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おやままさおの部屋

阿蘇の大自然の中でゆっくりのんびりセカンドライフ

のりピー、いよいよ娑婆に出てくるのか・・・

2009年09月15日 09時15分48秒 | 日記
娑婆とはもともと仏教用語。生老病死の人間界は喜怒哀楽に満ち、波濤が続く。愛別離苦、信頼と裏切りは現世の常。諍いと平和。憎しみと愛、出会いと別れ。罪と罰。娑婆とはそんな人間界=自由世界を意味している。身体を拘束されている受刑者が鉄格子の狭い窓の外を眺めながら、早く外に出て自由の身になりたいと願望する。昔苦界=遊郭に遊んだ男たちがここでは士農工商の身分を超えて自由に遊べるということで、外にいる身からここを「娑婆」と呼んだという。しかし、身を沈めいろんな男の相手をさせられている女達からいうと「外」こそが自由世界=娑婆であったという逆説。壁一枚隔てた二重の世界は合わせ鏡で見える。人には壁を超える想像力がある。
のりピーの保釈請求に裁判所が許可を出したという。500万円の保釈金を担保にー。昨夜から読み始めた恩田陸の『蒲公英草紙』(集英社)の冒頭にこんな文章があった。「人生は夥しい石ころを拾い、背負っていくようなものです。数え切れぬほどの季節を経たあとで、疲れた手で籠を降ろし、これまでに拾った石ころを掘り起こしていると、拾った石ころのうちの幾つかが小さな宝石のように輝いているのを発見するのです。」薬物とい罪を犯した彼女は生きてきた歴史において、抱え込んだた石が人よりも重く、多かったようだ。苦界から抜け出すために夢見た世界が芸能界で、仕掛け人たちによって作り上げられた虚像が清純なアイドル。そこは見えない仕切りを越えると娑婆に見えたものが実は雁字搦めの苦界であり、薄い膜を通して見える外側世界が自由世界=娑婆だったのかもしれない。被せられた厚い仮面を脱ぐために道具=装置として薬があったのかー。気付いた時には抜けられない地獄。極楽に繋がる蜘蛛の糸を手繰り寄せ、よじ登ろうと必死になっていると、足元にたくさんの娑婆を求める男や女。彼女の足首を千切らんばかりに摑んで離さない男の手を見ると、それは弟の縋り付く姿。
廓に囲われた遊女の世界は外から来た者からは「浄土」であったという。のりピーはもう一度「浄土」=娑婆=芸能の世界に戻りたいと願っているのだろうか?人の世はどこにいてもそこは苦界であり、娑婆=自由世界そして背中合わせの「牢獄」。
人間は自分で拾った石ころの中から、時々は輝く宝石を石ころを見つけられるはず。彼女にとって求める石ころの確かな一つは息子のはず。マイクやカメラの前で語る軽薄なカッコばかりの言葉ではなく、黙して真実の母性愛を貫いてほしい。