マリーン日記

絵画制作を中心の私の毎日を紹介します。

マリーン日記ー上野動物園と神戸&姫路への旅行

2018-05-30 17:16:05 | 旅行
仲間と江の島スケッチは、のんびりと岩山と海を見ながら・・・。
                
             
夕方になって、日の入りと富士山のシルエットが美しかったこと。
こんな日には、めったにお目にかかれませんね。ラッキー。

パンダのシャンシャンが大きくならないうちにと、娘家族と上野動物園に出かけました。
券を買って、中に入ってから整理券をもらって、約1時間、他の動物を見てからのシャンシャン見物でした。
           
シャンシャンは、台の上の寝そべって、あまりいいショットはとれなくて~。
5秒とか言われて、どんどん流れていきました。
でもほかの動物が、結構いい。
            
            
ハシビロコウは、まるで、彫像みたい。本当に生きているの?
孫は、象やキリンが好きみたいでした。
            
バオバブの木は、本物なのかなあ?

動物園見学の疲れの残った中の、神戸行きでした。
夫は、神戸の小磯良平記念美術館に行きたいと常々言っていたので、まずは六甲ライナーに乗って~
アイランド北口駅で降りるとすぐそこに。
           
ちょうど、兵庫県立美術館でも、「小磯良平と吉原治良展」をやっていて、
こちらの方が、小磯の作品が多かったです。
何か資料が買えるかと思っていた夫が、自分の方が資料がいっぱいあると言っていました。
こちらも見れてよかったね。
美術館の横は、海です。ちょっと潮風にあたって~.

2日目は、もう一人の娘たちと、新神戸駅の裏の布引の滝を見てから、有馬温泉へ。
山道は、整備されていて、15分も登ると、まず第一の滝が見えました。
            
そしてさらに上ると、もっと大きな滝が現れ、マイナスイオンを吸って、森林浴をして、
有馬温泉に向かいました。

蕎麦屋を探して、うろうろして、昼食後は、温泉寺や、温泉神社、念仏寺を廻って、林渓寺まで登って、
炭酸泉などの間欠泉を見ながら降りてきました。
           
            
足湯に使って、少し疲れをとって神戸に戻って、おいしい夕食。

3日目は、阪神の姫路・三宮のワンデイチケットを買って、まずは、姫路城です。
改修されて、白鷺城ともいわれるこの城は、多くの外国人がやってきています。
             
まず西の丸から見ていきました。
千姫が、ここの百閒廊下から、男山を眺めていたと言われているそうな。
千姫は、将軍徳川秀忠の娘で、秀吉の息子秀頼に嫁ぎ、大坂夏の陣の時、燃え盛る炎の中から助け出され、
本田忠刻と20歳の時、再婚。
1男1女をもうけるが、息子を3歳で亡くし、夫も、31歳で病に倒れて、この城には、10年暮らしたそうです。

そんな千姫の事を思いながら、天守閣のぼりをしたのですが、これも、山登りに行ったみたいで、結構疲れました。

次は、舞子公園です。明石大橋や、孫文記念館をみて、素晴らしい景色をたっぷり観賞しました。
            

須磨浦公園駅に降りて、ロープウェイに乗って展望台からの景色を見ようと思ったのですが、今日は、休み。
計画変更して、須磨寺駅に行きました。
思ったより駅から歩くとすぐで、この寺は、源平ゆかりのお寺で、建物は、改築して新しいものもありましたが、歴史を感じることができました。
           
            
三重塔や、義経腰掛の木もあったりしました。

神戸三宮、そして、新大阪から新幹線で、戻ってきました。
疲れたけど、娘にあったり、天気にも恵まれて、よい旅でした。
      

   


      




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マリーン日記ーウズベキスタン旅行は、素朴な良さが・・・続き

2018-05-18 18:58:31 | 旅行
ウズベキスタン旅行、5日目は、バスに乗って、4時間シャフリサブスを目指します。
しばらくは、砂漠で、低いブッシュが生えているのみ。
変化のないまっすぐな道を走ってシャフリサブス近くに来ると、緑が増えてきていえもたって、家も立っていました。
農家の定住を促すため、政府が建ててあげているそうな。

