姜尚中の「悩む力」から夏目漱石の「我輩は猫である」、「坊ちゃん」、「それから」、そして「こころ」を読んだ。
その後、森鴎外に移り、「雁」を読んで、そのあと「舞姫」、そして今朝、「阿部一族」を読んだ。
漱石の「こころ」のモチーフになったという乃木大将の殉死は同時代人であり文学者鴎外にとっても大きな問題であった。文学全集の中の夏目漱石と森鴎外を読んだのだが、鴎外の解説を唐木順三が書いていて、その中に鴎外は殉死の数日前乃木邸に行き晩餐を頂戴している。
そして、殉死と「興津弥五右衛門の遺書」の発表、その後「阿部一族」を書いている。まだ「興津ー」を読んでいないが、同じわが肥後藩内で起きた殉死事件をテーマにしているとはいえ、作家が作品に籠めた思いは随分異なるという。
「阿部ー」は歴史的事件を淡々と描き出しているように思える。藩主=絶対王権に使える藩士=部下達の使命は「自我」を超えたこの時代精神に忠実に生きること。時代精神に忠実にとは「生死」を超越している。ここに死への懼れとか悲愁悲哀感傷などはない。ないように描き出している。殿に忠実に仕えても愛されなかった阿部弥一右衛門は亡き藩主の死に追い腹を切る=殉死を願い出るが藩主の遺書で「息子に仕えよ」とあり、願い出を冷たく撥ね付ける。
忠義に「生きよう」としても容れられず、それでも一族了解の下で見事に腹を切るのだがその取り扱いは非道いものであり、嫡子権兵衛葉一周忌の席上、墓前で髻を切るという行為をとり、咎められて首を刎ねられる。
一族はこの恥辱を晴らすために屋敷に立てこもり、藩が送り込んだ討ち手との間で壮絶な争闘を演じる。一族は絶滅するこの肥後藩内で起きた悲劇を取り上げた時代小説なのだが、底流にあるのは乃木大将の殉死。
簡単に言えば文明開化(近代化)と時代精神との相克といえるのだろう。
乃木は若かりし時、田原坂の戦いの際に官軍の連隊長として指揮を執っていた際に軍旗を奪われてしまう。天皇から預かった「命よりも大事な軍旗」を薩軍に奪われたことを一生の恥辱としていつかは天皇に詫びる為に命を捨てなければ考え続けた。日露戦争で旅順203高地攻略の命を受けた第3軍司令長官乃木大将は戦死者5千名を出し、息子2人をそこで失いながら、堅牢な要塞をついに落とす。しかし失った部下と息子達の無残な死を一生心の中に消えぬ「負」の重いとして持ち続け、明治天皇の死の大葬の葬列の皇居出発の合図とともに妻と心中する。
封建思想は儒教の影響が色濃く残存していた。五常である仁義礼智信の五つの徳目が大事なされ、忠義は日本封建社会の体制維持思想として重要視された。明治維新で欧化されていくが、天皇中心の政体においてその体制思想としも儒学の忠義は大きな役割を果たした。
主君のために身を顧みずに働くこと、仕えた主人が死しては生死をともにし後追いの自殺=殉死を遂げること。これが封建道徳における美学だった。
殉死を願い出て許されず、後に死してもその死を無駄死に扱いされて、遺族は行き場がなくなって、弥五右衛門の無念、嫡男権兵衛の怨みを晴らすべく忠義を尽くすべき藩に叛逆する。そして一族の潰滅。
鴎外は自分の思いをどこに置いていたのか、文章は淡々といや冷徹にペンを進めている。
「舞姫」ではエリスとの愛を取るか、帰国出世の道を選ぶのか逡巡わずか、即座にやってきた母国大臣の命を受けて帰国を決意する。そしてそれを聞いた身重のエリスは発狂する。
愛と功利との相克、東大医学部卒、軍医であり役人としても最高官位に上った鴎外、自分の中のエゴを見詰め続けていた。そして計算打算が克つ。
昔「舞姫」を読んで感激して涙を流した覚えがあるのだが、今読んでみると文語調で、読みにくくおそらく口語訳してある文章だったのかもしれない。
今一冊、椎名麟三、武田泰淳、中村真一郎、野間宏、埴生雄高、堀田善衛の座談会「わが文学、わが昭和史」を読了した。
