阿蘇のカルデラの中に移り住んでから、3年目になる。
狭心症という心臓病を持っているので、定年退職してのんびりゆっくりの田舎暮らしをとここに移り住んだ。
職場のストレスが無くなった分体調が良くなった
・・・と思った。ところがー
はじめ気付かなかったのだが、鼻の奥がムズムズし始め、くしゃみと目がかゆく、涙目になる。
最近、日本列島を縦断した春の嵐=暴風雨でお隣の別荘にある杉が大揺れで杉の葉を我が家に撒き散らした。その片付け
を昨日したのだが、夜は悲惨な結果が待っていた。
体調?はいいのだが、鼻づまりが酷く、口を開けて息をするしかないので口中が渇いて目が覚める。2時間毎に目が覚め、鼻をかみベッドサイドの屑籠はティッシュで一杯。
2Lほど鼻をかんだ・・・?
息が苦しいので眠れない。仕方なく本を読んだ。天童荒太の「家族狩り」600ページにも及ぼうとする大作。昨晩一気に読み上げた。
山本周五郎賞を取ったらしいのだが、個人的にはそんな評価はできないと感じる。一つの学園で次々に起こる家庭崩壊と尊属殺人。子どもが親を惨たらしく殺害していく異常な事件を執拗に描き出していく(そのことで家族の本質=愛とか性とか血縁という血のつながりについて考えさせる)のだが、ストーリーはサスペンス立てになっていて、実は殺人は尊属殺ではなく意外な人物による殺人だった。
エピローグは犯人の死?(死体が発見されなかったということで「続」編が考えられるのか?)と追跡していた馬見原刑事、美術教師、最後の被害者家族が皆重症を負っていたのだが助かっていて、ハッピーエンドに終わっている。
殺人の状況の細やかで吐き気を催させるほどの描き方と完全犯罪までのディテールの描出に比べて最後が実にあっけない幕切れ「良かった良かった
)で若干幻滅を感じた。
現在「学童保育」で子どもの世話をしているが、育児或いは児童養育というのはなかなか難しい。幼児から児童への成長していくのだがここに子どもの将来の姿が見え隠れしている。
子どもがいない私は親にはならなかったが、「家族狩り」で親と子のつながりについて考えさせられた。
狭心症という心臓病を持っているので、定年退職してのんびりゆっくりの田舎暮らしをとここに移り住んだ。
職場のストレスが無くなった分体調が良くなった

はじめ気付かなかったのだが、鼻の奥がムズムズし始め、くしゃみと目がかゆく、涙目になる。
最近、日本列島を縦断した春の嵐=暴風雨でお隣の別荘にある杉が大揺れで杉の葉を我が家に撒き散らした。その片付け


体調?はいいのだが、鼻づまりが酷く、口を開けて息をするしかないので口中が渇いて目が覚める。2時間毎に目が覚め、鼻をかみベッドサイドの屑籠はティッシュで一杯。
2Lほど鼻をかんだ・・・?
息が苦しいので眠れない。仕方なく本を読んだ。天童荒太の「家族狩り」600ページにも及ぼうとする大作。昨晩一気に読み上げた。
山本周五郎賞を取ったらしいのだが、個人的にはそんな評価はできないと感じる。一つの学園で次々に起こる家庭崩壊と尊属殺人。子どもが親を惨たらしく殺害していく異常な事件を執拗に描き出していく(そのことで家族の本質=愛とか性とか血縁という血のつながりについて考えさせる)のだが、ストーリーはサスペンス立てになっていて、実は殺人は尊属殺ではなく意外な人物による殺人だった。
エピローグは犯人の死?(死体が発見されなかったということで「続」編が考えられるのか?)と追跡していた馬見原刑事、美術教師、最後の被害者家族が皆重症を負っていたのだが助かっていて、ハッピーエンドに終わっている。
殺人の状況の細やかで吐き気を催させるほどの描き方と完全犯罪までのディテールの描出に比べて最後が実にあっけない幕切れ「良かった良かった

現在「学童保育」で子どもの世話をしているが、育児或いは児童養育というのはなかなか難しい。幼児から児童への成長していくのだがここに子どもの将来の姿が見え隠れしている。
子どもがいない私は親にはならなかったが、「家族狩り」で親と子のつながりについて考えさせられた。