marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

(その4)吉本隆明 「共同幻想論」を読む ”遠野物語の山人譚”について(余談)

2020-08-04 16:00:00 | 日記

◆表題は「吉本~を読む」はいいけれどさっぱりその内容に入らない。が、柳田国男の「遠野物語」の話から示唆を多々受けた。古代天尊族から北進を受けて攻められ、北に逃げたのはいいが本州は、青森の津軽海峡で海になる。北に逃げようにも前がない。だから青森では「もう駄目だ~!」という方言が「まえね!(前が無い)」というのだそうだ。青森のどなたかに尋ねられるといいかも。

◆作家 高橋克彦もしきりに東北の地に光を当てようと多くの小説を世に出されて嬉しいのだが、北進に押し切られた東北の地はまだ、正当権を受けていないようにも思われる。僕も田舎や周辺の山々にも、無論都会にもあるが、何故「八幡」という地名が多いのか、八幡神社が多くあるのかこんな田舎にも、と昔から不思議だったがこれは渡来人秦氏が導入したものである。秦氏については、これもyoutubeでも多く見られるから嬉しいのだが、彼らがさまざまな技術を持っていたがどうも渡来人では後発であってからこそというか、大陸で盛んだったネストリウス派のキリスト者だったらしい(根は旧約聖書の民、だから受け入れた)。しかしキリスト以前の離散旧約の民、そして周辺の部族の多くは先に日本に渡って来たいた。それが、物部(もののべ)であろうと思われる。シンボルは龍である。だから、神社には龍が彫られている訳だ。

◆秦氏(はたし)と中国統一を果たした「秦(しん)→ここからシンが英語のチャイナになった」は漢字が同じなのでとても不思議に思っていた。秦の時代、焚書坑儒などで儒教の本を焼いたりどうも旧約聖書の時代の厳しい戒めを実行していって国家統一を行ったのではないだろうか。始皇帝も背が高く目の色もアジア人とは異なって・・・と、歴史書に出てくる政治を画策した大商人だった呂不葦(ロフイ)は、ユダヤ人のレビ(旧約聖書時代の祭司)だったろうとの説は先の田中英道先生である。旧約時代、東に離散した(無論、西にも)イスラエルの10部族の末裔がそれぞれの時代に国造りに関わったようなのである。そして大陸で実験を繰り返し、日本に来たというわけである。理想の国家造りを目指して。彼らは決して政治の表には出てこない(昔は名字も変えたらしいから)が、その秦氏は大きくこの日本の国家の形成に影響を与えたということなのである。・・・続く 


(その3)吉本隆明 「共同幻想論」を読む ”遠野物語の山人譚”について

2020-08-04 08:51:50 | 日記

(その2)からなのですが、途中、他のいろいろ本を読み初めてました、そんでかなりのブランク。僕が今まで勝手に考えてきたことの追加ネタ話のようで。結論からいうと、今はyoutubeでも見られて嬉しく思っているのだが、日本国史学会の田中英道先生の話や本(彼はユダヤ人も渡来人に居たと述べられている)。それに面白いと思ったのは吉川弘文館から出ている「帰化人と古代国家」(平野邦雄:著)だった。

◆吉本の民俗学の泰斗柳田国男の「遠野物語」のことが彼の本に採用されているが山人譚の話が多くと語っている。あらためてこういう記事があったのかと目を引いた。「嘉永(1800年代)の頃には釜石(岩手県の)のような遠野から海岸に出たところには西洋人が住み混血児が多かったとの老人の話。日本人妻に対して白子二人あり農業を営むが語音もことなり声細く・・・。」詰まるところこういうこと。僕はいままでブログの中に渡来人と書いてきたけど、融和して多くが混在して雑婚もあったのだから帰化人というのが正しいのだが、古代日本時は実に多くの帰化人が渡来していて(しかも優秀な)国家の土台というものを創りあげていたということ。これは、僕らの古代日本史では根にあたる部分ではあるけれど、国内的にも国際政治からみでもデリケートな問題でもあるから僕らには教えられて来ない理由でもあったということか。(右翼的からは間違っても歴史書には書かれない?)

◆記紀以前の古代から、この日本には多くの渡来人が帰化人となって住みついて、その技術から鉱山開発に東北の地まで足を伸ばしていたということなのである。鉄の釜を作れる石が採れるという場所から「釜石」となったのではあるまいか。内陸には「盛」という地名がある。まさにここは鉄鉱石が沢山(盛られて)採取できた地名であろう。(鉄鉱石が多く採れたことはNHKの”ブラたもり”でやってましたが)。そういう渡来人は無論、農作業ばかりより大陸からの技能があった集団だった。そして岩手のその開発に山に住み込むようになり「遠野物語」に多く出てくる山人譚になったのではないだろうか・・・そして、それは後から九州方面からの後から渡来してきた天孫族系の北進に対しても抵抗する者だったと思われるのだ。・・・続く