出逢い工房 竹山

伝えたい 和のこころ
竹山の季節便りと 出逢い日記

水木先生おめでとう

2010年10月27日 22時16分06秒 | Weblog
今日から、竹山の『ゲゲゲ目玉市』が始まりました。

昨日のニュースで、漫画家・水木しげるさんが文化功労者に選出されたと

報道されました。水木ワールドは、単に漫画の世界のみならず、

島根の境港や東京の調布など地域の活性化に大いに寄与されたことも

特筆すべきことです。



『ゲゲゲの女房』をこよなく愛した私にとつて今回の受賞は大変うれしいものです。

今回の『ゲゲゲの目玉市』のチラシには妖怪シリーズを登場してもらいましたので

事前に使用することについてのおことわりの手紙を、水木しげる先生にお出しした

次第です。というのも出さずにはおれない心境だったのです。




今日と明日の目玉市・・・お得な超目玉品をいろいろ準備してお待ち申し上げております。

ゲゲゲ昼食は、ベーグルにサラダ・かぼちゃスープを作りました。

サーターアンダギーは Mさんがお持ち下さいました。

デザートはWさんのパイナップルケーキ。



ベーグルは、Sさんの指導で初めて挑戦。

こね具合と気温の差でむずかしかつたけれど、ドライフルーツをいれて

何とかできあがりました。



今日のゲゲゲ価格のご紹介は『クマさん湯たんぽ』・・・・680円


これからの季節、癒しと温もりをもたらす、かわいいあなたのおともになりそうです。

あなたも一ついかがですか。お腹のポケットにゴム製の湯たんぽを入れるように

なつています。寒がりの竹山にも必需品になることでしょう。

そうそう、今日は一挙に寒くなりました。

カーペットやこたつ、火鉢に炭まで入れて、真冬のような竹山です。

うさぎのチーフリング

2010年10月24日 21時12分34秒 | Weblog


今日はボーイスカウトの講習会に中津まで行ってきました。

朝から雨、迂闊にも高速道路は別府から先が霧で通行止め、別府で高速を降りて10号線一路

中津を目指しました。不安な気持ちで10号線に入ると今度は事故に遭遇、

10分位、車は動けず、これは時間に間に合わないぞ・・・と思いながら、時間ぎりぎりで

やっと開会に間に合いました。

主催者として一番に行って準備せねばならない立場だったのですが。

ボーイスカウトのモットー『そなえよつねに』・・・失格ですね。


ボーイスカウトのシンボルであるネッカチーフを止めるチーフリングを毎回

手作りで作成し、皆さんに記念に差し上げています。

今回は、来年の干支のうさぎ・・にしました。




手作りですので・・・いろいろ。みんな違ってみんないい・・・です。




今回の受講者は12名。

お子様がボーイスカウトに入団したお父さん・お母さん、小さいころからボーイスカウトに

入っていて、これからボーイスカウトの指導者の道を歩むお兄さんなど。

朝から、夕刻までボーイスカウトの概要を知り体験しながらの講習会が楽しく行われました。

Tトレーナーさんの熱血指導で子供に帰って、秋の自然造形作品を作成しているところです。

ゲームあり、ミニ追跡ハイキングありの体験も出来てあっという間に時間は経ちます。

皆さんもボーイスカウトとの世界を覗いてみませんか。


画像の皆さんの胸の白いリングが 白うさぎです。



ゲゲゲの目玉市

2010年10月20日 10時34分11秒 | Weblog



今月27日と28日『ゲゲゲの目玉市』を開催します。

秋の大売出しといったところです。

『ゲゲゲの女房』テレビから水木ワールドにすっかりはまっていまして

催しのタイトルになってしまいました。

着物から寝具、和小物までのお値打ち品をそろえて皆様のおいでを

お待ちしています。

これない方はご連絡ください。品物をもって伺います。

本日からゲゲゲの目玉移動市、外回り営業の始まりです。

毎日、お値打ち品をご紹介していきます。



ゴブラン織りの和洋兼用バッグ・・・大きさはヨコ33センチ・タテ30センチ・マチ10センチ

                 ゲゲゲ価格・4,800円となつています。



カシミヤ100%のストール(黒・グレー・ベージュ・キャメル)
                 
                 ゲゲゲ価格4,800円


野の花アート展ごくろうさん会

2010年10月19日 23時05分28秒 | Weblog


今日は先日の『野の花アート』作品展のご苦労さん会を竹山で開催されました。

竹山の心ばかりの手作り料理です。

ご飯は芋ご飯、汁物は(エソのツミレ)のしんじょう、

鮭の塩焼き、削りぶし生姜、酢レンコン、ニガウリの煮つけ、栗の渋皮煮など

デザートはヨーグルトムース



野の花アートの来場者は 300名と大盛況だったようです。

来場下さった方全員に野の花の作品をお土産に差し上げたそうです。

300も手作りするのが大変だったことでしょう。





反省会も兼ねての打ち上げでした。

趣味を活き活きと続ける皆さんは、やはり・・・若い!!

