marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(33回目)

2016-06-22 21:02:41 | 日記
◆世界のベストセラー聖書を読む◆ 良く考えると昨日の回は、大変なイエスの言(ことば)をピックアップしてしまったなと思ってしまった。イエスは言う「私の話すことばは霊であり、命である」と。いのちのことば社というところから聖書(です、ます調の)も出されているが、まさにこの言葉から。この言葉に命をかけた人々がいたという歴史がこの国にもあったのだと思いを馳せる。僕の近所にもお寺があり、そこにカトリックのお墓があるが、昔(江戸時代)、韓国の人が殉教したお墓もあるとお掃除に来ていたシスターに教えられたことがある。
◆3月11日の一日前の朝だったか、東日本大震災から5年目、NHKのニュースで被災に遭われた宮古のことが放映されていた。宮古駅前からタクシーに一人の若い女性が乗って、○○までお願いしますと運転手にお願いしたのだそうだ。運転手がその場所は、震災で何もないですよと返答すると、その女性は、私は死んだんでしょうかと尋ねて消えたのだそうである。運転手は日記に書いてあり、そのような話は他の運転手も体験して書き留めているらしいのです。その日記もアップされていた。何も怖いことなどなかったと。僕は、それを見たときとても胸が痛くなった。私が死んだのかどうかなど、浮かばれない霊というか、そのような方が沢山おられるのだろうなと思い。ご覧になった方もおられたかと思う。キリストを信じた人は、「死んだ」と言わず「眠る」というのである。彼が再来するまで。
◆さて、ニコデモはイエスに叱られる(ヨハネ伝第3章)。新たに生まれなければ神の国を見ることは出来ないと教えられ、また、地上のことを話していることが分からないのに、天上の事を話しても分かるまいと。イエスの言葉は霊であり、命であるとのこの言。死んだラザロを生き返らせ、自らも復活された。それは、生きて、彼(イエス)を信ずるものは、誰も死ぬことがないとイエス御自身が語られたことは、その宮古のタクシー運転手が現実に自分の目で見て、そのように体験し、日記に書き留め、或いは今、このとき、我々の肉体と霊の関係は、まさにそのようなものではないのかと教えられ、考えさせられることは、イエスの言葉が分からないのではなくてわたしたちがそのこと、当たり前の生きていることと霊についてを何も知らないだけのことなのだろうと考えさせられた。復活をしたイエスが、朝飯を共に焼き魚をむしゃむしゃ食べたことが何も不思議なこととは思わなくなってきたのであった。・・・Ω

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