marcoの手帖

永遠の命への脱出と前進〔与えられた人生の宿題〕

世界のベストセラーを読む(620回) (その1)「万延元年のフットボール」という本を思い出した

2020-02-04 07:50:35 | 日記

◆カズオ・イシグロにしても、ボブディランについても、日本の川端康成は自死したから仕方がないとしても、その文学賞についてもっと彼らの受賞理由とか、無論それは選考者達の思惑はあるだろうけれど、その選択の共有化というか、そのような世界における前向きな内容につての有効性についてもっと議論がなされてもいいように思っているのだ。内容に与えられるのか、彼ら自身の書き表したという時間と努力への賞賛なのか、無論の先見性ということについてなのか、これについては受賞理由になるのだろうけれどね。文学などは、作者の生い立ちのすべてにも関わってくるのだから、一般に普遍化の議論は困難ということなのだろうけれど。

◆なぜこんなことを書くかと言えば、表現がとてもうまい川端康成は教科書にのるからその文章のうまさにあるということは理解されるが、この日本においてもそれほど受賞者らの作品は読まれているとはとうてい思えないからである。古本屋にもほとんど流通してないだろう、村上春樹と違って・・・。

◆ワンチームで盛り上がったフットボール。そういえばと、大江健三郎の「万延元年のフットボール」という本も、学生時代読んだが、実はほとんどあらすじに関しては記憶がない。妙に残っているのは、冒頭に出てくる穴の中でけったいな格好で穴の中で自死した友人の話。彼のふるさと四国の山の中への村への回帰。そして、物語の下地は幼少の頃、聞かされた村で起こった一揆のこと。それに暴力と性。

◆僕が彼を好んでいるのは、大脳皮質を刺激する文章であること。物語の内容はさほど僕はおもしろいと思わないけれど、文学としてはおもしい試行をしていると感じてきたから。したがって、僕はこの本を境に彼の本を読んではいないのである。僕なりに理解し、僕と同じような体験に原点を見たように感じたので、つまり、育った村のこと、その伝承として聞かされたこと、当時はやった実存主義(彼は仏文科だから当然かと思うが)当時流行の哲学者サルトルの影響を受けていること・・・学生運動の下火の時代。

◆僕はサルトルと論争したカミュの方が好きなのだが・・・彼の文章もそうだけれど、あまりに恣意的に言葉で、自らの肉体からの影響を言葉化しすぎて、僕からしてみれば、大げさに言えば神の領域に踏み込み過ぎていくようように思われたのである。・・・続く