津々浦々 漂泊の旅

「古絵はがき」 に見える船や港。 そして今、バイクで訪ねた船や港のことなど。       by ななまる

謎の「運輸丸」

2012-07-10 | 尼崎汽船部
尼崎汽船部の船ぶねは、1931(S6)開設「大阪市中央卸売市場」の岸壁においても記録されている。
それらは対岸に現存する住友倉庫屋上から撮られていて、「君が代丸」の有名な画像や、前掲の
「電信丸」は、そこを足場としている。



見るからに不経済船のこの船影は「運輸丸」。初出の『S3船名録』に32756 / TMBG、197G/T、
1904(M37).11、三國とある。『レジスター』『汽船名簿』は造船所を「内務省(福井三國)」「第四土木
監督署(福井県坂井郡三國町)」としている。

政府直轄工事の施工及び府県土木工事の監督を目的とし、1886(M19)内務省土木監督署は全国
6箇所(後7箇所)に設置され、福井県は第四区土木監督署(大阪)管内にあった。1894(M27)管轄
区域の変更があり、近畿及び四国の一部は第五区土木監督署(大阪)となり、福井県は第四区土
木監督署(名古屋)管内となった。1905(M38)官制改正により名古屋土木出張所となった。
国の河川管理において、1896(M29)河川法の制定は一大エポックとなり、政府直轄の河川工事が推
進されることになる。内務省は「九頭竜川改修工事」を策定し、施工は第四区土木監督署(名古
屋)が担当した。第一期改修工事は1900(M33)着工され、1911(M44)完成。続く第二期改修工事は
1910(M43)着工、1924(T13)完成している。

『九頭竜川改修工事』(内務省土木局)の「主要土工機械一覧表」から船舶を抜粋する。

鋤鏈式浚渫船 三國丸 一艘  購入
鋤鏈式浚渫船 福井丸 一艘  製作 三國丸ト同型
曳船(鋼製汽船)     三艘  購入 長八十五呎、喫水四呎、十立坪ヲ積載セル土運船
                       二艘ヲ曳キ五海里以上走航シ得ル能力ヲ有ス
汽船竹田丸        一艘  製作 工事監督用
十坪積土運船(鋼製)  一二艘  製作

初年度ニ於テ一日(十時間)二百坪掘鋤鏈式ポンツーン型浚渫船一艘ヲ獨逸ヨリ購入シ次
年度ニ於テ曳船(鋼製汽船)三艘ヲ内地ニ求メ其他五噸機關車軽便鐵軌及土運車等ハ大井
及木曾兩川改修ニ使用シタルモノヲ轉用シ尚ホ不足ノ分ハ購入又ハ製作セリ而シテ土工機
械ノ修理組立等ハ僻地ニ屬シ民間ノ工塲ニ依スルノ便ナク且急速ヲ要スル場合多キヲ以
テ自ラ之ヲ經營スルヲ得策トシ三國町ニ於テ機械工塲ヲ設置シ一部機械ノ製作モ併セ施行
セリ


九頭竜川改修工事に使用された曳船は次のとおり。
                製造年月 / 製造地 / 製造者  船籍
九頭龍丸 8380 / JDCP M35.03 / 大阪 / 範多龍太郎 越前国三国
日野丸  8384 / JDCS M35.05 / 大阪 / 範多龍太郎 越前国三国
足羽丸  8389 / JDFC M35.06 / 大阪 / 範多龍太郎 越前国三国

大阪鉄工所建造の3隻は、『S7船名録』に内務省や観音寺町所有として掲載され、「運輸丸」の
種船になったとは考えられない。
汽船「竹田丸」2G/Tは、直営機械工場製に相違ないものの小型に過ぎる。工事監督に使用され、
『M42船名録』より不登簿船の項に記載される。
製造地「三國町」、製造者「内務省」を条件として絞ると、土運船12隻しか該当しない。史料に
要目は記載されていない。土運船(恐らく底開式)は小型貨物船の種船となり得たのか。



この船影は、当初「運輸丸」と考えた。良く見るとかなり異っている。改めて「此花丸」と対比
したところ、コンパニオンや煙突の配置等、似通っている。曳船改造「咲花丸」を未見のため、断定
は出来ないものの、「此花丸」とほぼ同時期に改造された「成功丸」の可能性が高い。
「運輸丸」改造はこの後のため、仮に土運船を種船にしたとすると、「成功丸」の一般配置をベ
ースにしたと考えられなくもない。可能性の高い船を対比してみた。『S2船名録』~『S4船名録』
に双方掲載されるのは、考えに誤りがあるからか。

