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津々浦々 漂泊の旅

「古絵はがき」 に見える船や港。 そして今、バイクで訪ねた船や港のことなど。       by ななまる

三檣スクーナー「高砂丸」

2012-04-14 | 日記
八戸港に売船待ちで係留されていた漁船「第十一漁運丸」124460/JD2513は、3.11東日本大震災で被災し、
無人のまま北米アラスカ州沖まで漂流した。抹消登録した船が漂流していたのである。04.05午後(日本時間
04.06午前)米コーストガード警備艇の砲撃により、沈没処分されたことは記憶に新しい。
『2011船舶明細書』には、同船は「(売却)」とあり、「八戸港に係留し、売却先を探していた」との報道に合
致する。発見の報を聞いたオーナーの心境も複雑だったことだろう。同船の信号符字は2011(H23).06.17取消
され、07.29国籍証書無効の告示がなされている。

この報道を耳にし、抹消されてから数年後に発見された無人船発見譚を思い出した。『日の丸船隊史話』
『図説日の丸船隊史話』に掲載される「高砂丸」の後身「CENTENIAL」のそれである。
「高砂丸」は、前掲「兵庫丸」と同様、征台の役に際し、政府が香港において購入した外国船13隻中の一
隻。山高五郎氏の著作には、実に興味深い、波瀾万丈の船歴が紹介されているので参照されたい。華麗な
船歴の結末は、抹消後7年目に氷に閉ざされた船体が発見されるという、謎に満ちたものとなっている。

1859建造当初、本船の前身「DELTA」は鉄製外輪汽船(2檣スクーナー)であった。1874(M7)日本政府に購入さ
れ「高砂丸」と改名。郵便汽船三菱会社当時、上海で暗車汽船(3檣バーカンティン)に改造された。この当時の
絵画が『史話』に掲載されている。『社史』等の側面図も3檣バーカンティンである。
日本郵船歴史博物館に「高砂丸」の模型があったことを思い出し、見に出掛けた。1875(M8)に開設された
我が国初の外国定期航路(横浜~神戸~下関~長崎~上海)に、「東京丸」「新潟丸」「金川丸」と共に
投入されている。この模型は、図面をもとに製作したように見えなかった。



M20.09日本郵船神戸函館間定期船発着一覧表には、4段めの便に「高砂丸」と赤文字で加筆されている。往
航:神戸(9/12正午発)~横浜(9/13午後着、9/15正午発)~荻ノ浜(9/16午後、9/17午前)~函館(9/18午前)、
復航:(略)~神戸着(9/24午後)となっている。上段より、僚船名は「和歌浦丸」「新潟丸」「長門丸」と
読める。イラストにある直立船首の3檣バーカンティンは、日本郵船創立時の株券に刷られた船と同一の「横濱丸」か。



「高砂丸」ではないかと思われる、鮮明な画像(写真)がある。さすがに船名は読み取れない。写真の索具
は三檣スクーナーとなっている。「高砂丸」の索具について、最も遡れるのは『汽船表』(M18.01.01)で、郵便
汽船三菱会社末期は既に3檣スクーナーとなっている。
船名は漢字3文字。アルファベットはMARUが4文字とすれば、8文字と見られ、文字の輪郭から最初の「TAK」と
6文字目当たりに「A」が見え「TAK**A** MARU」となる。



「高砂丸」の最も鮮明な絵画は『GOLDEN JUBILEE HISTORY OF NIPPON YUSEN KAISHA 1885-1935』(1936刊)
に掲載されている。この絵画と、左右反転した写真を対比すると、舷門の位置や数、船尾部分の10個連る船窓
など、合致する点が多い。前檣前部の甲板室は「太湖丸」の絵画に似る。写真では「ブリッジ」が設けられてい
る。比較検討する写真が無いため、現時点の断定は避けたいが、九分九厘、「高砂丸」に相違ないと思われる。

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