シャフリサブスは、ティムールの生まれ故郷として有名で、15Cにできたそうです。
ドルティロヴァウト建築群の庭も、花がきれいに植えられていました。

              
             
これらは、「瞑想の家」とよばれ、ティムールの孫、ウルグベクが建てたコク・グンバス・モスクに向き合い並ぶのは、2つの廟。
地下室には、お墓があるが、ティムールのお墓は、サマルカンドにある。
             
             
ここを訪れる人々は、みんな民族衣装と、スカーフをしています。
結婚式の撮影も行われていましたが、今は、ウェディングドレスいうことです。

子供が生まれると、ポプラの木を植えるということで、ポプラ並木が結構見られました。
それで、大人になったら、家を建てるそうで、木を大切にしているんですね。

アク・サライ宮殿跡は、ティムールにより建てられた夏の宮殿跡。2つのアーチの巨大なこと。屋上には、プールもあったとか。
              

ティムールの銅像も大きくて、しっかり整備された、公園になっていて、遊園地もありました。木の上には、コウノトリの像が…。
              

またバスに乗って、1800mのザラセン山脈を廻って、次は、サマルカンドです。
ここの見どころは、レギスタン広場。夜景がきれいでした。
              
ホテルの庭も今は、花盛りです。

ビビハニム・モスクは、中央アジア最大のモスクで、ティムールが、チンギスハンの娘と結婚して妻のために建て、死後3年後に完成した。
               
        書見台には、コーランが置かれたそうです。
いろんなタイルが売られていて、近くにバザールがあり、にぎわっていました。
              

雨が降って、合間を縫って移動すると、グリ・エミル廟(タジク語で、支配者の墓)に着きました。
ティムールと息子や孫が眠り、内部も金を使っていて、豪華です。
            
             

ドーム屋根もミナレットの造形も、今までのと違って、文様も見事。
             

また、レギスタン広場で、ウルグベク神学校とシェルドル神学校、 ティラカリ神学校が三方に建っている。
ウルグベクさんは、ティムール朝の第4君主で、天文学者のため、青い星のモチーフのタイルやモザイクがあった。
                  
            
 
シャーヒズィンダ廟群は、アフラシャブの丘の南にあり、階段を上るとエリートの墓が、道沿いに並んでいる。
            
最後の日は、タシケントまで、列車です。

タシケントは、ウズベキスタンの首都で、人口250万人の中央アジア最大の近代的都市です。
まずは、日本人墓地でお参り。ソ連の捕虜となった79名の日本人が眠っています。
祖父の代から墓守をしてくれているイスラム教徒の家族がいます。ありがたいですね。
日本人の捕虜が、タシケントの抑留されて強制労働によって、建てたナヴォイ劇場が、1966年の地震で、びくともしなかったことで、
多くの命が助かったそうだ。
             

ロシア外交官の家が、工芸館になり、木彫や、刺繍、陶器などを見て、庭では、クジャクの羽を大きく広げた様子も見れました。
             
             
       
日本庭園散策も、緑の中、花や、コウノトリも見てよかったです。タシケントでも1つモスクを見ました。 
              
                      

バザールにもちょっと寄ったのですが、もう私は、現地通貨のスムがもうないので買えません。

食事は、前菜のサラダ、スープ、メインは、牛肉、鶏肉、羊肉のどれかで、魚は出ませんでした。
デザートも、アップルパイとか、アイスクリームとかで、最後の昼食のプロフ(ピラフ)が、脂っこかったけど、おいしかったです。
                   
毎食お茶が出て、お腹をこわさないで行ってこれてよかった。

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マリーン日記ーウズベキスタン旅行は、素朴な良さがありました。

2018-05-17 18:17:06 | 旅行
関東は、寒いくらいの気候なのに、飛行機に乗って、着いたウズベキスタンは、夏のような暑さでした。
でも、緯度的には、ウズベキスタンと、日本は、同じぐらいなので、春と秋は、過ごしやすいです。
大陸性の気候のため、夏は、暑く、冬は、寒くなるそうです。

