marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(798回) 生きた神の信仰心をもつ不思議な国、日本

2021-02-06 11:56:45 | 思想・哲学

◆そもそも、この国で『日本の神学』などということが言えるものなのだろうかという疑問を持つ。神学というスタートがこの国から発生していないからだ。だからどうしても中途半端な歴史からちぐはぐな状態で考察せざるを得ない。神の言葉が、僕ら凡人でも読めるようになったありがたさというのは、宗教改革者M.ルターの誰でも当時読めるドイツ語に訳されてからだろう。そのルーツがしっかりしているからであるけれど、更に聖書に由来を尋ねれば、あの使徒パウロがマケドニアの国、哲学の国ギリシャに渡ったのが発端だったと思う。当時のギリシアは物事の鮮明さを、いいかどうかは別にして明確に言葉で探ろうとしていた風土(哲学)があったからである。ヘブライズムとヘレニズムの融合。◆パウロは、各地に教会を建て、これは第一には離散した同胞ユダヤ人に救い主の到来を伝えねばとの必死の思いからであった。その中には、異邦人、つまりユダヤ教、イスラエルの歴史など知らない人も多くいたわけだが、しかし、神の言葉、救い主の到来は彼らにも理解出来るようになっていたから、異邦人にも伝道せよとの啓示として彼は受け取ったのであった。彼ら先祖伝来の苦難の歴史、多くの同胞の世界への離散。その中にまさにキリスト教が世界宗教となるべく、神の布石(摂理)があったということになる。そのことを了知しない異邦人にも神の救いの言葉は開かれたと確信したからであった。(イエスはギリシャ人が自分を尋ね求めに来たとき以来、十字架に掛かることをあからさまに話すようになった。時は来た!と。)新約の手紙はパウロ神学と呼ばれるゆえんである。◆キリスト教は言葉の宗教と言われるが、しかし、この国は、東回りで長い長い歴史の中で移動してきたヘブライズムを根にもつ人々の集団もその雑念を持つ不完全な人の上に立ち導いて来た神が、今やこの東の島にも到達していた訳で、その根が日本中に行き渡り、古来からの神信仰となって僕らの深層の信仰心を形成してきたと思われるのである。だから、内村鑑三は旧約聖書の預言書を読んでも、神はこの日本の国にも目を留められ導かれていると霊的に感動したのだし、現代においては、哲学者、西田幾多郎に勧められカールバルトの元で学んだ滝沢克己が最後まで「インマヌエルの原事実」を唱えたのだし、更には神学者、八木誠一が「神道とキリスト教」をしきりに論文を出していたのを僕は決して不思議には思わないのである。