marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(6回目)

2016-05-27 22:05:59 | 日記
◆世界のベストセラー、聖書を自分の言葉で読む◆
さて、昨日は「分かると言うことについて」、まだ見たこともない、神や霊 (キリスト教ではイエス・キリストの天の父なる神と神の霊=聖霊であるということをきちんと定義しておかなくてはなりませんが)について、経験されても、先理解もないのだから分かると言うことは普通ありえない(理解し得なくても仕方がない)ことであるということを書きました。しかし、イエスは天の父なる神が選んだ人には、それが分かると言いました。それらしき彼(イエス)が、天の父なる神に祈りとして話していた箇所を見つけてみましょう。
          
 ヨハネ福音書15章16節「あなたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。・・・」とか 同 17章6節「わたしは、あなたが世から選んでわたしに賜った人々に、み名あらわしました。・・・」、同 9節「・・・この世のためにでなく、あなたがわたしに賜った者たちの為です・・・。」というようなところが当てはまるでしょうか。みなさんも自分の言葉でさがしてみてください。
 今日は文語体の聖書のお送りします。なかなか、格調高く、漢字の読みもなかなか深い意味合いを提示しております(日本聖書協会 引照附き)。今晩は、会社の送別会がありお酒も入っており少し眠くなったきました。  それでは・・・Ω





















































































































































































































































世界のベストセラーを読む(5回目)

2016-05-26 20:40:55 | 日記
 だらだらと、文字ばかりですと誰も読みゃーせんと考え少しアクセントをつけることにしましたよ。◆世界のベストセラー聖書を読む◆で、少しビジュアルになったかしら。さて、5回目なのにまだ序論のような話です。先に結論を書いてしましたからね。誰かれの話ではなく、イエスというお方自身の言葉として、「聖書(旧・新)」には、自分の事が書かれているのだと明言したこと。そして、自分は、天地の創造以前から天の父なる神とともに永遠のパラダイスにおられたこと、などの言葉をさがしました。他にもあるかと思われますので、どうぞ自分の言葉で、お読み下さりさがされることをお勧めします。解説書は、腐るほど(失礼)あります、(ピンからキリまで、本当になぜこの一冊の本の為にというくらい)・・・が、お約束は、「読む」ということですから、分かっても分からなくても、まず、自分の言葉で「聖書」(解説書ではなく)を読むことだと心して。分からんところでも、又は気にいったところなど線を引くなり、書き込むなりして全然、気にせずまずは汚してもいいので、自分の言葉で読め!そして、休んでもいいが、止めるなみんな(おいおい誰に言ってるんだ)。    
 さて、序論に書きましたが、ステパノが民衆(ユダヤ人)に話した内容が旧約聖書のメインのようなあらましだったので、それは使徒言行録7章ですが、日本の今の僕らは、何を言っているのかちんぷんかんぷんなのですね。しかし、当時の聞いているユダヤ人たちは、代々語り告げられて来たことなので、しかも畏れ多くも神様のことでしたので(2016年の今も当然、語り告げられてきたいろいろのしきたりは守られていますね)、逆鱗に触れるようなことをステパノは説教した訳です。それで、みんなに石を投げつけられて死んでしまうのです。(石打ちの刑罰というのがあった)この時イエスが、十字架で叫んだのと似たようなことをいう。「この罪を彼らに負わせないで下さい」こう言って、彼は眠りについた。同 7章60節。(キリスト教では死んでも生きるので眠りにつくと言います)。今日の僕は何を言いたいのかというと、言われたことが分かるということは、伝統や風習やさまざまの言い伝え、経験が既に自分にインプットされている(身についている)言葉が、言われたことと合致した時、理解が生じるということですよね。それでは、パラダイスの事や永遠の命、神の霊などど言われたときに、殆ど今まで聞いたこともない初めてのことでどうやって、僕たちに理解するということが生ずるんだろうかということなの。そう思うでしょう? でもイエスは、わたしが選んだ人には、それが分かると言っているんですよ・・・このように言っているイエスの言葉をさがしてみてください。今日も文字だらけなので写真つけます。写真は、例のハードカバー。では・・・Ω

お中元は贈りますよ。昨年はおいしいメロン!

