おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

「春なのにー・・・♪♪」、だけど何故かブルー

2010年03月15日 09時07分17秒 | 日記
今、小雨が降ってきた。天気が続かない。昨日は山を早く下って、家の引越しの準備に当たった。年も還暦、結婚34年にもなると次第に荷物というかガラクタが増えていく。

結婚して4回目の引越しだが、引っ越す時に使うもの使わないものをしっかり選別することが面倒でそのまま倉庫に放り込んで眠っていたものを起こして明かりを当て選分けして、ダンボールに入れている。これが時間がかかる。つい追憶に浸ってしまう。やっぱり捨てられない。家具も処分するはずだったものが復活して運ばれることになった。寝室に整理箪笥、洋服箪笥、和ダンス(着物を入れる)の3本が入るから、ベッドはセミダブル二つをくっ付ける事にした。ちょっと窮屈になってしまうが仕方ない。妻が嫁入りの際に持ってきたものだから、いわれるとおり。

随分処分した。木曜日、運ぶ予定だが、まだまだ片付いていない。当分、不必要なものは置いておくことにしたので、ぼちぼちでいいんだけれど運ぶ予定のものの箱詰めがまだ残っている。

17日(水)に高校で、退任式。19日に幼稚園で終業式と退任式。20日、最後の仕事である卒園式。そして夜の謝恩会。あと各種の送別会があるけれど、できるだけ静かに去りたいので有難いことだけれどご遠慮させてもらっている。

先の生活の楽しみで、早く退職の日が来ないかな心待ちにしていたけれど、3月に入ると時の流れるスピードの速いことといったらー。昨日お昼は2年ぶりに、阿蘇外輪山の外側俵山山系の山懐に抱かれた場所にあるだご汁屋に行った。このおばちゃんがいいのだ。宮崎のえびのの人で、70位。通い始めて7,8年になるかー息子が市内の我が家のすぐ近くに居酒屋を開いていたので、そこにもよく飲みに行った。古民家の造りで囲炉裏が会って、自在鉤には炭火で鉄瓶が湯気を上げている。宮崎は薩摩弁。当時、だご汁定食は780円?お膳に山ほど料理が並んだ。これじゃ安過ぎるよと「注文」を出したりした。帰りにはみかんやらなんか必ずお土産を持たせてくれた。値段が1000円になっていた。けれど内容がさらにボリュウームと味がアップしているので満足感は変わらない。窓から見える眺望が素晴らしい。田舎暮らしをしようとした一番はじめに土地を探した所がこの付近だった。おばちゃんに土地を世話して欲しいと頼んだが、結局縁がなかった。そして阿蘇に場所を移した。

「定年されても体には十分注意されてください。近所の人で、60で定年を迎え4月から悠々自適の生活に入ろうとしていた矢先、がんにかかって6月には逝去されたという人がいます。懇意にしていただけにまだ悲しみが癒えないでいるのです。」

今から退職しようとしている身にとってちょっと重い気持ちになる話だった。生死は一如、今息をしているけれど、明日は土の下になるかわからない。わかっちゃいるけど何だかなあ・・・

38年通った仕事場とも今週でお別れ、いろんな感慨が去就する。喜怒哀楽、一直線に走った若い頃、すべてを敵に回しても大義を貫こうとした。青かった時代。一転、生活指導の鬼に、この道でも走った。政争に巻き込まれて、単なる駒として利用されていたとも知らず、管理職に「抜擢」され、ついにトップに。職員間ではどうかわからぬが、生徒との貴重な思い出だけはかけがえのない財産として心の中に残っている。これがこれからの人生でも大きな励ましをしてくるのではないかと思っている。

引越し準備に大童

2010年03月12日 09時19分47秒 | 日記
引越しの準備で妻は毎日大童の状態。すでに大方の荷物は「赤帽」に二回に分けて運んでもらっているのだが、いざ荷物の整理をし始めたら次々に出てくること。今の家に越してから20年、押入れに仕舞って殆ど出すことがなかったものを引っ張り出すと懐かしくて、見入ってしまう。教員なので社会科の授業資料やら、バスケのスラブ指導をずっと続けてきたのでスコアブック、試合結果の載った新聞の切り抜き、生徒の反省文等々。これが捨てられない。

書庫もすでに4つ運び、新たに作った「作り付け書棚」にも全部満載。向こうにも余分なスペースはない。昨夜もまだ残っている一本の書棚に入っている本を選別し、荷作りした。なにしろ歴史関係の資料(書類)が多い。横井小楠の文献の膨大なコピー、これからこれ読むのかな?・・・と思いつつ、捨てられない。まっ、いいか!!離れ書斎を作ったのだから、ギターばかり弾いていてはならない。勉強もしっかり続けないと!音楽関係でも新たにアンプをネットオークションで手に入れたからスペースが狭まるばかり。
壁すべてが書棚でつぶれそうだが仕方ないか!本というのはいざ必要という時に傍にないと困るのだから。恐らく人口1万人もいない南阿蘇村は小さな行政単位、村立の図書館もなければ、史料館もない。
今日は仕事が終わったら、向こうに行くので、本の整理をしようと思う。理想は近隣の人達の図書でお役に立てないかと思っていたのだが、スペース上仕方ない、小説でもサスペンス、エンターテイントメント、通俗小説の類を処分しよう。「ブックオフ」でかね稼ごう!!!

大学時代、生物学で有名な山根銀二先生が講義で「本はなんでもいいのだ。これがいい、あれはだめだというんではなくてなんでも読め!」と教唆され心のどこかにその言葉が引っかかっている。いろんなほんを読んできた。エログロナンセンス、怪奇、暴力を描いた小説もあった。村上龍の一連のセックス・薬物の小説、花村萬月、桐野夏生、伊島も読んだ。確かに刺激的で楽しむことは出来るのだが結局何にも残らない。

卒論で書いた横井小楠を再び読み始めた。先ずは向こうに行って郷土史をおさらいしよう。基本的に阿蘇の歴史、地理、植生、地勢、産業などの所謂「阿蘇学」を勉強した上で、阿蘇の民俗学・民間信仰についてフィールドワークを含めて調査研究できればいいと思っている。
待てよ、耳を澄ますとあちこちから「ふてえこと抜かすな!!」って声が聞こえてきた。

残すところ2週になって時の経つのが早いこと!

2010年03月11日 10時58分21秒 | 日記
昨日、幼稚園の後援会の総会が開かれて、園長挨拶を頼まれたので、保護者への最後の挨拶になるので次のようなスピーチを行った。

                                
 本日はお忙しいところ、後援会総会にご出席を頂きましてありがとうございます。
 大学で専門の社会科と教育に関しまして原理、法規、心理学等々勉強をさせていただきまして、卒業と同時に鹿児島から熊本にやってきました。叔父が県立高校の校長をしておりまして、その先輩であり知人であったHさんという人が昭和48年当時、県立高校の校長を退職されて、熊本中央女子高等学校長に赴任されたばかりであったと思いますが、そのH先生のお招きがありまして、社会科の教員としてスタートをしたのです。爾来37年、教育一筋にまい進してまいりました。3年前に高校の校長と兼任でこの幼稚園長を拝命して以来3年目になります。学校は定年60歳ですので最後の年を自ら選んで専属の幼稚園長として務めさせていただきました。

 自虐的ではありますが、引っ越してきて驚きました。なんて拙劣な施設だろうってー。中規模ではありますが、高校にはもちろん校長室があり、その広さは25~30畳。17,8人程度の小会議が開ける円形テーブルも備えてあるし、明かり取りの広いテラスもありました。デスクにリクライニングの革張り椅子とソファーセット。どこの高校の校長室にある風景であります。ここに6年いました。そしてすっかり体を壊してしまいました。還暦を迎える最終年度は心(ストレスが過重)と体のことを考えて、大好きな子ども達と一緒に裸で自然に向き合える幼稚園で働こうと考えたのです。それは私の心身にとってもすごく良かったと思っています。しかし、その設備の劣悪なこと。園長室がないどころか座る椅子だって、最初から壊れていました。なんと背もたれがありません。夏は暑く冬は冷凍庫の事務室生活が始まりました。先日、ある幼稚園に出張しました。始めていくところだったのですが、園地に入ったところ、目を瞠りました。グランドは陸上のトラックが作られています。その横を見るとプール。遊具も園庭の一角に集めてあります。校舎を見ると2階建ての鉄筋コンクリート作り。事務室があり、会議室は2階ということで上がっていきました。もちろん園長室、職員室もあります。よその幼稚園には入ったことがなかったので、驚異でした。これが普通なのかと!!その日は足取り重く帰ってきたのですが、暗い気持ちも子どもたちが「お帰り」、「園長先生、どこ行ってたの?」と駆け寄って抱きついてくる。これで気疲れは吹っ飛びます。

 残念ながら施設は劣悪と言わざるをえませんが、中で行われている教育はすばらしいものであると確信します。これは、高校でもいってきたことなのですが、人が育っていく環境というのは絶対ではない。松下村塾でも大坂緒方洪庵の適塾でも、横井小楠の四時軒でも狭く、坪井の横にあった幕末の肥後藩の英才宮部鼎蔵の学塾も暗く粗末な場所でしたが、ここから英傑は育っていったのです。大切なのは、育てる指導者と学ぼうとする学生の意思と後援する親の理解にあります。幼稚園は就学前の幼児教育を行っているところで、他所には競争原理を取り入れて詰め込み英才育成の教育を行っているところもありますが、坪井ではこれから作られようとしている建物の土台作りをしているのです。人として最も大切なこととは何なのかを問い、見つめ、議論し到達したところに坪井の教育があります。それは自然との共育とでもいったらいいかと思いますが、人間が自然界の中で唯一知能を有するホモサピエンスとして君臨するし支配するのではなく、自然界に共生するものとしても自分を確認する。自然の微細な変化を自分の目で見、触り、臭いを嗅ぎ、味わう・・・
 
 私は、幼稚園に来ていろんな日常的な保育行事に参加することでこれまでいかに自然を無視してきたか、自然を痛めつけてきたかを知りました。自然のこと、自然に直接触れ合ってきた昔の暮らしを知らないのか、驚き恥じ入りましたが、正直に告白しました。「知りません」、「わかりません」子ども達と一緒に体験し学んできました。

 自然の中での経験を通して、人間が生来具有している感性を育てていくことはこの時期の子どもにとってとても意義のあることだと思います。
よく歩きました。二の丸、三の丸、葦北、菊池、八景水谷、水前寺公園、阿蘇、木下家、高迫城公園・・・老化のスピードを抑制する第一条件は足を鍛えることだといいます。歩くこと、走ることは大事なのです。だから私は「鬼ごっこ」を本気を出してやるのです。本気でやるから子どもに飽きられないと自負しています。事務室に子どもが誘いに来ない日は雨の日以外一日もありませんでした。それが一番寂しい。

 しゃべりすぎました。教育は先ほどいいましたように、教師と子どもと親が三位一体になって進めていくからこそ効果が上がるものです。そして坪井の教育にとって地域との連携は必須であります。後援会は私達の心強い協力者であります。今後もどうぞよろしくお願いいたします。

写真は先日全園児を連れて訪れた中世城址公園「高迫城」。


♪「時がいつか~二人をまた~」♪・・・世相を斬る!

2010年03月10日 11時18分19秒 | 日記
世相を斬る。
「別れさせ屋」事件。東京で、起こった殺人事件で単なる愛憎の縺れというものではなくて、その底に「別れさせ屋」というものがあって深く結びついていたという。実際にこの「別れさせ屋」というビジネス?が存在しているというから世の中まさに魑魅魍魎跋扈する百鬼夜行だ。この事件で罰されるのは被害者を殺害した男。ビジネスの目的は夫が妻との「別れ」を達成するためにこの業者に依頼、派遣されたのが犯人で、最初は妻を誘惑し不倫現場を証拠写真に撮って「別れ」を成立させる。もともとこの夫というのが、業者に依頼して自分の妻を誘惑させている。誘惑して成功したらそれでビジネスは成立するはずだが、この男妻子ありながらこの女性とほんものの恋愛関係になり、その痴情の縺れで事件に至ったというのだ。殺された被害者の両親がボカシなしの姿でインタビューに応えていたが、「勇気」があるなあと感じた。一番憎まれるべきは犯人だが、夫は実行犯ではないが裏で自分の妻への誘惑を業者に依頼している事実はどこに行ったのか???庶民感覚なのだろうが、こんな仕事がなぜ公的に成り立っているのか?どこか公的機関で認可されているから、ビジネスとして成立しているのだろう。
この事件で夫の存在が深く関わっているのに、言葉で糾弾されたらしいが、法的な制裁措置はないのか?!そして、甘い誘惑の罠に「落ちてしまった」妻の軽さは・・・

芸能界、再び薬物汚染が限りなく浸透している事実を白日の下に晒した。
JAY WALKの中村某の逮捕。驚きだ、地元のTVでは水俣で行われるコンサートの招聘ミュージシャンの一員としてJーWALKがCMの写真に載っていた。同年齢というし、なかなか歌がうまい。
ニュースでは彼は妻と死別しているという。子供は??マンション暮らしだったみたいで、夜な夜な街をうろつき回ることをしないタイプだったようだ。一見まじめそうなのに・・・人間わからんもんだ。やっぱり薬物は一度手をつけると、その味忘れられなくのだろう。
属する会社の社長が会見で謝った後、こんなこと言っていた。「いつか、また彼と一緒に仕事をしていきたい」。もう復帰のことを口走っていた。ばっかじゃないの?!!そんな甘い体質だからこの事態を生んだのだ!!!!!!

先日、「やまない雨はない」というTVドラマを見た。今ではいっぱいいる気象予報士も最初の人の話だった。喉頭がんに罹った天気予報士が壮絶な闘いをしていく様を描いたもので、渡瀬恒彦が好演していた。妻を黒木瞳が演じていた。喉頭がんの手術を乗り越えてほっとしていたら、今度は妻が卵巣がんに罹ってしまう。そして余命通告とあっけない死。その後、渡瀬予報士のこころが次第に壊れていく。うつ病と診断されて、入院。自殺未遂を繰り返す渡瀬。そして、小さい頃から見知っていた少女との劇的な出会い。そして、「やまない雨はない」と自分がテレビの天気予報でしゃべってたことで救われたという視聴者のの存在を知る。まさに「一陽来復」が人生なのかもしれない。きつい、厳しい体験もずーと続いていくんではなくて、いつか明るい太陽が燦燦と輝く日がやってくる。・・・
同じ子どものいない私達もこのドラマを見た。いろいろ考えさせられた。どっちかが死んだ後、どうなってしまうのだろう?たしかに不安ではある。今では妻におんぶに抱っこ状態の私は、もし妻に先に死なれたら、生きる意欲を完全に失ってしまうのではないか?渡瀬といやその気象予報士と同じような道を歩むのではないかと不安になる。しかし渡瀬の演技はすごかった。
生きる意欲を失くした男が髪をぼさぼさにし、ひげは伸び放題。食事もいい加減になっていく。その姿がリアルで、心をナイフでぐさりと刺されたみたいな暗澹たる気持ちになった。
翌日から、丁寧にひげを剃り、髪を整え、身だしなみを気を使い身奇麗を心掛ける事にした。