            製造年   製造地  船名録掲載
第貳石山丸 1899(M32).05  大津  S4版まで掲載
成功丸   1898(M31).04  大津  S2版から掲載
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
第三長柄丸 1898(M31).05  神戸  S4版まで掲載(最晩年は長柄丸)
此花丸   1899(M32).05  大阪  S2版から掲載
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
土運船12艘 1901(M34)?   三国
運輸丸   1904(M37).11  三国  S3版から掲載



画像の船体を約5.4m短縮するとこんな船影になる。「第貳石山丸」の画像を見てみたい。



難波島を歩いたとき、尼崎造船所跡を眺めた。年号が昭和に変った前後、ここから「成功丸」
「此花丸」「運輸丸」は旅立った。種船として、どんな船がここへ引き込まれたのだろう。

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内務省曳船の改造船

2012-07-03 | 尼崎汽船部
謎に包まれていた「此花丸」に出会えた。内務省曳船の改造船と見ていた船である。改めて前身を
探ってみたが、決め手に欠ける。
船舶や車両(特にバス)に関し、屡々聞く話として、官庁船や公営企業の所有した車両はメンテナンスが良く、
経年の割に程度は良いという。大正末期から昭和初期にかけ、内務省土木監督署の曳船を種船とした
改造船3隻が登場した。この3隻に共通するのは巾4.88m。

成功丸(貨)  31183 / TDBK→JMYE、1898(M31).04、内務省土木出張所(大津)
此花丸(客)  31548 / TDBQ→JMZE、1899(M32).05、内務省大阪土木出張所(大阪)
運輸丸(貨)  32756 / TMBG→JNCH、1904(M37).11、第四土木監督署(福井三國)

登場時の船舶番号や信号符字から、ほぼ同時期(同時並行?)の工事で、廃船船殻の再生と思われる。
手掛けたのは尼崎造船部に相違なかろう。

内務省の曳船とは何か。
1896(M29)第9回帝国議会において河川法が成立し、政府直轄事業として「淀川改良工事計画」が策定
された。翌年に事業は着手され、上流は瀬田川の掘削から下流は河口の新川開削に至る大プロジェクトが
推進され、現在の淀川の基盤は整えられた。
瀬田川は琵琶湖から流れ出る唯一の河川のため、拡幅と浚渫が行われ大日山も切崩された。ここで使
用されたのは浚渫船3隻、土運船10隻、曳船2隻。淀川改良工事に係る「重要船舶土工機械購入調べ」に
「曳船用小蒸気船6隻(116,390円)川崎造船所製」とあった。
『川崎重工業社史』を紐解いたところ、「長柄丸同型6隻」として、船種:曳船、注文主:内務省大阪土木
出張所とあり、備考欄に「最後の2隻は組立後解体して引渡」とあった。引渡日は1899(M32).03.31。
『船名録』に見る6隻は次のとおり。

                   製造年月 / 製造地 / 製造者  船籍
第壹長柄丸 4566 / JCQK、 M31.04 / 神戸 / 田中泰董 大阪
第貳長柄丸 4567 / JCQL、 M31.05 / 神戸 / 田中泰董 大阪
第三長柄丸 4568 / JCQM、 M31.05 / 神戸 / 田中泰董 大阪
第四長柄丸 4569 / JCQN、 M31.06 / 神戸 / 田中泰董 大阪
第壹石山丸 4450 / JCMR、 M32.04 / 近江国大津 / 第五区土木監督署 石山
第貳石山丸 4451 / JCMS、 M32.05 / 近江国大津 / 第五区土木監督署 石山

「第壹石山丸」「第貳石山丸」は川崎造船所が建造し、第五区土木監督署により大津で再組立された船。
「長柄丸」4隻は、下流部の新川開削で活躍した。いずれも土運船曳航に使用された。
「第壹」は『船名録』M42版には見あたらず、M43版には、同名のまま11708 / LHKNとなり、那覇を船籍
として掲載される。遙か沖縄へ転配され、船体延長されたと思われる。
「第貳」も内務省所有のまま、1914(T3)に近江石山から大阪に船籍を移している。
日露戦争の影響により工期は延長されたが、各淀川改良工区事務所はM43~44に廃止され、続く淀川
下流改修工区事務所もT13.03に廃止された。工事の完成が活躍の場を失わせたと思われる。





この船影を見たとき、何という改造をしているのかと、目を見張った。まるで「新さくら丸」である。
船尾機関型貨物船に客室を載せたようなスタイルだ。記録されたのは多度津港。船名は微妙にぼけていて、
当初、画像から読み取れなかった。
急航汽船のリストを見ていて「此花丸」に気付いた。改めて文字のアウトラインを確認したところ「花」と読める。
前方に着桟している「日海丸」は、主機換装(1935)後の船影となっている。「此花丸」は1934(S9)に急航
汽船から尼崎汽船部に移籍されている。しかし、画像の煙突マークは急航汽船のままとなっている。1935
若しくはその翌年の撮影と思われる。1942(S17)滅失で抹消された。

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