marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(37回目)

2016-06-25 16:30:16 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 気を取り直して、自分の言葉で聖書を読む。遅々として進まぬヨハネ伝第1章終わりの方。これで第1章終わらせる。ところでどうして、他の福音書はすらりと書いているのにヨハネ伝は「最初の弟子」についてこだわるようにそのいきさつを書いているのだろうね。福音書を述べるには、どうでもいいこととは思わないが、少しいらない記事なのでは・・・と思ってしまうが、どうしてどうして思うにヨハネさんは福音記者の中で最も長生きしたと言われているからね。パトモス島で書かれたと言われる最後の黙示録も書いたのではと言われているから、とても長生きした使徒ではあるがいろいろイエスの話を書くのに周囲から出来る限りのことを聞き取って書いていったのでありますけれど(他の福音書は、最初に書かれたと言われるマルコを下敷きに書かれた形跡あり、正確には共通の伝承資料を用いていると言われる、荒井献著のイエス・キリスト<下>に比較あります)、おそらく最初の弟子についてはどういういきさつだったかは、存命する弟子たちの間では重要な話の話題だったに違いないと思うね(注釈に「事件」とあるからな)。だから、ここに最初の弟子のいきさつを入れたのだな・・・と推察する。◆ところで、おい!待てよ。いのちのみことば社(以降「い社」書く)に書かれている時間と日本聖書協会の新共同訳聖書の時間が違うでないの?(39節)かたや10時(**付いてる)、後の方は午後4時ころと書かれているぞ!? 聖書は誤りなき神の言葉でなかったの??それで、「い社」の引照索引・チェーン式の欄外を見ると(とじ目の小さい文字の方の **直訳「第十時」この書では共観福音書(ヨハネ伝の他の先の3つのこと)の時刻の呼称と異なる方式を用いたとみる。同じなら午後4時。(と書かれてますね)で、下の欄外チェーン式39節には、午後4時とする方が事件の推移に適合する。イエスの宿泊所に夕方着いた二人はその夜をそこで過ごした。したがって、41節、42節はその翌日の出来事。(だとさ。いずれ長生きして、この福音書には、「一番愛された弟子」とか、「あの弟子」が とか出てくるのは、福音記者ヨハネ自分のことなのですね。ただ、残念なのは、最初の弟子の話は聞くしかなかったから、時間も内容も前後したのかしらね、やはり。適当に書いたというわけでは無いだろうけど・・・。※その道を説く方にお尋ねしなさい。きちんと返答された方は、ギリシャ語の原点をよく学ばれた方です。)ところでもう一つ、ナタナエルって誰さね(45節)。弟子となると書いてあるが12弟子の中にいたかよこの名前(これ、先よみフライングでマタイ伝第10章みてるからごめんね)。それで同じく「い社」のこの欄外を見るとバルトロマイと同一人物と見なされる(と書かれているね)。いやはやド坪にはまりそう。やはり、イエスの言動を焦点にした方が良さそうだ。ようやく第1章終わり・・・Ω

世界のベストセラーを読む(36回目)

2016-06-24 21:42:59 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 前の回に掲載し紹介した本 (荒井 献著)は、記事の比較をしてるけど4つある新約聖書の福音書の三つだけなの、ヨハネ伝ないのね。歴史がどんどん下り(我々の今の時代に近づき)聖書は本当に大丈夫かなこんなに手術してというくらい、研究が進んでね・・・。何しろ、神様は世界も人間も創造し、活きて働いているということで、世界の歴史をなしてきたと言うわけだから、それに畏れ多くもというか神の言葉が民衆に解放されて、多くの人が読んで敷居がそれなりに低くはなったが、なにぶん内容が内容だけに、長年のそれはそれは長い伝統のある先理解がある選民族の方々と異なり、さっぱり感のある異邦人である我々は分からないが(と言っても我等は神に創造された人間であるからしてその欠片はすべての人間は持っている訳ね。それで声が掛かるとビビット反応する人も世界中にいるわけだ。何しろ、イエス御自身が私が集めると言われているのだから勇気を持とう)。で、神は活きておられて、世界中にその民を散らされた(デアスポラという)訳だが(アジア大陸そして日本にもという話はある・・・)、その散らされた方々を再び集めるというのですね。んで、それらの方々は先理解として神の言葉をしっかり(とはいってもだいぶ変形して形骸化されたのもあり)と持っていて本当に世界中に広まった訳だ。長い歴史の中で、いろいろ哲学はもちろん、政治、経済に影響を与え続けているという訳です(国の成り立ち、国民性に、この日本にはむしろ言葉と言うより生き物の持つ心情としてと言った方がふさわしい形で・・・)。      
◆昨日、英国の国民投票で、EUから離脱したことは、歴史的な出来事として記しておきたい。なぜに、世界のベストセラー聖書を読むに対して、そのようなニュースをと思うなかれ。今回の英国の離脱投票賛否の英国内分布(新聞の記事)と16世紀のキリスト教教派分布の地図を載せるから見て較べられたし。過去にアイルランドのカトリックのいざこざもあったしな・・・。僕が言いたいこと、神は活きて働いているのじゃないか、それでやっぱ、今を生きている自分の言葉でしっかり、永遠の命を与える神の言葉を読み取って残りの人生を生き抜く事ではないのか(組織に関わる前に、或いは関わったとしても)、なんといってもイエス曰く、「生きて私を信ずる者は死ぬことがない」としっかり言われたのだからとしきりに思わされていることなのである。死んでみないと分からないという後戻りはできないからな、こればかりは・・・Ω
※今日の写真 左、英国国民投票分布(昨日の新聞から)、右、(「キリスト教史」藤代泰三著 p219 日本YMCA出版 1970年8月10日 第1印発行から) 

