津々浦々 漂泊の旅

「古絵はがき」 に見える船や港。 そして今、バイクで訪ねた船や港のことなど。       by ななまる

さまざまな旅

2014-12-31 | 旅行
オーナー間を転々としながら活躍水域を変え、地域の人々の足となる小型客船の船歴は、「旅」そのものと考えて
いる。船を追うボクは撮影優先の「旅」をしている。予め緻密な旅程を決めず、運航ダイヤと日の出日没を計算し
つつ港を巡り、辿り着いた街に泊まっている。漂泊の旅の所以である。
大晦日となってしまったが、秋の初め頃に出掛けた心に残る旅を記しておきたい。

「はぎおおしま」の投入された萩海運は、早い内に訪れたいと考えていた。
「フェリーくるしま」を下船して冨岡I.Cから都市高速に入り、関門橋を渡って厚狭東へ向かった。途中、ガス欠の危
機に陥り、小郡往復という思わぬ時間のロスもあった。新設の小郡萩道路は走り易く、入港前に萩港へ到達した。
朝方の萩海運は撮影しにくい。防波堤内側の水域で撮るならともかく、波を切って航行する姿を順光で狙うに
は、せめて川の対岸の磯に立ちたい。しかし、磯はすぐに断崖で途切れてしまい、納得するような所まで進め
ない。最初の頃は満足したものの、前回は断崖上に出て、俯瞰撮影をものにすることが出来た。





たちばな2 127999 / JK4685、134G/T、鋼、1986(S61).11、三菱重工業(下関)

これは2006(H18)と2008(H20)に撮影した「たちばな2」。大島航路に投入されていて、相島航路よりも港への
進入角度が緩やかで、対岸からも撮りやすい。2008年の画像背景は相島で、同島を07:00に発った「つばき2」
が見えている。画像データを確認して驚いた。この二枚は共に07:24にシャッターを切っている。
撮影地を探してバイクで鶴江台に上ったが、眺望も開けず道幅も狭くなって引き返し、バイクを止めて石段から登
りはじめた。家並みを抜けた先に墓地が見えた。前回に訪れた時に墓地はあったろうかと、記憶をたどるよう
右手を見上げたところ、立木を背に、十字架を乗せた碑が建っていた。なぜ十字架‥? 下部に碑文は埋め込
まれていた。





目指すでも探すでもなく、偶然に行き当ったキリシタン弾圧を記録する碑に、衝撃を受けた。江戸幕府から明治政府
に、キリシタン弾圧政策は継承されたことを知らなかった。松下村塾もあり、維新の志士を多く輩出した萩の地にキリ
シタンは送られて弾圧され、拷問や餓えで亡くなったていた。重い歴史を知り、息苦しさを覚えた。
すっかり忘れていたが、父島の小学校図書室で『浦上の旅人たち』という本を手にしたことを思い出す。小学生
には難しい内容だった。信者はこの流刑を「旅」と呼んだ。
帰宅して確認したところ、鶴江台に仮埋葬された信者の遺骨は明治中期に改葬されたが、全てではなく、遺骨
は2010(H22)年にも発掘されている。



つばき2 132458 / JK5048、113G/T、鋼、1990(H2).08、三菱重工業(下関)



おにようず 135335 / JK5489、258G/T、鋼、1997(H9).10、三菱重工業(下関)



はぎおおしま 141869 / JD3483、323G/T、鋼、2013(H25).01、三菱重工業(下関)、萩市所有

マムシを気にしながら進んた藪の先に、海が見えた。藪に籠もって入港を待つ間、碑文は頭から離れなかった。今
回も会心の撮影をすることができた。
左手に浮かぶ大島を眺めつつ国道191号線を進み、次の街の阿武町に差しかかる。曾祖母の一人は後妻に入っ
た人で、阿武町の出身だった。大正期に、どんな縁で小笠原へ来たのか。この曾祖母は八丈島に眠っている。
走りを楽しみながら、日本海沿いを北東へ進み、益田で国道9号線に入る。船を追って全国の海岸線沿いの国道
や県道を走っているが、萩~浜田の海岸線は、未走行区間だった。残るは襟裳岬のみとなった。



6年前のこと、19G/T型遊覧船「スーパーマリン」を訪ねて浜田港を訪れた。古い情報をもとに出掛けてきてしま
い、いくら港内を探しても見つからなかった。何人かにお尋ねしても「もう運航していない」といった程度の話し
か伺えず、不発に終わった。この船は益田市の大浴造船所建造のFRP船で、いずれ撮りたいものと考えていた
ところ、その3年前の2005(H17)に「にじ観光」となってからの同船を、丸亀港で押さえていたと判った。19G/T型
ならではの話である。
萩から四時間半で七類港に到達し、フェリー乗場よりも先へと進み、眺望の開けた所にバイクを止めた。
「良い景色でしょう。どちらからお見えですか。」
草刈りをしていた年上の女性から声をかけられた。若い頃に東京へ行き、仕事に就いていたという。勤務され
た天現寺や吉祥寺のことを、懐かしそうにお聞かせ下さった。事情により地元に戻り、こちらの集落に嫁いだ
という。そんなご自身の「旅」の話をお聞かせ下さった。海を一望する沿道の展望台は、そのご婦人のご尽力
により整備されたという。
入港を待つ間、展望台のベンチに寝そべり、30年間カメラバッグに忍ばせているハモニカを吹いていた。旅に出て良
かったと感じるのは、潮風を感じながら時間の流れるそんな時。今携えているハモニカは、未明の神戸第四工区
防波堤外側で下ろしたもの。東神戸に入港するフェリー群を順光で狙うことを楽しみに、暗闇の中、一人心細く待
ったことを思い出す。



フェリーくにが 136134 / JK5346、2,375G/T、鋼、1998(H10).11、三菱重工業(下関)



フェリーおき 136139 / JK5349、2,366G/T、鋼、2003(H15).11、三菱重工業(下関)、隠岐広域連合所有

入港時刻はそれぞれ「17:35」「17:55」となっている。この季節にも撮れるなら、最も陽の長い時分に撮って
みたい。また来ようと考えつつ、岡山に向けて中国山地を越えた。

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