だ。吸い込まれたプルトニウムは、長い間、肺に付着する。しかし、人体は、器官に生えている繊毛という毛がチリなどの異物をつかまえ、粘液と一緒に食道に送り排泄するメカニズムを持っている。吸い込まれたプルトニウムもこの働きによって体外へ排泄されるから、肺に付着するのは4分の1程度。肺に付着したプルトニウムは、徐々に血液の中に入り、リンパ節や肝臓、骨などに集まり、排泄されずに長くとどまる。

 これだったのだ恐れているのは。
新たにほうれん草に、放射性物質が検出されたと言う。これがプルトニウムで、ないことを祈るだけ。

 私が、どうこう、出きる筈も無いし、そんなに心配していると、おかしくなるよ、といわせはたと気がつく、確かにおかしくなっている、心配しすぎだ、自分は既に居なくなっているのに、子殿たちの将来を心配している。考えてみた。
 多分、   今まで、原子力発電は危険だと、行動せず、何も出来なかった事への、自己嫌悪、経った、半年、映画作りのため独学で勉強しただけでも、危険祭がわかるのにと言う、ジレンマ。いや違う、どうしようも無くなった時の、自分への言い訳、何かしたんだと言う証し、
 やはりおかしくなっている。
パソコン机に置いてある、電波時計が、遅れている。いつもは正確なので15,6日に合わせたはず。
 ふと気がついた。電波は福岡のおおたかどや山標準電波送信所から届くはず。
ひょっとしたら、電波がとまっているのでは。
おおたかどや山標準電波送信所(40kHz)は停波中です
3月12日19時46分、福島原発周辺地域に避難指示があったことを受け、
おおたかどや山送信所の要員も地域外に退避しました。これに伴い、
同送信所からの標準電波は送信を停止しています。
なお、はがね山標準電波送信所(60kHz)は通常通りの運用を行っています。
また、NICT本部(小金井市)で運用している日本標準時システムも
正常に運用しています。計画停電の際にも自家発電機を使用して運用は
継続されます。

なお、おおたかどや山標準電波送信所の運用停止期間中でも、はがね山
標準電波送信所の電波が受信できる電波時計は正常に時刻合わせを
することができます。はがね山標準電波送信所の電波が受信できない
地域、機種の電波時計は自動的な時刻合わせができなくなりますが、
その間は通常の時計として機能しますので、すぐに時刻が大きくずれる
心配はありません。
利用者の皆様にはご迷惑をおかけしますが、ご理解のほどお願い申し上げます

 なるほど、やはり止まっていたのだ。 電波を受け取らないとこんなにも遅れてしまう時計だったのだ、私同様、古いから、仕方ないが。

 今日は一歩も外には出ずに居た、これといった用事は全て「今回の  」と言う断り書きで、ことごとく中止となってしまっている。外に出ないにこした事はないか。
長男は、こんな中忙しいのでと12時お昼を食べて出かけて言った。
 ディスクトップパソコン5台の調子は、2号機にホームページビルダーをインストールしておこうと思ったら、SP2のなにやら影響でエラーメッセージ。そっちがその気なら、別に、インストールしなくても、かまわないと、諦める。
20時夕食を食べ、21時風呂が沸いたと呼ばれ、下に降りていくと、長男が帰って来ていた。
 風呂から出て、この文章を書いている。
おかしくなるからテレビはつけていない。それに、横になると、地震酔いする見たく思えてしまう(実際に横になったときに地震が来ていたのだが)
 石油がなくても食料品がなくても、生活用品がなくなっても、そのうちどうにかなるだろう。
今はただ静かに、時が過ぎていくよう、身を縮めていよう。吹く風はいつかは止まり、晴れの日は必ず来る。
 明日から売れ残った、牛乳を目にし、野菜を見向きもしなくなった、奥さんたちを見るであろう。
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