marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(808回) (その6)僕が大江健三郎という作家が好きな理由 

2021-02-21 08:27:39 | 小説

◆彼は自分の作品には引用が多いと述べている。「引用のオタク」であると。しかし、はじめ僕が読み始めた時、否、その本の題名から、これは聖書のあの言葉ではないか、などと思ったもので、しかも、そんまま引用して小説に用いている箇所もある。果たして、小説家としてこれは禁じ手ではないのか、と。しかし、宗教オタクの僕としては、彼の引用が殆ど海外の詩人、作家、思想家などからの引用なので、考えて見れば、その人達の殆どは、彼らの言葉を紡ぐその伝統、因習も含めて世界のベストセラー聖書に培われた言葉であると思われた訳で、僕個人としては実に嬉しいと思ったのだ。◆そこから、大江が何故、海外にも訳されて多く読まれている村上春樹と比較し、ノーベル文学賞など栄誉ある記録にのぼったのかと言えば、流行、時代背景も選奨に当然あるが、おおよそ推察ができるだろうというものだ。カズオ・イシグロやボブ・ディラン(僕は彼のCDを殆ど持っているが)などの賞をもらっても、それ以降の出版物の経済的効果はあっただろうが、その賞をもらった効果、つまり、その内容は後生に如何に影響を与えるのか、などという長々とした議論を殆ど聞かない。生理医学や物理化学など結果が、人類に多いに貢献していることに比較して。ところが、大江のハードカバー本の全集が、昨年新たに出されるなどということは、彼の小説での実験が、僕にとってはそのひっかりが、又、まだ多くのわだかまりを自問したいと願っている多くの読者の深層の欲求があるからなのだろう。◆僕が彼の作品にはイラつくが、彼という作家が好きなのはなぜか。それはその引用と必死こいた生き様がありありと目に映るように思うからだ。「他からの引用?!」こういう作法で彼が頑張っていれば、僕らは彼と同じようにそれぞれが、個々人の歴史を持って生きている訳だから、例え、それがどんな悲惨と思われる生き様であったとしても、その想像力を持って、そして生きて繋げて行けば、どんな人間も少なくとも退屈しないで生きていけるだろうとの希望を持ったからなのである。***2021年2月17日は今年の灰の水曜日、キリストの苦しまれたレントの季節に入った。今日は日曜、これから教会の礼拝に行こう。


世界のベストセラーを読む(807回) (その5)僕が大江健三郎の小説にイラつく理由

2021-02-21 06:45:29 | 小説

それは、僕の頭がボンクラだからであるというのが第一の原因なのだが。◆第一にどうして、カタカナを使うのか。もともと、彼の作品には、僕には行動を起こすその人の顔がなかなか見えてこないのだが、それが、名前にカタカナを使われると、もともと外来語がカタカタを使うと学んできた僕にとっては、どこかから宇宙人でも来たんかなとしっくりいかないところが多々あった。それとも思考の次元の異なる主人公であるからこのようにカタカナにしたのかなどと。読んでいてひっかかる。◆曹洞宗の住職が、ニルヴァーナという言葉には丸みがあるのに涅槃と書くと角ばっている。漢語の方はカタカナ言葉の方の翻訳であって同じことを指しているとしって面白く思った経験があった(p38)としてもである。村の神話、伝承の一揆をおこす「オコフク」はゴチックでひらがなでは駄目だったのか。それと、先の小林秀雄がコケにして2~3ページで読まないといったが、大江の気に入っている『同時代ゲーム』の冒頭。「妹の・・・きみの恥毛のカラー・スライド。メキシコ・シティのアパートの眼のまえの板張りにそれをピンでとめ、炎のような恥毛の力に励ましを求めながら。」う~む。朝がけにマスタベーションして頭を覚醒させるというような、小説もあったように思ったが、前頭葉をバリバリ働かせようとしていけば、急に肉感的な頭脳の生き物の創生としての間脳にどんと落とし込んでイメージを確認させようとするのか、(こんなちゃちな画像にやる気のイマージを喚起するのか・・・)そのギャップにまさに吐き気がする時があった。若くなけれな読めんな、なのであった。◆引用が多いことも・・・「わたしの作品に外国の詩人や作家、思想家からの引用が多いと批判されることがあるが、それはこういう単純な理由から生じた事態なのである。」と 『二章 ぢゃあ。よろしい、僕は地獄に行こう』(p41)にその理由が書かれている。ぼくにとっては、これは救いにもなった、いや、誰の救いにもなる彼の好きなところでもあるのだが。