世界のベストセラーを読む(35回目)

2016-06-24 20:32:02 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ M.ルターさんの読むんだったらヨハネ伝ですよ・・・に従って読み始めたら、気づいたら脱線ばかりで全然進んでなかったな。それで今日は、第1章の35節から一気に51節までつまり第1章終わりまで(その前の所は今までの回のどこかに・・・)。日本聖書協会の新共同訳(カトリックとプロテスタントの合同での訳の意)では、ゴチックで表題区切りが「最初の弟子たち」「フィリポとナタナエル、弟子となる」とある。この表題の無い聖書もあります。この辺のところも先の回を。ところで、他の三つの福音書は、最初の弟子のことは具体的ではないな、何でなのかな、ルターさんは、読むんだったまず、ヨハネ伝といってますが、それはイエスの言動のエッセンスが具体的に本文中に書かれているところにあるのだなと先ず思ってみる。それにしても、また脇道にそれるが他の三つの福音書は似ている箇所のあれば、そうでない箇所も・・・。                                        
こんな事考えるとほんとに壁がまた厚くなるので、それで細かい理由は多々あるが、ルターさんはまず、ヨハネ伝をじっくり読みなさいと言われたの。そこを読んで、しっかりイエスの言葉を読み取るならば、父なる神とか、御子イエスとか、聖霊とか(以上合わせて三位一体)、正餐(パンとブドウ液の儀式)とか、難しくは贖罪論(イエスが我々の罪の身代わり<これ、何のことか分からないだろうが、深く自分を見つめての解決を得たいと模索した人は分かるかも>兎に角、今のイエスを知らないままでは永遠の命を与えられないので、神がイエスを送ってくださった)とか、よみがえりである復活とか、又、再び来られるとか(再臨)、だからそれまで聖霊を送るから良く理解するように毎日、イエスがそのことの為に来たのだ活きて働いていると信じてアーメン(そのとおりですという意)で過ごしなさい(『雨の日でもハレルヤ!、晴れてもアーメン!』と思いなさいと) というような大切な事がイエスとの関わりに書かれているということが分かった。で、イエス曰く、聖書(旧約も新約も)は私のことが書かれているということもはっきり話されたことは、ブログの初めに書いた。以上のことをしっかり覚えておけば、怖くはないのだ。あとは、イエスが言われたとおり聖霊が教えてくれるだろう・・・ということになる。(人間は怠慢だから毎日、少しでも聖書の言葉をたしなむことよ)  おい、35節から51節までどうなったんだ! 次回。
※今日の写真は、「イエス・キリスト(上・下) 荒井 献著 講談社学術文庫」 特に(下)には福音書の記事の比較があります。 

世界のベストセラーを読む(34回目)

