◆彼は自分の作品には引用が多いと述べている。「引用のオタク」であると。しかし、はじめ僕が読み始めた時、否、その本の題名から、これは聖書のあの言葉ではないか、などと思ったもので、しかも、そんまま引用して小説に用いている箇所もある。果たして、小説家としてこれは禁じ手ではないのか、と。しかし、宗教オタクの僕としては、彼の引用が殆ど海外の詩人、作家、思想家などからの引用なので、考えて見れば、その人達の殆どは、彼らの言葉を紡ぐその伝統、因習も含めて世界のベストセラー聖書に培われた言葉であると思われた訳で、僕個人としては実に嬉しいと思ったのだ。◆そこから、大江が何故、海外にも訳されて多く読まれている村上春樹と比較し、ノーベル文学賞など栄誉ある記録にのぼったのかと言えば、流行、時代背景も選奨に当然あるが、おおよそ推察ができるだろうというものだ。カズオ・イシグロやボブ・ディラン(僕は彼のCDを殆ど持っているが)などの賞をもらっても、それ以降の出版物の経済的効果はあっただろうが、その賞をもらった効果、つまり、その内容は後生に如何に影響を与えるのか、などという長々とした議論を殆ど聞かない。生理医学や物理化学など結果が、人類に多いに貢献していることに比較して。ところが、大江のハードカバー本の全集が、昨年新たに出されるなどということは、彼の小説での実験が、僕にとってはそのひっかりが、又、まだ多くのわだかまりを自問したいと願っている多くの読者の深層の欲求があるからなのだろう。◆僕が彼の作品にはイラつくが、彼という作家が好きなのはなぜか。それはその引用と必死こいた生き様がありありと目に映るように思うからだ。「他からの引用?!」こういう作法で彼が頑張っていれば、僕らは彼と同じようにそれぞれが、個々人の歴史を持って生きている訳だから、例え、それがどんな悲惨と思われる生き様であったとしても、その想像力を持って、そして生きて繋げて行けば、どんな人間も少なくとも退屈しないで生きていけるだろうとの希望を持ったからなのである。***2021年2月17日は今年の灰の水曜日、キリストの苦しまれたレントの季節に入った。今日は日曜、これから教会の礼拝に行こう。
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