自宅から観音崎灯台まで、約1時間半。湾岸線から支線経由で横横に入るのが最も早いが、光線が
回る頃を目指すなら、第三京浜から横浜新道経由で出掛けてる。
12.04は大気が澄み、北関東の山々まで遠望できた。JFEスチール東日本製鉄所の紅白市松塗装ガス
ホルダーと、首都高速鶴見つばさ橋の間に、特徴的な3つの峰が見えていた。以前、うっすらした山影
を望んだこともあったが、この日は間近に見えたため、山名を調べてみた。

観音崎より、JFEガスホルダーとつばさ橋主塔の間に向けて引いた線を延長してみたら、何と、山々は日光
連山だった。左から男体山2486m、大真名子山2375m、女峰山2483mである。直線距離は約170㎞。
その手前には、1500m弱のピークを持つ足尾山地があるはずなのに、見えていない。地平線に隠れて
いるのか。横浜港大桟橋を14時に解纜した「にっぽん丸」が浦賀水道航路を南下してきた。

その少し前、東京港竹芝桟橋を12:40に発った「セブンアイランド愛」が、第一海堡と第二海堡の間を
抜けてきた。筑波山は冬晴れの日には大概見える。標高は877mあり、直線距離は約110㎞。

早来工営「早来丸」がやって来た。同社のHPによると、川崎工場(産業廃棄物中間処理施設)で
無害化並びに再資源化した土質系廃棄物や土壌を、セメント工場等へ運搬する貨物船である。云わ
ば海上輸送における「白ナンバー」の自家用船。内航登録船ではない。692G/T、1988.08、函館どっく
(函館)。オレンジ色に塗られた15t×2のジブクレーンは、とても目立つ。
この船を見る度、2隻の「播磨丸」を思い出す。播磨造船所が建造した海上トラックのモデルシップ(試作船)
で、一番船は1957.06.28に竣工した。
回る頃を目指すなら、第三京浜から横浜新道経由で出掛けてる。
12.04は大気が澄み、北関東の山々まで遠望できた。JFEスチール東日本製鉄所の紅白市松塗装ガス
ホルダーと、首都高速鶴見つばさ橋の間に、特徴的な3つの峰が見えていた。以前、うっすらした山影
を望んだこともあったが、この日は間近に見えたため、山名を調べてみた。

観音崎より、JFEガスホルダーとつばさ橋主塔の間に向けて引いた線を延長してみたら、何と、山々は日光
連山だった。左から男体山2486m、大真名子山2375m、女峰山2483mである。直線距離は約170㎞。
その手前には、1500m弱のピークを持つ足尾山地があるはずなのに、見えていない。地平線に隠れて
いるのか。横浜港大桟橋を14時に解纜した「にっぽん丸」が浦賀水道航路を南下してきた。

その少し前、東京港竹芝桟橋を12:40に発った「セブンアイランド愛」が、第一海堡と第二海堡の間を
抜けてきた。筑波山は冬晴れの日には大概見える。標高は877mあり、直線距離は約110㎞。

早来工営「早来丸」がやって来た。同社のHPによると、川崎工場(産業廃棄物中間処理施設)で
無害化並びに再資源化した土質系廃棄物や土壌を、セメント工場等へ運搬する貨物船である。云わ
ば海上輸送における「白ナンバー」の自家用船。内航登録船ではない。692G/T、1988.08、函館どっく
(函館)。オレンジ色に塗られた15t×2のジブクレーンは、とても目立つ。
この船を見る度、2隻の「播磨丸」を思い出す。播磨造船所が建造した海上トラックのモデルシップ(試作船)
で、一番船は1957.06.28に竣工した。