若い頃には埴生を慕い、あの難解な「死霊」を中断することなく読み上げたことがある。懐かしいという思いだ。
その後、森鴎外に移り、「雁」を読んで、そのあと「舞姫」、そして今朝、「阿部一族」を読んだ。
漱石の「こころ」のモチーフになったという乃木大将の殉死は同時代人であり文学者鴎外にとっても大きな問題であった。文学全集の中の夏目漱石と森鴎外を読んだのだが、鴎外の解説を唐木順三が書いていて、その中に鴎外は殉死の数日前乃木邸に行き晩餐を頂戴している。
そして、殉死と「興津弥五右衛門の遺書」の発表、その後「阿部一族」を書いている。まだ「興津ー」を読んでいないが、同じわが肥後藩内で起きた殉死事件をテーマにしているとはいえ、作家が作品に籠めた思いは随分異なるという。
「阿部ー」は歴史的事件を淡々と描き出しているように思える。藩主=絶対王権に使える藩士=部下達の使命は「自我」を超えたこの時代精神に忠実に生きること。時代精神に忠実にとは「生死」を超越している。ここに死への懼れとか悲愁悲哀感傷などはない。ないように描き出している。殿に忠実に仕えても愛されなかった阿部弥一右衛門は亡き藩主の死に追い腹を切る=殉死を願い出るが藩主の遺書で「息子に仕えよ」とあり、願い出を冷たく撥ね付ける。
忠義に「生きよう」としても容れられず、それでも一族了解の下で見事に腹を切るのだがその取り扱いは非道いものであり、嫡子権兵衛葉一周忌の席上、墓前で髻を切るという行為をとり、咎められて首を刎ねられる。
一族はこの恥辱を晴らすために屋敷に立てこもり、藩が送り込んだ討ち手との間で壮絶な争闘を演じる。一族は絶滅するこの肥後藩内で起きた悲劇を取り上げた時代小説なのだが、底流にあるのは乃木大将の殉死。
簡単に言えば文明開化(近代化)と時代精神との相克といえるのだろう。
乃木は若かりし時、田原坂の戦いの際に官軍の連隊長として指揮を執っていた際に軍旗を奪われてしまう。天皇から預かった「命よりも大事な軍旗」を薩軍に奪われたことを一生の恥辱としていつかは天皇に詫びる為に命を捨てなければ考え続けた。日露戦争で旅順203高地攻略の命を受けた第3軍司令長官乃木大将は戦死者5千名を出し、息子2人をそこで失いながら、堅牢な要塞をついに落とす。しかし失った部下と息子達の無残な死を一生心の中に消えぬ「負」の重いとして持ち続け、明治天皇の死の大葬の葬列の皇居出発の合図とともに妻と心中する。
封建思想は儒教の影響が色濃く残存していた。五常である仁義礼智信の五つの徳目が大事なされ、忠義は日本封建社会の体制維持思想として重要視された。明治維新で欧化されていくが、天皇中心の政体においてその体制思想としも儒学の忠義は大きな役割を果たした。
主君のために身を顧みずに働くこと、仕えた主人が死しては生死をともにし後追いの自殺=殉死を遂げること。これが封建道徳における美学だった。
殉死を願い出て許されず、後に死してもその死を無駄死に扱いされて、遺族は行き場がなくなって、弥五右衛門の無念、嫡男権兵衛の怨みを晴らすべく忠義を尽くすべき藩に叛逆する。そして一族の潰滅。
鴎外は自分の思いをどこに置いていたのか、文章は淡々といや冷徹にペンを進めている。
「舞姫」ではエリスとの愛を取るか、帰国出世の道を選ぶのか逡巡わずか、即座にやってきた母国大臣の命を受けて帰国を決意する。そしてそれを聞いた身重のエリスは発狂する。
愛と功利との相克、東大医学部卒、軍医であり役人としても最高官位に上った鴎外、自分の中のエゴを見詰め続けていた。そして計算打算が克つ。
昔「舞姫」を読んで感激して涙を流した覚えがあるのだが、今読んでみると文語調で、読みにくくおそらく口語訳してある文章だったのかもしれない。
今一冊、椎名麟三、武田泰淳、中村真一郎、野間宏、埴生雄高、堀田善衛の座談会「わが文学、わが昭和史」を読了した。
若い頃には埴生を慕い、あの難解な「死霊」を中断することなく読み上げたことがある。懐かしいという思いだ。