出逢い工房 竹山

伝えたい 和のこころ
竹山の季節便りと 出逢い日記

ジュリアおたあ

2014年08月31日 22時43分58秒 | Weblog

 

 劇団わらび座の秋の公演のお知らせです。

公演日程は 10月12日  ホルトホール大分の大ホールで14時から開演されます。

今回の劇は 「ジュリアおたあ」 

【ジュリアおたあについて すこし紐解いてみました。】

人生を左右するものは何でしょうか。多くの人は環境や時代であると答えます。

しかし、環境にも時代にも負けずに自身を貫いた女性がいました。

戦国・江戸時代を生きたジュリア・おたあという人です。

ジュリア・おたあ(生没年不明)は、文禄の役(1592 - 1653年)で朝鮮半島の平壌近郊から日本に連行されてきた朝鮮人の女性です。

キリシタン大名の小西行長に保護され、小西夫妻のもとで育てられます。行長夫人の教育のもと、

とりわけ小西家の元来の家業と関わりの深い薬草の知識に造詣を深めました。

また、その間にキリスト教信仰を持つようになり、教会を訪れ、聖書を読み、持ち物を貧しい人々に分けあたえるなどしていました。

主君行長が関ヶ原の戦いに敗れて、石田三成とともに斬首された後、おたあの類稀な美貌と才気を見初めた徳川家康によって

侍女として側近く仕えました。昼に一日の仕事を終えてから夜に祈りの時を持ち、聖書を読み、他の侍女や家臣たちを

キリスト教信仰に導いたと言われます。

しかし、キリシタン棄教の要求を拒否した上、家康の側室への抜擢に難色を示したため、1612年にキリスト教禁止令による最初の犠牲者となり、

城より追放され、まず伊豆大島に、ついで八丈島に、それから最後に神津島に流罪となりました。

どの地においても熱心に信仰生活を守り、見捨てられた弱者や病人の保護や、自暴自棄になった若い流刑罪人への感化など、

島民の日常生活に献身的に尽くしたといわれます。

3度も遠島処分にされたのは、そのつど赦免と引換えに家康への恭順を求められつつも断り続けたこと、

信仰を貫いたことが原因だとされます。それから40年間、流人としての生涯を送ったとされています。

 

過酷な運命の中で強さを失わなかった実在の人物 ジュリアおたあを わらび座が描きます。

竹山にて チケットを扱っています。ぜひご一緒しませんか!!

 


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