舞鶴から丹後へ(旅の記憶・その8)

2010年10月19日 22時14分23秒 | Weblog


成相山の山頂からの日本三景『天の橋立』の風景です。

晴れていれば丹後半島の付け根に位置する天の橋立の全貌が見渡せるようです。

少しガスがかかっていましたが、天の橋立も見え素晴らしい眺望でした。



股のぞき・・・天と地が逆になる、ここに来る方は必ずこの格好をするのです。

誰が始めたのでしょう?



天の橋立の近くにある『元伊勢籠神社』(もといせこのじんしゃ)では

ひと足早く七五三詣りが見られました。

この神社から伊勢の地に神様がお移りになつたという由緒ある丹後一宮なのです。

社殿は伊勢神宮と同じ唯一神明造りでした。


旅の記憶シリーズ、旅が終わって6日も経過して記憶もだんだん薄らいできましたので

この辺でお終いにします。


若狭から舞鶴(旅の記憶・その7)

2010年10月15日 16時40分19秒 | Weblog

       引揚げ桟橋


舞鶴港は13年間にわたり66万人の引揚者と1万6千柱の

遺骨が迎え入れられたといいます。

引揚げ記念館にはつらく悲しい抑留生活の模様や生活用品が展示されています。

毎日この岸壁でわが子や夫の帰りを待つ人々の気持ちを思うと涙腺がゆるんできました。

 『母はきました 今日もきた

  この岸壁に今日も来た

  とどかぬ願いと知りながら

   もしやもしやに
     
   もしや もしやに
  
   ひかされて 』

  とうたった双葉百合子の歌を口ずさんでいました。

  



海上自衛隊のイージス艦が真鶴海上自衛隊基地に停泊していました。

福井・若狭の旅(旅の記憶・その6)

2010年10月15日 15時47分41秒 | Weblog

若州一滴文庫

小浜を巡りおおい町の山里にある、水上勉の残した若州一滴文庫を訪ねました。

この文庫の創設を語る水上勉の言葉を目にした。

  『たった一人の少年に』

ぼくはこの村に生まれたけれど、
10歳で京都に出たので、
村の小学校も卒業していない。
家には電灯もなかつたので本も読めなかった。
ところが諸所を転々として、
好きな文学の道に入って本を読むことが出来、
人生や夢を拾った。
どうやら作家になれたのも、本のおかげだった。
ところが、このたび、所蔵本が多くなつて、
どこかに書庫をと考えたが、
生まれた村に小さな図書館を建てて、
ぼくと同じように本を読みたくても買えない少年に
開放することにきめた。
大半はぼくが買った本ばかりだ。
ひとり占めしてくさらせるのも勿体ない。
本は多くの人に読まれた方がいい。
どうか、君も、この中の一冊から、何かを拾って、
君の人生を切りひらいてくれたまえ。
たった一人の君に開放する。

昭和60年3月8日   
                 水上 勉
  



中には文庫・水上勉とゆかりの深い画家のギャラリー・竹人形館・劇場などが

自然の草花の囲まれてゆったりと点在している。





劇場の舞台は竹林の庭が背景になっている・・・しばし時を忘れて佇んでしまった。



 竹を愛した水上作品を読んで  もう一度訪ねたい・・・・と思った。



福井から若狭小浜へ(旅の記憶、その5)

2010年10月15日 00時58分36秒 | Weblog
オバマ大統領で有名になつた小浜市
 NHKの連続テレビ小説『ちりとてちん』の舞台ともなつた箸と焼きさばの街
 でもあります。

3つの古刹をめぐりました。





明通寺は 本堂と三重塔が国宝
坂上田村麻呂が創建したと伝えられています。



若狭神宮寺、神様を祭る神仏習合の寺、奈良二月堂へお水送りの寺でもある

和尚の興味深いお説教の後、あらためて本堂を仰ぐと背後の山がお寺を

守っているような不思議な感覚が今でも忘れ難い。



萬徳寺 小浜藩主の休憩所となつたという見事な庭園をもつお寺であつた。



日本海、若狭湾でとれる豊富な魚の幸、焼きそば寿司は当地の味です。美味い。

養浩館庭園 (旅の記憶・その4)

