津々浦々 漂泊の旅

「古絵はがき」 に見える船や港。 そして今、バイクで訪ねた船や港のことなど。       by ななまる

戦時合併・分離のことなど

2016-07-16 | 東京湾汽船
東京湾汽船・東海汽船史に関心を持って以来、社史等に記された「創業期」「戦時合併・分離期」及び「戦後復
興期」在籍船の記録に、疑問を抱いてきた。
先ず、「創業期」在籍船については、時代背景や関係者の動きを知ることにより、『M23版船名録』に記載の「所
有船5隻」の意味を理解した。船名録や社史にのみ拘泥しても、謎は解けない。

次に、「戦後復興期」在籍船確認のため、戦後版「船名録」全48冊に目を通した。手許の28冊は出勤時に持参し、
残り20冊は所蔵館探しから始めた。
東海汽船の戦後船舶史には、不明点が多い。「船名録」を通覧したことにより、社史に収録されなかった在籍船
を知り、船社吸収合併の手掛かりも得た。単年版にのみ、所有船として記録された船の多いのも意外であった。
一方で、「船名録」から読み取れない定期用船や、基準日(1/01現在)から外れた所有船の存在(在籍1年未満)
も否定できない等、「船名録」の限界を感じたり、誤りにも気付いた。特に重要な「凡例」基準日の誤記には、首
を捻った。元号の変わった時期にあたり、当該年版のみ手にした場合、誤りとは気付かないことだろう。
                (誤)          (正)
① 昭和63年版 昭和62年1月1日 → 昭和63年1月1日
② 平成元年版  昭和63年1月1日 → 昭和64年1月1日
③ 平成10年版 平成9年1月1日  → 平成10年1月1日

ここのところ、東海汽船・東京湾汽船史における最後の謎となった「戦時合併・分離期」在籍船を探るため、史料
を突き合わせていた。国・機関による法令や内部規定の制定時点と東海汽船が各社合併を決議した時期(増資
完了時点ではない)の前後関係を押さえるだけで、東海汽船史に新たな視点が生まれる。また、二ヶ月間在籍し
た機帆船隊のことなど、判る範囲で記してみたい。



これは、「東京湾汽船」から「東海汽船」へ社名変更を行った前後の報告書。東京湾汽船最後の報告書は昭和
17年前半期「第106回報告書」。東海汽船としては昭和17年後半期「第107回報告書」から。因みに、手元に届い
た直近の報告書は「第191期事業報告書」。
東京湾汽船は、1942(S17).08.28開催の臨時株主総会において、「東海汽船」と社名変更を行う件を決議し、09.02
に登記を終えた。当時の社長は小田桐忠治氏。臨時株主総会における小田桐社長の発言が『100年史』に掲載
されている。

「…(略)…今次大戦の勃発に伴いあらゆる旧殻を脱し時局に対応すべく、一大進展を試みる所存でござい
ます。これには先ずもって東京湾汽船という地域的に極限された感じの致します社名を改称し、一大発展
の覚悟を表したい考えから社内に新社名を募集致しました結果、東海汽船という社名が適当…(略)…」


『60年史』によると、「東海汽船」への社名変更は、1894(M27).01の総会において俎上に上りながら、お流れとな
った経緯がある。

『80年史』によると、社名変更を行った翌年、1943(S18).03.26日南運輸を吸収合併し、「天昭丸外34隻(計35隻)」
を船隊に加え、引き続き、船社の吸収合併を進めた。しかし、「戦争による喪失船16隻」を差し引いて「1946(S21).
05現在の所有船34隻」とは、一体、どう計算したら隻数に整合性を保てるのか、理解できなかった。
偶々手にした日正汽船の社史に、疑問を解く手掛かりはあった。戦時体制下、東海汽船本社内で創立総会を
行い、分離した船社が存在した。現在の「JXオーシャン」の最前身、「日産近海機船」である。東海汽船の社史
は、何故か同社の分離を記載していない。

戦時中に合併及び分離した船社について、『80年史』『100年史』『報告書』及び他社社史の記述を整理してみ
た。特に、合併決議については『第108回報告書』に拠るところが大きい。

日南運輸
S17.12.24 定時株主総会で合併契約を承認。
S18.03.10 吸収合併により増資[第6回増資]
S18.03.26 臨時株主総会で合併完了を承認。合併手続き完了。
S18.04.17 神戸支店設置。
S18.04.29 天昭丸外34隻の移転登記完了。
船舶:天昭丸、機帆船34隻。(計35隻)

