marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(629回) (その1)アルベール・カミュ(Albert Camus)作品の神学的意味

2020-02-24 10:21:34 | 日記

 ◆のブログ紹介のカミュの作品に周知のとおり「ペスト」という作品があって、新型コロナウイルスが騒がれるとこの作品を再読してきた。特にバヌルー神父の箇所を注目してね・・・。と、同時に「民衆の神 キリスト」実存論的神学 完全版 (野呂芳男 著:ぷねうま舎)を 時折、読んできたが、その「序章 現代の状況と福音の理解」の中にカミュのことが紹介されている箇所があったので紹介したい。  *******************************

 私は、「近代後」の精神をもっともよく表現した人物の一人は、アルベール・カミュであったと思う。・・・彼の思想は不条理への反抗がその根底をなしている。カミュの不条理は、合理性の彼岸にあるものであって、・・・「近代後」の状況を露呈している。人間が質問しない訳にはいかないようにしておきながら、しかも、その質問に応えない宇宙というような、人のおかれている状況がカミュにとって不条理なのである。人間は宇宙によって失望させられている。「死」によって表現されている人間の「生」の不完全。また、悪によって表現されているそのまとまりの無さ、ーーーーこれに対して、人間は心の底から反抗しない訳にはいかない。彼は死ななければならない存在であることを承認することを拒絶し、また、このように多くの悪に満ちた生存を彼に送らせる力に対し、服従することを拒絶する。これこそ、反抗者の「生」である。これは単に、彼ひとりの反抗に留まらないのであって彼をこのように反抗させる彼の中にある人間性は、他の人々の中にも発見される。他の人々の失望に対しても、我々は連帯意識において反抗しない訳にはいかなにのである。この反抗において、カミュは自分と他者とを連結する存在的基盤を見いだしている。

「私は反抗するーーーそれ故にわれわれは存在する」(I rebel, therefore, we exist.)。カミュは確かに、反キリスト的である。ところが、カミュのキリスト教の理解は、主にローマ・カトリシズムからきているもののようである。ローマ・カトリシズムの神観は、言うまでもなく中世的であって客観的。世界観的に神を認識しようとの努力である。神を世界観的に認識する以上、そのような神の支配する世界には、究極的には、不条理には存在しない筈である。ところが不条理は厳然と存在するのであるから、もし、神が、この世界の究極的な支配者として世界観的に存在するのであるから、もし、神が、この世界の究極的な支配者として考えられるならば、殺神(deicide)こそ人間の義務である、とカミュは主張する。・・・わたしは、カミュの世界観的なキリスト教へのこの反逆に賛成する。 ( p-24)  ・・・以降考察は続いてますがここまで。

 ****************  ・・・・続く