2016-05-25 21:55:40 | 日記
 若い頃は、この風習のような物のやりとりにあまり関心がなかったのですが、昨年、結婚した息子の嫁さんのご実家にこちら地元で有名なおいしいメロンを次の日、付くように送りましたよ。向こうもご実家は田舎なのですが、果物は口に入るのが乏しいようでしたので喜ばれたと思っております。今年は何にしようかな。

世界のベストセラーを読む(4回目)

2016-05-25 20:12:06 | 日記
 さて、文字だらけだとやはり読む気も起きなくなりそうで、写真を今日はつけようと思います。非常にピュアー(純粋)な方は、不謹慎だと思われるかも知れませんが、今、参照しています世界のベストセラーと言ってこのブログに掲載の採用の聖書の記事は、数年前 BOOK・OFF の100円コナーから購入しましたものです。都会のホテルなどに泊まられたことがある方は、ホテルの部屋の机の中にもあったもの(ハードカバーのもの)をご記憶の方があるかも知れませんが、その縮小版です。気づきませんでしたが表紙を開くと、小さな文字で(この聖書は売ることはできません)と書いてありました。その理由は、目次の前に書いてあります。売った方はもらったものでしょうけれど、買うのはOKとしてお許し頂いて、この表紙の国際ギデオン協会より贈呈の「ギデオン」という名前は、旧約聖書の士師記の6章に出てくるイスラエルの勇者でした。そういえば、彼の言葉にもこれから書く、モーセのことが述べられているな。(つまり、いろいろ文字だらけのようで、読んでもすぐに分からない聖書とうのは、時代や書いた人が異なるにもかかわらず、底辺の水脈でつながっているのだなということが感じられてくるんだな)
    
 では、昨日の続きを・・・聖書には、新約は当然だけれど旧約から自分の事が書かれているのだ、とイエスはご自分で表明された言葉を見つけました。そこには、モーセという名前が出てきました。ヨハネ福音書5章46-47節、ルカ福音書で言えば24章27節など。奴隷状態のイスラエル人をエジプトから脱出させたとか、神から「十戒」を授かったのだとかというのは、耳にしたことがあるかも知れませんが、イスラエルの人々にとってはこれがモーセによって導かれて神様の言葉を民に戒めとして残した人であることが忘れられない、忘れてはいけない事件であった訳だ。2016年の今もですね、きっと!
 それでは、イエスはどういう方なのか(「まことの人」であり「神」でもあると言われているので「お方」と書いておきます)。モーセもイエスの生まれる遡ること少なくとも1700年以上も前の人ですね、更に古くアブラハムは創世記の冒頭に出てくる人ですね。で、イエスは、どこにいたのよと。
そのイエスの答えを見つけました。ヨハネ福音書9章58節「よくよくあなた方に言っておく。アブラハムの生まれる前からわたしは、いるのである。」又、ヨハネ福音書17章5節「父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせてください。」つまり、
世界が創造される前から、天のパラダイスで父なる神と、そのひとり子イエス・キリストは、永遠におられたということだな・・・。復活して天に帰られたから、今もおられる訳だ・・・。今日も長くなってしまって、ここまで読んでいただいてありがとうございました。

世界のベストセラーを読む(3回目)

2016-05-24 21:00:39 | 日記
 世界のベストセラーを読むと始めましたが、確かに「聖書」(キリスト教のであります)は、世界でもっとも売れている本なのでありましょうが、これは機械的に読むには読めるでしょうが、理解するとなると選択を間違えていたかなと思い始め・・・(おお、既に心の迷いが)
 でも、時間があと限られているし(あと30年は生きたいな・・・ガンバロウ!!)これを書いて、ふと思ったのが、まてよ聖書には「永遠に生きる」と書かれている箇所もあったなと・・・こう考えるとまた、元気が出てくるのでありました。(なんとげんきんな、大丈夫かいな) さて、始めよう。

 書店で販売されている聖書であるが、新約聖書はイエスのお話ということは分かるが、旧約聖書も、つまり一冊のあの厚い聖書には、イエス・キリストのことが書かれているのだと、御自身が言われているのだということは、昨日書いたことでした。それで、そのように言われている箇所を探すことにしました。とっつきにくい厚い聖書も、先に結論が分かっていれば、しかもひとりの人(神の子?)のことであると言われているのだから、気が楽のように思われてきました。さて、その辺はどこだろうかと探してみました。
 ルカによる福音書24章27節「こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり(ここでいう聖書は、今の旧約聖書になるな)、御自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。」(アンダーラインは、私のコメント)同じ章の44節には、詩編も追加されてるね。

 まあ、つまりいろいろドラマは、古い歴史の書には書いてあるが、私のことについて書かれているのだとイエスがお話されたということだな。

 他の福音書には、ないのかなと探すと、イエスが話されたそのまんまの言葉の書かれている箇所がありましたよ。ヨハネによる福音書5章39節「あなたがたは、聖書の中に永遠の命があると思って調べているが、この聖書は、わたしについてあかしをするものである。」(ここでも、聖書は新約ではなく当時のであるから、今のでは旧約のこと)他にもあるかも知れないので、探してみてください。 今日はここまで。