瀬戸内運輸、丸神汽船、関釜産業、内山善作(以下「四社」)
S17.11.26 臨時株主総会で瀬戸内商船現物出資による資本増加を承認。(この時点は「商船」。3/26は「運輸」)
S18.03.26 臨時株主同会に四社現物出資を付議し決定。
S18.04.30 四社現物出資により増資。
S18.05.01 尾道出張所開設。
S18.05.20 四社現物出資手続き完了、増資登記完了[第7回増資]
瀬戸内運輸:第10、第11、第12、第15、第16東豫丸。(5隻)
丸神汽船:丸神丸、第二丸神丸。(2隻)
関釜産業:平和丸。(1隻)
内山善作:陽州丸。(1隻)

忽那汽船
S18.04.13 臨時株主総会で合併を承認。
S18.07.30 増資。
S18.09.01 吸収合併[第8回増資]
船舶:勝山丸、松山丸。(2隻)

小谷汽船
S18.05.20 臨時株主総会で合併契約承認を可決。
S18.10.01 吸収合併[第9回増資]
船舶:喜代丸、南華丸、恵須取丸、泰洋丸、龍勢丸、昭和丸。(6隻)

呉穀物卸商業組合
S18.08.24 臨時株主総会。
S18.12.01 現物出資[第10回増資]
船舶:第二鮮友丸、第三鮮友丸。(2隻)

小谷杢之助
S18.05.20 臨時株主総会で現物出資による資本増加を承認可決
S18.12.05 現物出資[第11回増資]
船舶:旭丸、第二旭丸、第三旭丸、第二光丸、富士丸。(5隻)

日産近海機船
S18.05.21 東海汽船本社内において日産近海機船創立総会開催。
S18.05.26 日産近海機船創立。東海汽船より機帆船30隻(34隻?)を引継ぐ。
S18.06.01 日産近海機船営業開始。

瀬戸内海汽船
S20.03.06 新会社に関する協議会、発起人会開催。
S20.05.31 発起人総会開催。第10、第15東豫丸(2隻)を瀬戸内海汽船へ現物出資。尾道出張所閉鎖。
S20.06.11 瀬戸内海汽船設立。

年表に合併・分離を挿入してみた。これまで社史等に記されてきた経緯とは、少々異なるように見える。

S15.02.01 「海運統制令」公布。
S15.08.08 第10代社長篠本鼎退任(東武系)し、第11代社長小田桐忠治就任(日産系)。
S15.09.27 日独伊三国同盟調印。
S15.10.12 大政翼賛会発会。
S16.08.19 「戦時海運管理要綱」閣議決定。
S16.10.18 東条英機内閣成立。
S16.12.08 米英両国に宣戦布告、太平洋戦争開戦。
S17.03.25 「戦時海運管理令」公布。
S17.04.01 船舶運営会設立。逓信省は運航実務者(大型船)40社を指定。
S17.05.18 逓信省は運行実務者(小型船)18社を指定。
         →東京湾汽船は小型船運航実務者に指定される。5隻の国家使用命令を受ける。
S17.06.05 ミッドウエー海戦。空母四隻を失い戦局の転機。
S17.08.28 東海汽船への社名変更を決議。
S17.09.02 登記を終え、社名変更手続を完了。
S17.10.26 第三次ソロモン海戦。制海権を失う。
S17.11.26 臨時株主総会で瀬戸内商船現物出資による資本増加の件を承認。
S17.12.24 定時株主総会で日南運輸の合併契約を承認。
S18.01.20 「木船建造緊急方策要綱」閣議決定。
S18.03.-  船舶運営会は運航実務者を5班に編成。
S18.03.10 日南運輸の吸収合併による増資[第6回増資]。
S18.03.26 臨時株主総会で四社現物出資を付議し決定。
S18.04.13 臨時株主総会で忽那汽船合併を承認。
S18.05.20 臨時株主総会で小谷汽船及び小谷杢之助合併契約承認を可決。
S18.05.20 四社現物出資手続き完了、増資登記完了[第7回増資]。
S18.05.21 東海汽船本社内において日産近海機船創立総会開催。
S18.05.26 日産近海機船創立。東海汽船より機帆船30隻を引継ぐ。
S18.06.01 日産近海機船営業開始。
S18.07.12 海務院は「船舶運航体制緊急整備要領」発表。船舶運営会の改組、運航実務者の集約を図る。
S18.07.31 運航実務者5班制を廃止。
S18.08.15 汽船関係運航実務者を大型船22社、小型船4社に集約する。
         →東海汽船は「船舶運航体制緊急整備要領」により小型船運航実務者を解かれる
S18.08.24 臨時株主総会で呉穀物卸商業組合現物出資を付議し決定。
S18.09.01 忽那汽船吸収合併による増資[第8回増資]。
S18.10.01 小谷汽船吸収合併による増資[第9回増資]。
S18.10.02 海務院は「船舶所有者整備要領」発表。純船主の基準船腹量を決める。
        達しない場合、同一運航実務者所属の適格船主を統合。同年末までに340社を100社に統合。
S18.12.01 呉穀物卸商業組合現物出資による増資[第10回増資]。
S18.12.05 小谷杢之助現物出資による増資[第11回増資]。
S19.10.01 東海汽船の16隻が日産汽船に裸傭船される。
S20.02.23 船舶運営会の運航実務者制度廃止を閣議決定。
S20.05.31 第10、第15東豫丸(2隻)を瀬戸内海汽船へ現物出資。尾道出張所閉鎖。
S20.06.11 瀬戸内海汽船設立。
S20.08.15 無条件降伏、太平洋戦争終結。

