尼崎汽船部の船ぶねは、1931(S6)開設「大阪市中央卸売市場」の岸壁においても記録されている。
それらは対岸に現存する住友倉庫屋上から撮られていて、「君が代丸」の有名な画像や、前掲の
「電信丸」は、そこを足場としている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/38/db519d59d6ba345fd048d50dda12473e.jpg)
見るからに不経済船のこの船影は「運輸丸」。初出の『S3船名録』に32756 / TMBG、197G/T、
1904(M37).11、三國とある。『レジスター』『汽船名簿』は造船所を「内務省(福井三國)」「第四土木
監督署(福井県坂井郡三國町)」としている。
政府直轄工事の施工及び府県土木工事の監督を目的とし、1886(M19)内務省土木監督署は全国
6箇所(後7箇所)に設置され、福井県は第四区土木監督署(大阪)管内にあった。1894(M27)管轄
区域の変更があり、近畿及び四国の一部は第五区土木監督署(大阪)となり、福井県は第四区土
木監督署(名古屋)管内となった。1905(M38)官制改正により名古屋土木出張所となった。
国の河川管理において、1896(M29)河川法の制定は一大エポックとなり、政府直轄の河川工事が推
進されることになる。内務省は「九頭竜川改修工事」を策定し、施工は第四区土木監督署(名古
屋)が担当した。第一期改修工事は1900(M33)着工され、1911(M44)完成。続く第二期改修工事は
1910(M43)着工、1924(T13)完成している。
『九頭竜川改修工事』(内務省土木局)の「主要土工機械一覧表」から船舶を抜粋する。
鋤鏈式浚渫船 三國丸 一艘 購入
鋤鏈式浚渫船 福井丸 一艘 製作 三國丸ト同型
曳船(鋼製汽船) 三艘 購入 長八十五呎、喫水四呎、十立坪ヲ積載セル土運船
二艘ヲ曳キ五海里以上走航シ得ル能力ヲ有ス
汽船竹田丸 一艘 製作 工事監督用
十坪積土運船(鋼製) 一二艘 製作
初年度ニ於テ一日(十時間)二百坪掘鋤鏈式ポンツーン型浚渫船一艘ヲ獨逸ヨリ購入シ次
年度ニ於テ曳船(鋼製汽船)三艘ヲ内地ニ求メ其他五噸機關車軽便鐵軌及土運車等ハ大井
及木曾兩川改修ニ使用シタルモノヲ轉用シ尚ホ不足ノ分ハ購入又ハ製作セリ而シテ土工機
械ノ修理組立等ハ僻地ニ屬シ民間ノ工塲ニ依スルノ便ナク且急速ヲ要スル場合多キヲ以
テ自ラ之ヲ經營スルヲ得策トシ三國町ニ於テ機械工塲ヲ設置シ一部機械ノ製作モ併セ施行
セリ
九頭竜川改修工事に使用された曳船は次のとおり。
製造年月 / 製造地 / 製造者 船籍
九頭龍丸 8380 / JDCP M35.03 / 大阪 / 範多龍太郎 越前国三国
日野丸 8384 / JDCS M35.05 / 大阪 / 範多龍太郎 越前国三国
足羽丸 8389 / JDFC M35.06 / 大阪 / 範多龍太郎 越前国三国
大阪鉄工所建造の3隻は、『S7船名録』に内務省や観音寺町所有として掲載され、「運輸丸」の
種船になったとは考えられない。
汽船「竹田丸」2G/Tは、直営機械工場製に相違ないものの小型に過ぎる。工事監督に使用され、
『M42船名録』より不登簿船の項に記載される。
製造地「三國町」、製造者「内務省」を条件として絞ると、土運船12隻しか該当しない。史料に
要目は記載されていない。土運船(恐らく底開式)は小型貨物船の種船となり得たのか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/33/ecc0f8ff2b04103e50111d8937ac87db.jpg)
この船影は、当初「運輸丸」と考えた。良く見るとかなり異っている。改めて「此花丸」と対比
したところ、コンパニオンや煙突の配置等、似通っている。曳船改造「咲花丸」を未見のため、断定
は出来ないものの、「此花丸」とほぼ同時期に改造された「成功丸」の可能性が高い。
「運輸丸」改造はこの後のため、仮に土運船を種船にしたとすると、「成功丸」の一般配置をベ
ースにしたと考えられなくもない。可能性の高い船を対比してみた。『S2船名録』~『S4船名録』
に双方掲載されるのは、考えに誤りがあるからか。
製造年 製造地 船名録掲載
第貳石山丸 1899(M32).05 大津 S4版まで掲載
成功丸 1898(M31).04 大津 S2版から掲載
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
第三長柄丸 1898(M31).05 神戸 S4版まで掲載(最晩年は長柄丸)
此花丸 1899(M32).05 大阪 S2版から掲載
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
土運船12艘 1901(M34)? 三国
運輸丸 1904(M37).11 三国 S3版から掲載
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/96/6475a3827600320971814a39de221632.jpg)
画像の船体を約5.4m短縮するとこんな船影になる。「第貳石山丸」の画像を見てみたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/28/0e8ae74e609c2fc0175979e30e3025da.jpg)
難波島を歩いたとき、尼崎造船所跡を眺めた。年号が昭和に変った前後、ここから「成功丸」
