100周年(1989)の前と記憶にあるから約四半世紀ほど経過した。東海汽船OB氏に、絵葉書に記録され
た船名の特定をお願いした。
大正中期から昭和初期の発行と見られる伊豆大島の絵葉書には、古めかしい、似たスタイルの貨客船が
数多く記録されている。もとより船名の読み取れる画像はなく、メモとして付された紙には、「高砂丸」
「大正丸」「静岡丸」等の船名が記されていた。それら月島工場の建造した船影は未見のため、参考
としてメモを拝見した。
糧秣廠沖に停泊する「高砂丸」を見て、島側で同船を捉えた画像はないか、気になった。OB氏による
船名特定も、再検証してみる必要あり‥と思い至った。


「高砂丸」に良く似た船影は、あっけなく見つかった。四半世紀前、OB氏によって付されたメモは、
正鵠を得ていた。この、大島元村沖を捉えた画像の右手は初代「橘丸」。メモには左に見える船影に
「静岡丸」とあった。「静岡丸」は、月島工場最後の建造船となった船。上の「高砂丸」と対比すると、
とても似ていることに気付く。
この「静岡丸」とされた船影には、船橋楼にポールド2個がある。次の画像は国府津で捉えられたもの。
同じ船と思われる。共に後部オーニング?部分の巾が太い。


二枚目の波浮港で捉えられた船影は、船橋楼のポールドは2個であるが、第二甲板のポールドは1個と
なり、別船と判る。さらに、後部オーニング?部分の巾は細くなる。
月島工場建造貨客船と思われる5隻は、残された画像を見る限り、夫々特徴を備えている。相違点
から船名を探ることは困難か? 少しでも彼女らに近づくために、建造順に相違点を挙げてみたい。
綱具、3等舷窓、2等・3等(/室数)
高砂丸 15264、M45.07、171G/T、スループ、 16、 8/1、 95/4
大正丸 16315、T02.05、182G/T、スループ、 14、 6/1、 124/1
三宅丸 17034、T03.05、193G/T、無し、 8、 6/1、 62/3 →スループ
相模丸 17749、T03.11、178G/T、無し、 18、 6/1、 112/5 →スループ
静岡丸 18463、T04.09、194G/T、スクーナー、 13、 8/1、 96/4 →スループ
このデータは『汽船件名録8版』(T12.03)による。綱具は『船舶明細書』(S05.04)においては全船共
スループになっている。唯一、3等の舷窓数は手掛かりとなりそうだ。それにしても『汽船件名録』に
画像の無いことは惜しまれる。
数年前、上京された大島在住のU氏を島嶼会館にお訪ねし、お話を伺う機会を得た。長く行政職に
あり、地域のリーダーとして活躍された氏はこよなく船を愛し、話の端々には、大島航路船への愛着
が滲み出る。学徒出陣の際に乗船された「芙蓉丸」のことや、観光ブーム絶頂期に登場した「葵丸」
のこと等、お聞かせいただいた。また、「大正丸」「祝丸」二隻のポールドの周囲は、黄色く塗られて
いたと伺った。島の生活は船と共にあり、その船を、興味の対象として見ていた方の、昭和初期に
関する証言は、貴重かつ重要である。
黄色く塗られた理由は、識別を容易とするためか。外観の似た船がいたということになる。

この船影は月島工場スタイルであり、明らかに、船橋楼の腰より上は塗られている。前掲の波浮港の
画像とは、船尾のコンパニオンの形状に違いが見られる。
船名特定はおあずけとなるものの、1907(M40).5.25東京府と締結した「伊豆諸島定期航海契約書」
を遂行するため、月島工場において建造され、順次、伊豆諸島及び伊豆半島沿岸航路に投入され
た貨客船群が見えてきた。
た船名の特定をお願いした。
大正中期から昭和初期の発行と見られる伊豆大島の絵葉書には、古めかしい、似たスタイルの貨客船が
数多く記録されている。もとより船名の読み取れる画像はなく、メモとして付された紙には、「高砂丸」
「大正丸」「静岡丸」等の船名が記されていた。それら月島工場の建造した船影は未見のため、参考
としてメモを拝見した。
糧秣廠沖に停泊する「高砂丸」を見て、島側で同船を捉えた画像はないか、気になった。OB氏による
船名特定も、再検証してみる必要あり‥と思い至った。


「高砂丸」に良く似た船影は、あっけなく見つかった。四半世紀前、OB氏によって付されたメモは、
正鵠を得ていた。この、大島元村沖を捉えた画像の右手は初代「橘丸」。メモには左に見える船影に
「静岡丸」とあった。「静岡丸」は、月島工場最後の建造船となった船。上の「高砂丸」と対比すると、
とても似ていることに気付く。
この「静岡丸」とされた船影には、船橋楼にポールド2個がある。次の画像は国府津で捉えられたもの。
同じ船と思われる。共に後部オーニング?部分の巾が太い。


二枚目の波浮港で捉えられた船影は、船橋楼のポールドは2個であるが、第二甲板のポールドは1個と
なり、別船と判る。さらに、後部オーニング?部分の巾は細くなる。
月島工場建造貨客船と思われる5隻は、残された画像を見る限り、夫々特徴を備えている。相違点
から船名を探ることは困難か? 少しでも彼女らに近づくために、建造順に相違点を挙げてみたい。
綱具、3等舷窓、2等・3等(/室数)
高砂丸 15264、M45.07、171G/T、スループ、 16、 8/1、 95/4
大正丸 16315、T02.05、182G/T、スループ、 14、 6/1、 124/1
三宅丸 17034、T03.05、193G/T、無し、 8、 6/1、 62/3 →スループ
相模丸 17749、T03.11、178G/T、無し、 18、 6/1、 112/5 →スループ
静岡丸 18463、T04.09、194G/T、スクーナー、 13、 8/1、 96/4 →スループ
このデータは『汽船件名録8版』(T12.03)による。綱具は『船舶明細書』(S05.04)においては全船共
スループになっている。唯一、3等の舷窓数は手掛かりとなりそうだ。それにしても『汽船件名録』に
画像の無いことは惜しまれる。
数年前、上京された大島在住のU氏を島嶼会館にお訪ねし、お話を伺う機会を得た。長く行政職に
あり、地域のリーダーとして活躍された氏はこよなく船を愛し、話の端々には、大島航路船への愛着
が滲み出る。学徒出陣の際に乗船された「芙蓉丸」のことや、観光ブーム絶頂期に登場した「葵丸」
のこと等、お聞かせいただいた。また、「大正丸」「祝丸」二隻のポールドの周囲は、黄色く塗られて
いたと伺った。島の生活は船と共にあり、その船を、興味の対象として見ていた方の、昭和初期に
関する証言は、貴重かつ重要である。
黄色く塗られた理由は、識別を容易とするためか。外観の似た船がいたということになる。

この船影は月島工場スタイルであり、明らかに、船橋楼の腰より上は塗られている。前掲の波浮港の
画像とは、船尾のコンパニオンの形状に違いが見られる。
船名特定はおあずけとなるものの、1907(M40).5.25東京府と締結した「伊豆諸島定期航海契約書」
を遂行するため、月島工場において建造され、順次、伊豆諸島及び伊豆半島沿岸航路に投入され
た貨客船群が見えてきた。