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おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

庭に鉄平石を貼り付ける

2012年04月20日 09時12分45秒 | 日記
今週は我が家の庭にアクセントをつけるために、ご近所のHさんから頂いた「鉄平石」を貼り付ける工事を始めた。

今まで芝生の上に置いていた野外テーブルの場所に円形にコンクリを打ち込んで鉄平石を貼り付けることを思いついて作業を始めた。



まずサイズを測って、円を描き、柴を剥ぎ地面を5,6cm掘り下げる。そしてそこに砂利を埋め込んでいく。

これを「地搗き歌」を口ずさみながら丸太で固めていく。「♪父ちゃんのためならエンヤコーラ、母ちゃんのためならエンヤコーラ♪」

これが済んだら今度はいよいよコンクリを流し込む。Hさんからアドバイスを受け、コンクリ1対砂1で混ぜ込み水を入れスコップで練り上げる。これはなかなかしんどい

流し込んだものを妻が左官用のこてで平らに均していく。そして乱形の鉄平石を適当に貼り付けいく。

ところが・・・

コンクリの水が少なかったのだろうか?鉄平石を上から押さえても沈まない。だから石の厚みがそのまま出てしまった。
これではメジを入れようとも埋めきらない。

一晩考えて、翌日一度鉄平石を剥いで平らに削って、やり直そうと決意。

やってみると簡単に石は取れた。これじゃだめだ

そして昨日、コンクリと砂を買い足して、それと飾りのタイルを購入して再挑戦。それがこれだ



まだ時間の関係(仕事の都合でなかなか忙しいのだ!)で半分の段階。

今日もこれから「男の料理教室」だし、午後は病院へ行く予定なので、少し時間が掛かりそうだ。

まあ仕上げをゴロウジロ(ご覧ください)!だ

歌は生命のドラマ

2012年04月17日 11時15分52秒 | 日記
日曜日、村内にある野外ステージ「アスペクタ」で村内カラオケ大会が開かれた。

事前に村役場に申し込んでいた人15名、当日の飛び入り5名。知らなかったのだが、審査員がいて入賞者には賞品も出るらしい。

各地区からの代表が出場するという。順番は最終の15番目。

天気晴朗で、野外の広大な敷地=1万人以上入るような広さがある会場のアチコチでお弁当を開いてお花見気分山桜はもう散り始だが風が優しいし、天気がいいので柴の上にシートを広げてお弁当を音楽を聞きながら食べるのは至上の悦楽だ。

応援に来てくれた卒業生一家と一緒に弁当を食べて順番を待った。

みんななかなか巧い。家庭にもカラオケ機が普及しているので、歌唱に慣れている。

腹ごしらえをして、序にビールも飲んでいざステージへー

この日はカラオケで、音響もばっちり。このステージでは毎年世界のカントリーソングの歌手が集まってフェスティバルが開かれている。

このステージで歌いたかった。南外輪山の斜面を開いて作った会場は景色がいいし、青空の下で歌えるのは幸せなことだ。

曲は「酔歌」(吉幾三)。先月の玉名の大会で経験している所為か少しの緊張はあるものの落ち着いて歌えた。

演歌にはパトスがある。平板に歌ってしまえば面白みのないツマンナイ歌になってしまう。しかし、過剰な演出は興醒め。

丁寧にそっと思いを籠めてー

この後、飛び入りの歌が続いて成績発表。

入賞者は4人で、順位はつけないという。さあどうか???

最後に私の名前が呼ばれて再度ステージへ上がる。賞品は村特産品の阿蘇の赤牛「特選ステーキ肉」だそうだ。

やったー

とても嬉しかったのは村に引っ越してから知り合った友人達がたくさんできて、わざわざ応援に駆けつけてくれ声援を送ってくれたことだ。

歌うことの楽しさを再確認している。出番前の緊張感とワクワク感、歌い終わった時の緊張の弛緩。そして、成績発表のドキドキ感。頂いた賞品のあり難さー

いつか、ギターの弾き語りをこのステージでやれたら幸せだがなあ


ドキドキヒヤヒヤの火渡りの行

2012年04月14日 11時22分53秒 | 日記
昨日は生憎の天気ではあったが、予定通り阿蘇の「西巌殿寺の火渡り体験ツアー」に参加した。

参加者総勢30名、案内の80歳の○○さんとスタッフ3名で道の駅阿蘇似集合、そして10時出発。

阿蘇の古代宗教は阿蘇山上の噴火口から出発している。

火の神阿蘇大明神=健磐龍神(たけいわたつのかみ)への信仰と密教天台宗の修験が神仏習合して発展していった。

近世薩摩の侵攻で、それまで大いに栄えていた山上の坊中(古坊中という)が滅び、細川入国以前加藤清正によってこの阿蘇の北麓に再興されたのだ。この町に70余の坊舎が再建された。