2016-06-23 21:15:12 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 聖書を自分の言葉で読もうと続けてきたが、イエス曰く「私の言葉は、霊であり命である」とエッセンスをずばりと言われると、我々はもう限界という感じで、これ以上理屈で極めようとされる方は、八木誠一先生の著作をどうぞと紹介させていただいた。しかし、理屈どうのこうの如何に関わらず、イエスの言葉を聞かれた方でびびっと反応されて(精神不安定になったという事ではなく)、洗礼を受けしっかり生涯信仰を持たれ、多いなる働きをなした方々もおられるから、やはりこの辺はイエスが言われたように聖霊の導きによるのでありましょうから、限界を超えないようにしたいものだと心したい。唯、基本は「自分の言葉で読む」こととしているので、イエスを知るという知識においては永遠の命に関わる事であるらしいから(ヨハネ伝第17章3節)、このようにいろいろ腐るほどある解説書や、言葉を整理され○○信条というような権威あるものに整理されても、基本はイエスの言葉とそれに呼応する(読む)自分の言葉であることをしっかり土台にすえて必ずそこへ戻ってくるようにしたいものです。 先に載せた八木誠一の文や、若松英輔の「イエス伝」の表紙の言葉に載せたようなことは、実際の皆さんの心情だと思うので、改めて伝道という意味からデリケートに考えて見なくてはいけないと考えているのである。例えば、改革長老教会の「我々はニカイヤ信条ををしっかりふまえて、その基に前進したい・・・」などと言われると、何故、そのようにイエスの言葉を人の言葉で整理したものに過ぎない言葉に信条などというフィルターを掛け、権威付けをし、そこへの参加を促すものとなっていくのであるかと考えてしまうのだ。それは、内輪の話で「まずはみなさん聖書を読みましょう」というのが基本の訴えとならないとおかしいのだと僕は思う。だから、若松英輔ではないがだれもが門の前で躊躇してしまうのであると思う。沢山の勉強されて留学などもされて、学位も採られ、沢山の高価な解説書を出されて、しかし、内容は100円で売られていた同じ聖書の言葉、イエスの言葉、霊の言葉、命の言葉についての話なのである。イエスの言葉は我々の目の前、身近なところに既にあり、活き、動き、働いているのだ。このことを必死になって広めて教えて欲しいと願うのである。・・・Ω

世界のベストセラーを読む(33回目)

2016-06-22 21:02:41 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 良く考えると昨日の回は、大変なイエスの言(ことば)をピックアップしてしまったなと思ってしまった。イエスは言う「私の話すことばは霊であり、命である」と。いのちのことば社というところから聖書(です、ます調の)も出されているが、まさにこの言葉から。この言葉に命をかけた人々がいたという歴史がこの国にもあったのだと思いを馳せる。僕の近所にもお寺があり、そこにカトリックのお墓があるが、昔(江戸時代)、韓国の人が殉教したお墓もあるとお掃除に来ていたシスターに教えられたことがある。
◆3月11日の一日前の朝だったか、東日本大震災から5年目、NHKのニュースで被災に遭われた宮古のことが放映されていた。宮古駅前からタクシーに一人の若い女性が乗って、○○までお願いしますと運転手にお願いしたのだそうだ。運転手がその場所は、震災で何もないですよと返答すると、その女性は、私は死んだんでしょうかと尋ねて消えたのだそうである。運転手は日記に書いてあり、そのような話は他の運転手も体験して書き留めているらしいのです。その日記もアップされていた。何も怖いことなどなかったと。僕は、それを見たときとても胸が痛くなった。私が死んだのかどうかなど、浮かばれない霊というか、そのような方が沢山おられるのだろうなと思い。ご覧になった方もおられたかと思う。キリストを信じた人は、「死んだ」と言わず「眠る」というのである。彼が再来するまで。
◆さて、ニコデモはイエスに叱られる(ヨハネ伝第3章)。新たに生まれなければ神の国を見ることは出来ないと教えられ、また、地上のことを話していることが分からないのに、天上の事を話しても分かるまいと。イエスの言葉は霊であり、命であるとのこの言。死んだラザロを生き返らせ、自らも復活された。それは、生きて、彼(イエス)を信ずるものは、誰も死ぬことがないとイエス御自身が語られたことは、その宮古のタクシー運転手が現実に自分の目で見て、そのように体験し、日記に書き留め、或いは今、このとき、我々の肉体と霊の関係は、まさにそのようなものではないのかと教えられ、考えさせられることは、イエスの言葉が分からないのではなくてわたしたちがそのこと、当たり前の生きていることと霊についてを何も知らないだけのことなのだろうと考えさせられた。復活をしたイエスが、朝飯を共に焼き魚をむしゃむしゃ食べたことが何も不思議なこととは思わなくなってきたのであった。・・・Ω