まつなが畑のはたけ日記

農ある生活をするため奈良御所市金剛山の麓に農地を借りスタート
素人農業の何気もない日々の日記

一人暮らしのつぶやき

2010年08月14日 20時26分15秒 | Weblog
一人暮らし。。

初めてではない。
でも違うのは休みが無かったこと。

目一杯働くと家事が出来ないことに気づく。
溜め込むと休みに消化という事が出来ないことに気づく。。


最近は生活は落ち着いてきたけど、お盆という事もあってか畑には誰も居ない。
という事は誰とも話す機会が無いという事・・・。

今日は隣のおばあちゃんが話しかけてくれたから一度だけ声を発した。
後は食べる時かボーっとしている時ぐらいしか口は開かない。



就農当初は畑で仕事をしていても近所の人と話す事も少なかったから一日で話すという事がグッと減ったことを思い出す。
でも帰れば家族が居た。
ホント家族ってありがたいもの。

結婚する前は一人で居ることがあんなに楽しかったのに。。


それは自由だったから。
でも今も自由。。


そして自由には2種類あることに気付く。


社会の仕組み、いわゆるしがらみの中の自由。
仕事の日があって休みの日がある。
稼いだお金で休みをどう過ごそうか?と考え仕事をする。
イヤイヤそうで無くても必ずくる休み。

それは休みを保障された生活。

アルバイトは仕事の日まである程度自由に選べる。
自由度が大きいがしがらみが少ない分、社会の仕組みの中の保障も少ない。

そしてこの社会で生きていこうと思えば・・・というか一人前に自立する為には正社員(サラリーマン)になること?
であろうがそれは今になって終身雇用と言うのが減っているが長いスパンで仕事をするという形で勤め先に対してある意味の責任が付く。大きなしがらみの中手厚い保障。それが今の世の中で言う安定なのか。。
ただしがらみの中にあって休みと言う自由な日は必ず必要なのである。
一応労働基準法で保護された社会。
こういう中、仕事や休みの時間を含めて“好きな事をする”という自由を多くの人は求め出したように思う。


一方私が今自由であると言うのはもっと大きなしがらみの中での自由なのだ。
全ては地球が回転しているように何もしなくても私達がそこに立つだけで営まれている現象というしがらみ。
仕事を始めれられるのは日が昇る頃、日が沈む頃にはイヤでも帰らなければいけない。


人が決めたしがらみでは無く当たり前にそこにあるしがらみに則すということが私の自由なのだ。
家族を持つという事もその中で生活を営む事も、生きるために食べ物を作る事も決して“好きな事”という表現ではなく全ての事、生きることに則するという自由。
ただただ生きるという事だけで自由を感じることが出来る。




結局何でも良い。
農業でなくても良い。

地球はイヤでも回るのだからそれに則して生きれれば何をやっても良い。



そうして産まれたものは何でもきっと美しい。
器でも、服でも・・。
芯を捕らえホンモノであること。

私も心がけたい。
子供にも教えたい。

力を抜いて生きようと。

イタリア野菜。
どないかして作れんかなぁと思っていたパプリカ。

一般に売られている大型は難しいからイタリア野菜の牛の角のような形のものとトマト?のような形のものに挑戦。

しかしピーマン事態2年続けて病気が出ているからこちらもポツポツ。


ピーマン共に試行錯誤が必要。あと2年ください。。