先日 久しぶりに車で遠出してきました。
松山で 販促の勉強会に参加、 増澤さんのブログセミナーと チラシづくりのセミナーでした。
昨年末から これからの私どもの道を模索してきましたが 竹山の事業として 少しずつ形にしていこうと
思います。
いかにして 店の想いや理念を届けるか。扱っている物やサービスの素晴らしさを伝えるか。
セミナーの講師 増澤さんの わかりやすい・魅せる・共感を感じる販促のお話と体験に 引き込まれ
私の心の底から 厚いものがこみあげてくるのでした。
そこには単にノウハウ やテクニックを 超えた 学ばねばならない 商いの哲学が 込められているように感じました。
松山でのセミナーを終えて いつか訪ねようと思っていた 大洲城に足を運びました。
伊予大洲城にある 中江藤樹像
10年くらい前のことでしたが 滋賀県高島市にある 藤樹書院(中江藤樹の私塾)を訪ねたあと
中江藤樹が10歳から27歳まで過ごした 大洲の城下をいつかは 訪ねてみたいと思っていたことが実現しました。
春を待つお城の美しい佇まいに 感動を覚えながら 散策したのでした。
不思議なことに デジカメの電池が切れて セミナーの模様や 松山城の写真が撮れず残念に思っていたのですが
不思議なことに この4枚の写真のみが撮れたのでした。
中江藤樹について
1608年(慶長13)近江国に生まれる。
名は原、字は惟命これなが、通称は与右衛門。
自宅の藤の木にちなみ藤樹先生とよばれた。
近江国高島郡小川村で生れ、9歳で祖父に引き取られ、伯耆国米子、伊予国大洲おおずと移り、祖父の死後に大洲藩に出仕。
京都から来た禅僧の「論語」講義聴講をきっかけに、「四書大全」で朱子学を独学。
27歳で近江に残る母への孝養を理由に脱藩し、帰郷して学問に専念した。
藤樹書院という塾を開いて、道徳の形式よりも精神が重要であるとして、時・処・位の具体的場面に適した行動をとることを説いた。
37歳のとき、王陽明の全書を得て、その思想に傾倒する。
近江聖人として崇敬され、熊沢蕃山くまざわ・ばんざん、淵岡山ふち・こうざんらの門人を輩出した。
『忍の字に題す』
一たび忍べば 七情(しちじょう) 皆(みな) 中和(ちゅうわ)す
再び忍べば 五福(ごふく) 皆(みな) 並び到る
忍んで百忍に到れば 満腔の春
熙熙(きき)たる宇宙 総べて眞境(しんきょう)
一度忍べば七情が皆程々になり
二度忍べば五福が我が物となり
忍びに忍んで百忍に到れば全身が春のようにさわやかになって
広い世界全体がやわらぎ真の境地に到る
(七情(しちじょう))七種の感情、愛・悪(にくむ)・欲・喜・怒・哀・懼(おそれ)
(五福(ごふく))長生き・富・健康・道徳を好む・天寿を待つの五つ
(満腔)腹一杯、全身
(熙熙(きき))光が行きわたる、喜び楽しむ
(眞境)ありさま