◆「幻想」という言葉自体が、一般人には夢物語、現実ではないが、想像としての思いの収斂的思考方法のように思われるかもしれないな。これは僕が学生時代によく?読まれ話題になった本でもあったように思うけれど、彼が総括的に構造化しようとした「幻想」という言葉の用い方は実に難しいというか困難を生ずるように思われてきたのだ。だから、いまさらこの吉本の本が読まれるかとなると彼の「幻想」という言葉、つまり細々した思考の一つ上のまとめを構造的に大まかにジャンル化した場合にこのように区分されて思考されていくのではないかというのは、今では、もっと細分化されて詳しくその内容が理解されて来ているように思うし、実際、今は例えばその思考方法は、例えそうであっても人にとってどう有効な結果をもたらしうるかがしきりに問われているように思われるのだ。いずれはそれは思考の整理方法としては取り上げられるかもしれないが、詳細理解された内容が一つ上のそれは「○○の幻想」と区分されるのも、そもそもそれは「幻想」ではないだろうと受け取られるのではないかと思うのは僕だけではないだろう。
◆一応、吉本の考えではこうである。共同幻想(国家、宗教、法)、対幻想(家族、性関係)、自己幻想(芸術、文学分野一般)とする構造化。それは経済から独立した形で思考できるとする。各、分類内での混在も強弱ににより、個ー対ー共同性域でのいずれかに分類し内部検討し、止揚の糸口を掴むとする。むしろ僕は、この思考方法を人の成長する時間と周囲環境に即してあてはめてみると面白いのではないかと思われた次第である。誕生ー家族ー学校ー集団ー家族ー社会組織ー国家。幻想縦割り分類から。時間経過の横軸への人の成長に伴う幻想の拡張進展思考としてあてはめて考えるのである。最後に「解題」に鮎川信夫との対談があって面白かったので書いておく。
◆鮎川:君の場合はね、自分の言葉がすごく重荷になると思う、だんだんに。アラブの諺があるんだけれど、言葉っていうのは黙っているうちは自分んが言葉の主人だ、だけどいったん口に出しちゃうと言葉の方が自分の主人になるっていうのがる。君の場合は出す言葉がすごいからね。だから、強靭な神経を持っていても相当の重荷になってくるという気がする。・・・君の場合は西欧思想からの影響もあるかもしれないし、もともとサイエンティフィックな思考の思考トレーニング(吉本は東京工業大卒だったか)が普通の文学者に比べたらあるってこと、まぁいろんあ条件が重なってちょっと類の無い思想体系がでできたんじゃないかと思うんだけれどね。・・・おわり。