4月8日は ボーイスカウト大分第5団の団登山、登山やコースの下見を重ねて いよいよ登山の日。
昨夜、ブログを更新と思いましたが さすがに風呂の中で寝るほどくたびれてしまい早々に休みました。
元越山登山は 晴天に恵まれ 風邪もなく 絶好の登山日和となりました。
参加者は48名 マイクロバス1台、乗用車5台の分乗して一路、佐伯市 米水津・・(よのうず と読みます)の色利浦
の登山口へ 準備運動をして 登山指導の内田インストラクターから 登山の注意や心構え 歩き方をお話しいただきました。
そのあと、数日前にブログで知りあつた 今田さん(元越山登山道を守る会の事務局長)の元越山についてや登山道の整備の
お話などを聴くことができました。『元越山麓日記』でアクセスしてみてください
出発前には自作の ミカンを頂戴しまして 山頂でいただくのを楽しみに 登山を開始しました。
内田インストラクターさんを先頭に ビーバースカウトさんから 2歳 3歳 マスコットも特別参加
約2時間の標高582メートル(海抜10メートいるくらいから登るのので意外と大変)の頂上をめざしました。
第一展望台から 第5展望台まで 途中はいろんな樹木をを見ながら 下界の景色を 休憩しながらみて進みます。
このショットは我ながら いい写真だと感心しています。 海も山も穏やかで みんなを迎えてくれました。
フジつつじも時々鮮やかなピンクの顔をのぞかせて 励ましてくれます。
登山道は 自然を壊さず、作りすぎず かといって危険なところもなく 本当によく 整備されています。
登山道を守る会の方の苦労の跡がうかがえます。
山頂に 着きました。 約2時間予定通りの到着でした。
360度の大パノラマ 国土地理院が全国の一等三角点のある山の中のベスト4に入る風景だと 評価したことが
よくわかります。
かの文豪 国木田独歩も2度この山を登り この風景の美しさに涙したとされます。こんな感性の人間になりたいものです。
みんなで記念写真 みんないい顔してますね。
だれですか 元越山のカンバンの前をふさいでいるのは?(笑)
山頂では お結び弁当をほおばり ました。 いい空気と 景色、スカウトたちの輝く笑顔で 幸せなひと時です。
おまけのデザートは今田さんから いただいた ミカン これが 果汁一杯で 甘くて 疲れが 吹っ飛ぶくらいでした。
みんなで 『喜びも悲しみも幾年月』を歌いました。この歌は 映画の主題歌でもあります。
この映画には ここからかすかに見える 私の大好きな 水の子灯台が登場します。
子供たちはだれも知りませんが あえて唄ったのは このうたの歌詞が 自然の厳しさを体で感じながら、
戦争の被害のなかで 命をかけて仕事をした人々がいたことを 最も端的に著した詩 となつていることを
知ってもらいたかったのです。
『喜びも 悲しみも 幾年月』 作詞 木下忠司
一 おいらみさきの 灯台守は 妻と二人で 沖ゆく船の 無事を祈って 灯をかざす 灯をかざす
三 離れ小島に 南の風が 吹けば春来る 花の香り 遠い故里 思い出す 思いだす
1時間ちょっとの下山後は 豊後鶴見半島めぐり 鶴御崎灯台 (九州最東端)に 行きました。
ここから 眺める豊後水道の景色も素晴らしいの一語です。日豊国定公園のなかの一番の景勝地だと思います。
肉眼で水の子灯台や 四国の伊予の半島も見えました。
この地も 豊後水道を通る敵の船団を迎え撃つ 砲台が あつたところ 旧海軍の秘密要塞となつていました。
最後に 丹賀砲台園地を訪ねました。
巡洋艦『伊吹』の30センチカノン砲を備えた砲台跡は巨大な戦争遺跡として保存されていました。
実射訓練で 爆発事故を興し 多くの死傷者が出たこと そのままの形で保存されていることなど
の説明をいただき 忠魂碑の前で 手を合わせました。
こうして 団登山と見学も終了、 夕刻には 日吉神社に到着しました。
スカウトでなければ出来ない活動とは 子供が歩き、汗を描いて 見て 触れて 聴いて 感じて学ぶ
そして 今ある自分に気づくこと、人のご縁に感謝すること 身をもつて体験した力が一番だと
感じるように小さなころから 徐々に学んでいくことではないでしょうか。