年表にすると、事の決まった前後が見えてくる。S18.07.12に発表された「船舶運航体制緊急整備要領」により、
東海汽船は「小型船運航実務者」を解かれた。しかし、8.15時点までに呉穀物卸商業組合一社を除き、増資手続
きは未了ながら、臨時株主総会において各社吸収合併は承認済であった。また、日産近海機船は既に分離を
終えていた。
さらに、純船主の「基準船腹量」を示した「船舶所有者整備要領」の発表されたS18.10.02の前に、呉穀物卸商組
合の現物出資も決定していた。
社史には「船腹基準量を増し、適格純船主として存続するよう他社合併を急ぐ」とあるが、10.02以降戦争終結ま
で、吸収合併・現物出資の成立はあったろうか。可能性のある機帆船も存在するが、確証を得ていない。社史や
報告書に記された経緯からは、小型船運航実務者を解任された本当の理由は判らない。
「戦時合併・分離期」在籍船について、不明な点は他にもある。しかし、『戦時船名録』の編纂・刊行が無ければ、
二ヶ月間在籍した機帆船隊の手掛かりは、得られなかったろう。
試みに、「日南運輸→東海汽船→日産近海機船」と移籍された機帆船を、『戦時船名録』から探してみた。報告
書には、日南運輸より移籍された機帆船は「34隻」とあるが、33隻を見いだす事が出来た。なお、(*)印6隻には
日産近海機船へ再移籍の記載がない。『日正汽船30年のあゆみ』には「合併時のまま30隻を分離させた」とある。
「合併時のまま」との記載から、分離させたのは機帆船「34隻」だったのではないか。

曙丸、香取丸、錦城丸、高知丸、第二聖天丸
第三聖天丸、新英丸、第壱新興丸(*)、静洋丸、第一大華丸
第六大華丸、第七鷹島丸、第壱隆丸、第一土佐丸(*)、第十一號長福丸
第二豊高丸(*)、第一日南丸、第二日南丸、第五十一日南丸、第五十二日南丸
第五十三日南丸、第百一日南丸、第百三日南丸、第百五日南丸、第百六日南丸
第五號晴彦丸、第壱宏丸(*)、第六平和丸、寶惠丸、第五萬丸
第壱三國丸(*)、第弐三國丸、第三號八幡丸(*)、以上33隻。

最後に、『日正汽船30年の歩み』に掲載の吉田清氏(元専務取締役)の回顧記「日産近海機船㈱の由来」から、
一部を引用させていただく。

「…(略)… 戦局の進むにしたがって鋼船は軍に徴用されて沿岸輸送は機帆船にたよるほかないこと
となりました。
そこで船腹拡充の必要に迫られましたが、自力で資金を調達する力はなく、さりとてこれ以上日産汽
船から出資してもらうこともできませんでしたので、姉妹会社の東海汽船の株式が市場性を有するこ
とに着目しそれを利用して資金を調達すべく、昭和18年3月同社と合併したのであります。
ところがその直後、政府は、船舶公団で造る機帆船を運航させるため、専門の会社を大手の船会社
にそれぞれ1社ずつ設立させることとし、日産汽船にもその旨申し入れてきたのであります。私は、こ
の仕事は東海汽船でやるべきものであることを力説いたしましたが、当局は、あくまで別会社を希望
いたしましたので、私と平林は東海汽船を出て、旧日南運輸の社員と機帆船をもって日産近海機船
を創立したのであります。」

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする