昨夕から雨が降り出した。
作物にとってはいい雨になると思う。
まだ残っているゴマの一部を刈り取る作業をした。その途中からの細雨、それでも作業は続けた。刈り取って後残った根を抜いて、取り払ったゴマの葉を集め、抜いた後の畝を整地しておく。
ゴマは手がかかる。しかし、自分で作ったゴマの風味の豊かさといったら、市販のものの比ではない。今年は去年の成功に気をよくしてたいへんな量のゴマを植えた。種を植えて苗が芽を出した時、雨、風で危うくなった時もけれど、しっかりフォローしてきたので、大収穫につながった。
畑の仕事をしていて実感することがある。当たり前のことだけれど、作物は生きている!
トマトを大玉の品種と実にトマトそれも3種類を植えたたのだが、この夏よく実った。お客が来る度に、袋いっぱいのトマトを土産に持たせることができた。車や保険の営業で訪れる方にもトマトや茄子を持たせた。
専業で作っているわけではないから、種から作るとできすぎる。余った実りをみすみす腐らせるわけにはいかない。これは育ってくれた作物に失礼だ。喜んでくれる方がいい。その笑顔が苦労を吹き飛ばしてくれる。
先日も市内に飲み行った時、馴染みの居酒屋のマスターYさんに10種類くらいの野菜をその日刈り取って大きな袋に入れ渡した。とても喜んでくれた。翌日は奥さんまでお礼の電話をくれた。
トマトの話をしようとしていたところだ。
トマトは強い生命力を持っている。わが畑では買ったトマトの苗は6,7株なのだが、今では溢れかえっている。何故かというと、トマトのワキメを切り取った時に、強そうな枝は切り口をナイフで斜めに鋭く切って空いた場所に刺しているだけで、いつかちゃんと実を付けてくれる。
ところがだ、生命力が強すぎて実を付けるのは良いが枝がどんどん伸びていく。そして一方では、トマトの実が熟しても採り入れに追いつかないと実が柔らかくなってポトリと落ちてしまう。ここから生命の不思議さ・・・自然発生的に落ちたトマトの実の中にある種が地面に落下して弾けそれが根付いて茎を伸ばしていつか一人前?になる。
こうして畑ではトマトが夏の王様になっていく。
余りにも株が増えすぎると手入れが行き届かなくなる。枝は支柱をさしてもらえず、上に伸びたいのに自重で地面に這うようになる。
流石に畝と畝との間は通路でもあるので、そこにトマトの茎が伸びていくので、仕方ないから支柱を補完してやる。アサヒモで誘引し、手を加えると翌日から見違えるほど生き生きとしてくるのだ。そして実りも全然違ってくる。
すなわち作物は人の手=愛情が加えられるとそれを知っていてちゃーんと応えてくれる。放って置くのと手を入れるのとでは実りが激変するので応えは明白。
植物にもいのちがあって、人間との無言の会話をしているのだと思う。
さあて、朝飯も食ったし、畑に下りて作物たちに「ご機嫌伺い」するかー雨で元気を吸ったはず。
朝から、家のニンジンとその葉っぱとレタスと小松菜を千切ってジューサーにかけて飲んだ。
フレッシュな力をもらって今日も元気に仕事?をしよう。
写真はおくらの花。綺麗でしょう・・・

まだ残っているゴマの一部を刈り取る作業をした。その途中からの細雨、それでも作業は続けた。刈り取って後残った根を抜いて、取り払ったゴマの葉を集め、抜いた後の畝を整地しておく。
ゴマは手がかかる。しかし、自分で作ったゴマの風味の豊かさといったら、市販のものの比ではない。今年は去年の成功に気をよくしてたいへんな量のゴマを植えた。種を植えて苗が芽を出した時、雨、風で危うくなった時もけれど、しっかりフォローしてきたので、大収穫につながった。
畑の仕事をしていて実感することがある。当たり前のことだけれど、作物は生きている!
トマトを大玉の品種と実にトマトそれも3種類を植えたたのだが、この夏よく実った。お客が来る度に、袋いっぱいのトマトを土産に持たせることができた。車や保険の営業で訪れる方にもトマトや茄子を持たせた。
専業で作っているわけではないから、種から作るとできすぎる。余った実りをみすみす腐らせるわけにはいかない。これは育ってくれた作物に失礼だ。喜んでくれる方がいい。その笑顔が苦労を吹き飛ばしてくれる。

先日も市内に飲み行った時、馴染みの居酒屋のマスターYさんに10種類くらいの野菜をその日刈り取って大きな袋に入れ渡した。とても喜んでくれた。翌日は奥さんまでお礼の電話をくれた。
トマトの話をしようとしていたところだ。
トマトは強い生命力を持っている。わが畑では買ったトマトの苗は6,7株なのだが、今では溢れかえっている。何故かというと、トマトのワキメを切り取った時に、強そうな枝は切り口をナイフで斜めに鋭く切って空いた場所に刺しているだけで、いつかちゃんと実を付けてくれる。
ところがだ、生命力が強すぎて実を付けるのは良いが枝がどんどん伸びていく。そして一方では、トマトの実が熟しても採り入れに追いつかないと実が柔らかくなってポトリと落ちてしまう。ここから生命の不思議さ・・・自然発生的に落ちたトマトの実の中にある種が地面に落下して弾けそれが根付いて茎を伸ばしていつか一人前?になる。
こうして畑ではトマトが夏の王様になっていく。
余りにも株が増えすぎると手入れが行き届かなくなる。枝は支柱をさしてもらえず、上に伸びたいのに自重で地面に這うようになる。
流石に畝と畝との間は通路でもあるので、そこにトマトの茎が伸びていくので、仕方ないから支柱を補完してやる。アサヒモで誘引し、手を加えると翌日から見違えるほど生き生きとしてくるのだ。そして実りも全然違ってくる。
すなわち作物は人の手=愛情が加えられるとそれを知っていてちゃーんと応えてくれる。放って置くのと手を入れるのとでは実りが激変するので応えは明白。
植物にもいのちがあって、人間との無言の会話をしているのだと思う。

さあて、朝飯も食ったし、畑に下りて作物たちに「ご機嫌伺い」するかー雨で元気を吸ったはず。
朝から、家のニンジンとその葉っぱとレタスと小松菜を千切ってジューサーにかけて飲んだ。
フレッシュな力をもらって今日も元気に仕事?をしよう。

写真はおくらの花。綺麗でしょう・・・