9日は朝から熊本県南部へ吉田初三郎と前田虹映の軌跡を求める小
旅行である。前田虹映の長男・稀さんと一緒に、昭和初期から九州方
面の鳥瞰図作成時に仮画室としていた佐敷(芦北町)はじめ、水俣市
湯の児温泉、そして人吉温泉を訪ねる予定である。
昨日8日、訪問地のひとつ湯の児温泉・平野屋旅館に、初三郎絹本
原画が数点あることが判明。戦後の「全国温泉地画集 熊本篇」の1
作である「湯の児温泉(昭和22年当時は湯の子温泉)鳥瞰図」及び、
「水俣不知火の四季」と題された絵葉書の原画6点ほどがあるそうで
旅館の主人と電話で色々話しをし、急遽訪問地へ加えることとなった。
人吉温泉・鍋屋本館では、前田虹映作の「人吉温泉御案内」絹本原
画の画像を積極的にPRに活用してくれていて、オリジナルの焼酎ラ
ベルも同図が使用されているので、ぜひお土産に買いたい。俵山温泉
松屋さんといい、積極的に活用してくれるのは研究者として嬉しい限
りである。
PRといえば、俵山温泉と同様に、湯の児温泉でも随分以前から、
初三郎作のポスターを原画から復刻し、祭り等に活用している旨を聞
いた。平野屋さんのある水俣は徳富蘇峰・蘆花ゆかりの地でもあり、
初三郎が頻繁に同地を訪れる理由のひとつでもあろう。
時間があれば、水俣市のもう一カ所の温泉地、湯出湯の鶴温泉郷の
老舗旅館・四浦屋本店を訪れたい。初三郎の「佐敷日記」に同館に数
日宿泊し一帯を踏査取材した旨の記述があり、同旅館は当時の建物も
残ることから、何かしら資料や逸話が掘り起こせそうな匂いがする。
天草(牛深)を含む熊本南部から宮崎東南部、鹿児島北部にかけて
は初三郎や虹映の作品が絵葉書やポスターを含むと40点以上ある。
その多くは佐敷を拠点に描かれたものであろう。戦災に合っていない
地域であり、探せばまだまだ資料は発見できそうである。
今日の画像は前田虹映「人吉温泉御案内(昭和15年)」の部分
この絹本原画が人吉温泉・鍋屋本館に展示されている
旅行である。前田虹映の長男・稀さんと一緒に、昭和初期から九州方
面の鳥瞰図作成時に仮画室としていた佐敷(芦北町)はじめ、水俣市
湯の児温泉、そして人吉温泉を訪ねる予定である。
昨日8日、訪問地のひとつ湯の児温泉・平野屋旅館に、初三郎絹本
原画が数点あることが判明。戦後の「全国温泉地画集 熊本篇」の1
作である「湯の児温泉(昭和22年当時は湯の子温泉)鳥瞰図」及び、
「水俣不知火の四季」と題された絵葉書の原画6点ほどがあるそうで
旅館の主人と電話で色々話しをし、急遽訪問地へ加えることとなった。
人吉温泉・鍋屋本館では、前田虹映作の「人吉温泉御案内」絹本原
画の画像を積極的にPRに活用してくれていて、オリジナルの焼酎ラ
ベルも同図が使用されているので、ぜひお土産に買いたい。俵山温泉
松屋さんといい、積極的に活用してくれるのは研究者として嬉しい限
りである。
PRといえば、俵山温泉と同様に、湯の児温泉でも随分以前から、
初三郎作のポスターを原画から復刻し、祭り等に活用している旨を聞
いた。平野屋さんのある水俣は徳富蘇峰・蘆花ゆかりの地でもあり、
初三郎が頻繁に同地を訪れる理由のひとつでもあろう。
時間があれば、水俣市のもう一カ所の温泉地、湯出湯の鶴温泉郷の
老舗旅館・四浦屋本店を訪れたい。初三郎の「佐敷日記」に同館に数
日宿泊し一帯を踏査取材した旨の記述があり、同旅館は当時の建物も
残ることから、何かしら資料や逸話が掘り起こせそうな匂いがする。
天草(牛深)を含む熊本南部から宮崎東南部、鹿児島北部にかけて
は初三郎や虹映の作品が絵葉書やポスターを含むと40点以上ある。
その多くは佐敷を拠点に描かれたものであろう。戦災に合っていない
地域であり、探せばまだまだ資料は発見できそうである。
今日の画像は前田虹映「人吉温泉御案内(昭和15年)」の部分
この絹本原画が人吉温泉・鍋屋本館に展示されている
湯の町エレジーhttp://blogs.yahoo.co.jp/touji1126に水俣の温泉街の事を書いてます。
もし良かったら、ブログ内の書庫「旅日記募集中(^O^)」にて情報も募集してますのでコメント頂ければ幸いです。