真佐美 ジュン

昭和40年代、手塚治虫先生との思い出「http://mcsammy.fc2web.com」の制作メモ&「日々の日誌」

ジャングル大帝 主題歌騒動記3

2006年09月05日 16時15分57秒 | 虫プロジャングル大帝
10月2日から3日にかけて、伊豆の伊東へ旅行していた。食事のあと、参加できなかった、辻さんが、差し入れたウイスキーを飲みながら会議が始まった。
「CMソングをはずさなければ、オレはおりるぞ」
おりるとは、責任のある今の役職を辞めると言うことで、あくまで会社を辞めるということではなく、社員が上司を脅かす時に、オレはおりるという言葉をしばし使っていた。
あまり良くない慣例であったが、虫プロでまねするものがでて、何か在るとすぐに「俺は降りる」と言うのが流行って、悪習となってしまった。
よった勢いか、「オレもおりるぞ!」「オレもおりるぞ!」と全員がおりるという結論に達して、意気揚々と帰ってきたと言う。
伊藤温泉事件である。

この不穏な空気はすぐに役員の知るところとなった、誰かがわざと、リークしたのである、心配した手塚社長は、穴見常務に
「もしものことがあったら困るので、フジテレビの映画部長の耳に入れておいてくれと」
と頼み、合わせて対策も頼んだ。
アトムとワンダースリー班には、手塚派といわれる人たちが居ることが力強かったと手塚先生はあとで語っていた。

穴見常務はフジテレビの部長から
「スポンサーにおりろなんていう、プロダクションは、民放始まって依頼の不祥事、前代未聞だ!一体全体何様のつもりで居るんだ!」
と怒鳴りつけられたと言う。このことがテレビ局と虫プロの力関係が弱まるきっかけになった。

穴見常務の立場に同情した三洋電機の亀山さんは、ジャングル班のスタッフを、説得しようとわざわざ富士見台の手塚邸まで赴いた。あらかじめ連絡をいれて3時に会うことになった。
2時半には手塚邸についた、説得するものとして早めについて礼儀を示したのであった。そう言う意味では、かなりの人格者であると、手塚先生も穴見常務も感心させられていた。

穴見常務に電話が入った、
「軽い交通事故を起こしたため、遅れる、たいしたことではないので心配しないように」
と言う連絡であった。
師や、穴見さん、それに亀山さんたちまでが心配した。
4時を過ぎ暎一さんが、応接間に到着した、
「事故は大丈夫、怪我は無かった」
と心配して声をかけた。
「お待たせして、すみません」
と暎一さんは冷たく答えた

「今回の件で三洋電機側のおっしゃることはわかります」
と言い
「しかし、スタッフは自分がしている仕事はベストと、信じています、ぼくの仕事は、そのスタッフを信じてやることです。ですから、今ここで、ぼくの口から、ハイどうぞと言う言葉を申し上げるわけには行きません」
といったと、暎一さんは書いている。そして
このことはジャングル大帝の作品とスタッフを暎一さん自身が評価してなく、やるなら勝手にやれといっていることになってしまったと。暎一さんは気付いたとも語ている。

亀山さんはそんな暴言にも腹を立てず
「私は今日、あんたと、肩を並べて、放送を見ようと思って来たんやで」
と悲しそうに述べた、それに対し
「すみません」
と冷たく頭を下げ出て行った。

 実は、この時の交通事故は嘘で、ボーリングをして、わざと遅れたことも、暎一さんは書いている。

第2スタジオ2階中央の南側天井付近に棚が作られ、そこに電気屋さんがカラーテレビをセットしていった。
他の班のスタッフも集り、後ろに立って見た、10月6日水曜日午後7時「ジャングル大帝」の放送が、開始された。

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