2010年10月15日 00時23分51秒 | Weblog




福井市の名庭園『養浩館』は江戸中期を代表する名園です。

福井藩主松平家の別邸で松平春嶽によつて名づけられました。

昭和20年の空襲で焼失しましたが昭和57年に復元事業が始まり

平成5年に完成し公開されるようになつたということです。

こんなところで月を見ながら一杯、・・・昔人の豊かさを思わずに

いられません。


橋本左内について(旅の記録・その3)

2010年10月14日 22時39分27秒 | Weblog






今日は福井と若狭の旅で記憶に残さねばならない幕末の志士、橋本左内

の足跡をたどってみました。

橋本左内は1834年福井藩の藩医の長男として誕生

10歳で三国志を通読したと伝えられています。

15歳で福井藩3の儒学者・吉田東篁(よしだとうこう)に師事

16歳で大阪の出て緒方洪庵の適塾に入り学ぶ、

19歳で福井に帰り藩医となる。

20歳の頃、松平春学嶽公に認められて、藩校『明道館』の幹事となり

     福井藩の教育改革を担当する

23歳で、政治の道、藩政改革に当たるようになる。

    手腕を発揮し、福井藩の近代的な改革が成し遂げられる

25歳の頃、彼は春嶽公の懐刀となつて時の将軍継嗣問題で一橋慶喜を立て

     幕政の立て直しを図ろうと奔走しました。

ところが左内の懸命な努力にもかかわらず工作は失敗、

大老、井伊直弼が擁立した徳川慶福が14代将軍となつた。

その後、井伊直弼らは安政の大獄で一橋派を弾圧、藩主、松平春嶽は隠居、謹慎の処分

を受け、左内は26歳の若さで斬首されたのです。


道なかばで死んでいつた橋本左内の志や

日本の新しい国造りのための先見的理念は

坂本竜馬や西郷隆盛といった幕末の志士に大きな影響を与えることになるのです。

15歳で著した『啓発録』の5項目を記してみました。

 一、『去稚心』ちしんをさる
    人に甘える幼い心を捨てなさいと説いています。

 二、『振気』きをふるう
    何事もやる気を起こして努力しなさいと説きます。

 三、『立志』こころざしをたつ
    目標、あるいは理想を持つことの大切さを説いています。

 四、『勉学』がくにつとむ
    謙虚に学び発想を常に豊かにしていかねばならないと説きます。

 五、『択交友』こうゆうをえらぶ
    学び合い。励まし合えるかけがえのない友をもてと説きます。

   5年程前に求めた 石川洋先生著の
           橋本左内 啓発録を読む
           『君よ志を持って生きてみないか』
                       致知出版社 1,500円
   あらためて読み返してみました。
   
   多くの人に読んでもらいたい名著です。

   竹山にもあります。      


 

 

福井というところ(旅の記録・その2)

2010年10月09日 23時56分48秒 | Weblog


大政奉還に大きな力を尽くした『松平春嶽公』は幕末の福井藩主、

広く人材を登用し藩政改革に取り組みながら幕政改革も推進した

名君でありました。『竜馬伝』NHKテレビでもこれからが春嶽公

の出番であります。

このほか、福井藩の政治顧問であった横井小楠、

15歳で啓発録を著し、国事に奔走、安政の大獄で

26歳で刑死した橋本左内など、幕末から明治の新政府で

活躍した藩士がたくさん輩出したところでもあります。

現在でも、福井の教育の質の高さはこの伝統を受け継いでいると

思われます。

静かな落ち着いた街という印象を持ちました。




越前、福井の永平寺(旅の記録・その1)

2010年10月09日 15時55分52秒 | Weblog




今日は越前の国(福井県)にきました。

雨の永平寺でしたが趣がありました。

初めて訪ねたのは25年程前、家内とお正月に訪ねました。

雪に覆われた永平寺に身も心も引き締まるおもいをしたことが思い出されました。


現在、雲水は200名ほどが修行しているとのことです。

作務(さむ)に励む若い雲水さんの姿が輝いてみえました。



道元禅師が開山した760年の昔から曹洞禅の修行が変わらず続く道場は

貴重な日本人の心のふるさとの一つであります。






わぁー

2010年10月07日 23時14分57秒 | Weblog


竹山の着付け教室の風景です。

お母さんの自然な笑顔がとても素敵です。

お母さんの着物姿をみてびっくりする子、じっと見とれる子

泣き出す子・・・・さまざまな表情を見せてくれます。

1歳未満からお母さんの着物姿を見て育つ子供の未来が

楽しみです。


日本一小さなきもの屋ですが、小さな子供さん連れのお母さんが

着付けをしながら遊べるきものやはめったに無いでしょう。

若い母さんが着物を好きになつてもらう・・・これはきもの屋の

使命です。竹山はそんなお母さんを応援します。