また雨だよ、やんなっちゃう・・・

2010年03月09日 09時18分02秒 | 日記
第二の人生スタートのために駐車場と離れ書斎を建築した。総工費は予定していた100万の倍以上かかってしまった。当初駐車場と半分仕切った木工などの物置と作業場にするつもりだったのが、途中から書斎兼趣味の部屋に変わったので当然建築設計から変更になったのだ。糟糠の妻が密かに蓄えていたヘソクリキントンが助けてくれた。33年連れ添った恋女房はなんたって「山の神」なのだ。これからの生活は阿蘇外輪山中腹、標高430m。まさに「山」におわします恐い違う!えらーい神なのだ。

わが家の敷地220坪、外輪山中腹にあるので斜面。緩斜面を棚田状に切り開いてある。もともと茶畑だったとか・・・東南側が杉林になっているので、残念ながら冬季の日当たりが悪い。隣の別荘の敷地にある杉は切り払うという約束だったのだが、履行する前に立ってしまったのですでに20Mはあろうかと思われる高木倒すわけにいかなくなった。それで伸び放題だった枝落しだけでもと頭を下げたらやっとのことで一定の高さまで切り落としてくれた。それで幾分かは改善されたのだが、それでも東側の和風庭園(芝生を張って、所々に庭木姫シャラやシマトリ二コなど植えている)の日当たりは良くない。

日当たりのいい北西側に今度駐車場を建設したのだが、できてみるとまたもや心配事が出てきた。我が家の敷地と下段の畑は1.1~2mの棚状のり面になっている。これが人工的な石垣になっていなくて自然のまま。建造物とのり面までの間隔は1.5m。大工はこれで十分安全というが、のり面を触るとふわふわして柔らかい。

以前にも書いたが、この土地の古称「上尾崩」という地名が付いていることを考えるとなんだか不安になってきた。先日、ホームセンターで水準器を買ってきて部屋において見ているが、素人判断では危ない気がする。業者に来てもらって相談したら、「私ども立場からはなんとも(安全か危険か)いえない」という。一応、見積もりだけ作ってもらうことにしたのだが、心の中にしこりになっている。

石垣を作るとすると恐らく50万位かかるだろう。無収入になってしまう身、退職金の消費をできるかぎり抑えなければならない。一方では、お金をかけてもいつまで生きることだか・・・

ボブ・ディランの歌にこんなのがあったぞ。”DON’T THINK TWICE、IT’S ALL RIGHT”くよくよすんなよ、なんとかなるさ>そんな意味だろうか?

ところで、「犬走り」=建物の周りのコンクリート(基礎の一部)を見回っていたら、発見した。40㎝の犬走りの外側1Mほどの間40㎝の幅で砂利を敷き詰めていた。雑草防止なのだが、この厚みが10cm位ある砂利の下から何とフキノトウが出ていたのだ!!これには感激。この場所は二つ並べて作っていた花壇の一つを潰した場所で、このポイント付近に蕗を植えていたのだ。そう根は生きていた。上から重い建物が被さって圧死してしまうと思われたのに、ちゃんと生きていた。そして、砂利の隙間をぬうようにして、明かりを求めて地上に芽を出したのだ。もしや、と見回すとなんと4、5箇所からチュウーリップが顔を出している。なんということだ。自然ってこんな風にして時を越えて繋がっていくんだ。人間だけが王者のようにして、土地を切り売りして、林を切り開き、重機で踏み固め、頑丈な建物を「乗せ」、わが物顔で生活している。思考が行き詰まったら、この原点に立ち戻って考えて見る必要があるようだ。

土曜日、村営の温泉に入ってきた。「四季の森温泉」、残念ながら湧水(自噴)温泉ではなくて、ボーリングでしかも沸かしている。そして循環というのはマイナスポイントだけど、ここの泉質はぬるぬるして肌に気持ちいい。帰りに山を見上げたら、霧雨上の天気だったけど、高岳方面に雲が棚引いていて何だか風情があって綺麗だったので携帯の写真を撮った。