これも明治維新の後、新政府の神仏分離令、廃仏毀釈政策によって殆ど行者、山伏は還俗して坊舎は姿を消した。

残ったのがこの「西巌殿寺」1寺のみ。

この儚く消えた修験道の跡を巡るツアーなのだが、雨が容赦なく降り注ぎ、かさを差していたものの全身ずぶ濡れ。

寺の境内では修験者達が祈祷を行い、真ん中に火を焚いて緊張した雰囲気を醸していた。

お堂で檀家さん達から振舞われるお弁当と温かい味噌汁をあり難く頂き、いよいよ火渡りが始まった。



境内には300人位の信者、見物人が集まっている。さらに地元のTV局のカメラがずらっと並んでいた。



真っ赤に色を染めている焼けた木々そして祈りを籠めて書いた護摩木、燃えた後ではあるが、まだ煙が燻っている。

火渡りを希望する人がずらっと並んでいるのでその後ろに私も並んだ。

皆もう靴を脱いでいる。裸足になっていよいよ順番が来た。一つだけ願いを籠めて歩きなさいと行者さんに言われたが、それどころではなかった。

ほんとに恐かった。こりゃ必ずややけどするわいな・・・



覚悟を決めて歩き出して自然早足になる。お願いどころの話ではない。行者さんに手を取られ引っ張られるようにして5mくらいの火の道を急いだ。


今思うと熱さを殆ど感じなかった。不思議だ。

この後、「湯立て」の行があった。女性の行者さんが鍋に沸かした湯を笹のついた竹で信者に撒き散らすのだ。


これは面白かった。「こっちにかけてくれ」と催促する信者もいる。お陰で雨だけではなくお湯でシャワ-したようなもの。

この後のことはまたいつか書きたいと思う。

今年はきっといいことがありそうだ。

阿蘇修験道の聖地西巌殿寺ツアーへ

2012年04月13日 07時21分46秒 | 日記
今朝は早めに起きた。

天気は曇り。ミサイルの姿は見えない・・・

今日は新聞で知った阿蘇の麓坊中にある西巌殿寺での火渡り体験ツアーがあり、ずっと阿蘇山岳宗教を調べている私は「渡りに船」とばかり申し込んだ。

修験者が自らの身体を痛めつけることによって(=受苦の行)、衆生の罪を贖う修行を行ったのだが、ここでは焚き火をしてその火の上を歩くという。

火傷用の軟膏でも持って行こうか?

元々阿蘇山上にあった多くの坊舎は麓に移された。そしていま坊中には西巌殿寺のみとなってしまった。その寺で昼食を摂ることになっている。

いろんなことに挑戦したいと思っている。これもその一つ。

日曜日には原生林の北向山登山の予定だったが、アスペクタのカラオケ大会への参加が本決まりになったのでこちらに出ようかと思っている。地区の代表になるというのだから責任がある・・・

歌はもちろん「酔歌」。出番は15人中の最後になったらしい。

忙しいぞ、わが「第二の人生」。

初月給の感激

2012年04月12日 08時25分43秒 | 日記
昨日のアクセス数が信じられない位に伸びていた。数字に心が左右されるのは「近代人」の悪癖。しかし、「ナンダカナア
3月から始めた仕事の始めての月給が渡された。

小学校の学童保育の仕事で、村の広報に募集広告が出ていて応募したもの。

現役最後の仕事は「幼稚園の園長」この時、毎日子ども達といろんな遊びをしたり、一緒に弁当食べたりした。

特に鬼ごっこが大好きで、毎日子ども達と園庭を走り回っていた。

高校の校長をその前に6年間やって、ストレスで体を壊し定年まであと1年の残しという段階で職を辞し、付属幼稚園の園長を最後の勤めに選んだのだった。

幼稚園でのいい思い出が強く、学童が小学校低学年生との付き合いということで、あまり中身を調べることなく申し込み採用された。

親が特に母親が職業を続けるためには学校が終わった後の子ども世話をする場所が必要になってくる。そこで「鍵っ子」をなくし、帰っても誰もいない家に寂しく時間を過ごすのではなく「学童保育」に帰ってきて他の子ども達と一緒に宿題したり、遊んだり、おやつを食べたりして2~3時間を過ごす。

その世話をするのが「学童保育指導員」。

春休みには1日中8時から6時まで一緒に過ごした。

但し、年齢と体のこと(心臓病=狭心症)があるので、週に2,3日のみ。

この仕事で給料を頂いた。時間650円、3月分2万8千円入っていた。高校生のアルバイトの給与以下だろうが、これをあり難く頂いた。そして妻にその分から1万円を小遣いに渡した

妻は固辞したのだが、「最初から決めてたことだから、もらってくれ」と無理やり渡した。

今日も3時から出勤する。S君と約束していた「凧揚げ」の凧作りの用意をして出かける。凧作りについてはネットで調べて材料を用意した。さて本当に飛べる凧ができるか不安だが楽しみ。

住んでいるな所は過疎の村で、ほんとの田舎。しかし移り住んで2年余、小さな社会にこそ政治のアラ=弊害が象徴的に顕現する。村議会の役職者は威張っているし、村政は利権と共に存在する。

怒り心頭に発すことも多々あるのだが、心を癒すのは子ども笑顔。