「此花丸」「運輸丸」は旅立った。種船として、どんな船がここへ引き込まれたのだろう。
それらは対岸に現存する住友倉庫屋上から撮られていて、「君が代丸」の有名な画像や、前掲の
「電信丸」は、そこを足場としている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/38/db519d59d6ba345fd048d50dda12473e.jpg)
見るからに不経済船のこの船影は「運輸丸」。初出の『S3船名録』に32756 / TMBG、197G/T、
1904(M37).11、三國とある。『レジスター』『汽船名簿』は造船所を「内務省(福井三國)」「第四土木
監督署(福井県坂井郡三國町)」としている。
政府直轄工事の施工及び府県土木工事の監督を目的とし、1886(M19)内務省土木監督署は全国
6箇所(後7箇所)に設置され、福井県は第四区土木監督署(大阪)管内にあった。1894(M27)管轄
区域の変更があり、近畿及び四国の一部は第五区土木監督署(大阪)となり、福井県は第四区土
木監督署(名古屋)管内となった。1905(M38)官制改正により名古屋土木出張所となった。
国の河川管理において、1896(M29)河川法の制定は一大エポックとなり、政府直轄の河川工事が推
進されることになる。内務省は「九頭竜川改修工事」を策定し、施工は第四区土木監督署(名古
屋)が担当した。第一期改修工事は1900(M33)着工され、1911(M44)完成。続く第二期改修工事は
1910(M43)着工、1924(T13)完成している。
『九頭竜川改修工事』(内務省土木局)の「主要土工機械一覧表」から船舶を抜粋する。
鋤鏈式浚渫船 三國丸 一艘 購入
鋤鏈式浚渫船 福井丸 一艘 製作 三國丸ト同型
曳船(鋼製汽船) 三艘 購入 長八十五呎、喫水四呎、十立坪ヲ積載セル土運船
二艘ヲ曳キ五海里以上走航シ得ル能力ヲ有ス
汽船竹田丸 一艘 製作 工事監督用
十坪積土運船(鋼製) 一二艘 製作
初年度ニ於テ一日(十時間)二百坪掘鋤鏈式ポンツーン型浚渫船一艘ヲ獨逸ヨリ購入シ次
年度ニ於テ曳船(鋼製汽船)三艘ヲ内地ニ求メ其他五噸機關車軽便鐵軌及土運車等ハ大井
及木曾兩川改修ニ使用シタルモノヲ轉用シ尚ホ不足ノ分ハ購入又ハ製作セリ而シテ土工機
械ノ修理組立等ハ僻地ニ屬シ民間ノ工塲ニ依スルノ便ナク且急速ヲ要スル場合多キヲ以
テ自ラ之ヲ經營スルヲ得策トシ三國町ニ於テ機械工塲ヲ設置シ一部機械ノ製作モ併セ施行
セリ
九頭竜川改修工事に使用された曳船は次のとおり。
製造年月 / 製造地 / 製造者 船籍
九頭龍丸 8380 / JDCP M35.03 / 大阪 / 範多龍太郎 越前国三国
日野丸 8384 / JDCS M35.05 / 大阪 / 範多龍太郎 越前国三国
足羽丸 8389 / JDFC M35.06 / 大阪 / 範多龍太郎 越前国三国
大阪鉄工所建造の3隻は、『S7船名録』に内務省や観音寺町所有として掲載され、「運輸丸」の
種船になったとは考えられない。
汽船「竹田丸」2G/Tは、直営機械工場製に相違ないものの小型に過ぎる。工事監督に使用され、
『M42船名録』より不登簿船の項に記載される。
製造地「三國町」、製造者「内務省」を条件として絞ると、土運船12隻しか該当しない。史料に
要目は記載されていない。土運船(恐らく底開式)は小型貨物船の種船となり得たのか。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/33/ecc0f8ff2b04103e50111d8937ac87db.jpg)
この船影は、当初「運輸丸」と考えた。良く見るとかなり異っている。改めて「此花丸」と対比
したところ、コンパニオンや煙突の配置等、似通っている。曳船改造「咲花丸」を未見のため、断定
は出来ないものの、「此花丸」とほぼ同時期に改造された「成功丸」の可能性が高い。
「運輸丸」改造はこの後のため、仮に土運船を種船にしたとすると、「成功丸」の一般配置をベ
ースにしたと考えられなくもない。可能性の高い船を対比してみた。『S2船名録』~『S4船名録』
に双方掲載されるのは、考えに誤りがあるからか。
製造年 製造地 船名録掲載
第貳石山丸 1899(M32).05 大津 S4版まで掲載
成功丸 1898(M31).04 大津 S2版から掲載
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
第三長柄丸 1898(M31).05 神戸 S4版まで掲載(最晩年は長柄丸)
此花丸 1899(M32).05 大阪 S2版から掲載
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
土運船12艘 1901(M34)? 三国
運輸丸 1904(M37).11 三国 S3版から掲載
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/96/6475a3827600320971814a39de221632.jpg)
画像の船体を約5.4m短縮するとこんな船影になる。「第貳石山丸」の画像を見てみたい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/28/0e8ae74e609c2fc0175979e30e3025da.jpg)
難波島を歩いたとき、尼崎造船所跡を眺めた。年号が昭和に変った前後、ここから「成功丸」
「此花丸」「運輸丸」は旅立った。種船として、どんな船がここへ引き込まれたのだろう。