marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(34回目)

2016-06-23 21:15:12 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 聖書を自分の言葉で読もうと続けてきたが、イエス曰く「私の言葉は、霊であり命である」とエッセンスをずばりと言われると、我々はもう限界という感じで、これ以上理屈で極めようとされる方は、八木誠一先生の著作をどうぞと紹介させていただいた。しかし、理屈どうのこうの如何に関わらず、イエスの言葉を聞かれた方でびびっと反応されて(精神不安定になったという事ではなく)、洗礼を受けしっかり生涯信仰を持たれ、多いなる働きをなした方々もおられるから、やはりこの辺はイエスが言われたように聖霊の導きによるのでありましょうから、限界を超えないようにしたいものだと心したい。唯、基本は「自分の言葉で読む」こととしているので、イエスを知るという知識においては永遠の命に関わる事であるらしいから(ヨハネ伝第17章3節)、このようにいろいろ腐るほどある解説書や、言葉を整理され○○信条というような権威あるものに整理されても、基本はイエスの言葉とそれに呼応する(読む)自分の言葉であることをしっかり土台にすえて必ずそこへ戻ってくるようにしたいものです。 先に載せた八木誠一の文や、若松英輔の「イエス伝」の表紙の言葉に載せたようなことは、実際の皆さんの心情だと思うので、改めて伝道という意味からデリケートに考えて見なくてはいけないと考えているのである。例えば、改革長老教会の「我々はニカイヤ信条ををしっかりふまえて、その基に前進したい・・・」などと言われると、何故、そのようにイエスの言葉を人の言葉で整理したものに過ぎない言葉に信条などというフィルターを掛け、権威付けをし、そこへの参加を促すものとなっていくのであるかと考えてしまうのだ。それは、内輪の話で「まずはみなさん聖書を読みましょう」というのが基本の訴えとならないとおかしいのだと僕は思う。だから、若松英輔ではないがだれもが門の前で躊躇してしまうのであると思う。沢山の勉強されて留学などもされて、学位も採られ、沢山の高価な解説書を出されて、しかし、内容は100円で売られていた同じ聖書の言葉、イエスの言葉、霊の言葉、命の言葉についての話なのである。イエスの言葉は我々の目の前、身近なところに既にあり、活き、動き、働いているのだ。このことを必死になって広めて教えて欲しいと願うのである。・・・Ω

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