飛行機をタシケントで乗り継いで、ヒバァまで来て、城壁の中のホテルに泊まりました。
    空から見る天山山脈は、雪をかぶって高そうできれいです。    

1日目は、カラカルパキスタン自治共和国へ。
トプラクカラには、砂漠の中を歩いていくんだけど、砂に足をとられて、歩きにくかった。
                
              
紀元前1世紀か5世紀の遺跡だそうで、日干し煉瓦の城壁に囲まれ、城内の3分の2は、市民の住居地だったとか。
近くに、ユルタという天幕式住居があって、そこで、昼食を。
             
燕が入ってきましたが、中は、涼しくて、快適でした。
ウズベキスタンのどこに行っても、ナンというパンが出てきて、ヒバやブハラでは、薄く、サマルカンドやタシケントでは、厚く、結構おいしいけど、食べすぎには、注意ということでした。何しろ、この国は、スープも、サラダも、ピラフも、油を使っているので、日本人には、重たいということでした。
特に、綿実油が、カロリーも高く、重たいので、量は、控えめにね。

同じような、日干し煉瓦の遺跡群アヤズカラは、古代ホレムズ王国の都城で、上では、ラクダが放牧されていて、避難所としてつくられ、周りには、通路の跡も。
            

夜は、ヒバァに戻り、夕景観賞。
            

3日目は、ヒバァ観光。ウルゲンチ市から30kmのアムダリヤ川下流のオアシス。
古代ペルシャ時代から、カラクム砂漠への出入り口として繁栄したところで、城壁の中には、20のモスクとメドレセ、、6基のミナレットがあって、いろんなお店が並んでいます。
               
                
マジョリカタイルのきれいな、建物群や、モザイクタイルでできているところとあって、クフナ・アルクという17Cに造られたハーンの古い宮殿には、柱があって、奥が応接間だったり、裁判所だったりする。 
写真下は、新しい宮殿のタシュ・ハウリ宮殿。右写真は、ゾロアスター教のシンボルが、壁にデザインされている。

工芸品も盛んに作られ、刺繍、絨毯、毛皮、木工細工、焼き物などの製品が並んでいた。
             
             

私たちは、一番大きなミナレットに上ることにしたのですが、いちだんが30cmの高さがあって、狭いうえに、真っ暗で、でも懸命に45mをのぼりきりました。
             
ジュマ・モスクは、多柱式建築で、10世紀に建ち、18世紀末現在の形になった。
柱の並ぶ姿がすごいです。
虫よけのために、羊の毛を下に敷いているんだとか。
 
夕方、ヒバァからブハラまで、飛行機に乗って移動。
1時間で移動ができました。

3日目は、ミナレットのぼりのせいで、筋肉痛です。
ブハラは、僧院を意味し、シルクの町。あちこちに桑の木が植えてあって、実もなっています。
シルクロードの、大切な十字路として、500年以上の歴史ある街です。
             
               
イスマイール・サーマニ廟から、アルク城を外から見て、カラーン・ミナレット、、カラーン・モスク、ミル・アラブ・メドレセへ。
タイルは、相変わらず素敵でしたが、区別がつかなくなってきました。

近くのタキ・ザルガロンというバザールで、買い物です。個々の名産のコウノトリ型はさみ屋さんもありました。
                  
カラーンは、大きいという意味。大きなミナレット、モスクには、次々と、信者がやってくる。
日本人はもてて、一緒に写真を撮ってくれとか言われました。
                 
           
神学校も多くて、ウズベク・メドレセ、アブドゥールアジス・メドレセを見て、ラビハウズの池の近くには、ラクダや、ホジさんの像がありました。
             
      
ナディール・ディンべギ・メドレセの、正面のタイル絵は太陽や、白い鹿をつかんだ鳳凰がえがかれてすてきです。
夜は、食事をしながら、舞踊と、ファッションショーです。
                  
      
続きをお楽しみに。    
       


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マリーン日記ーゴールデンウィークは、流山本町江戸回廊へ

2018-05-06 18:56:15 | 日記
この季節になると、あちこちで展覧会が開催されて、お出掛けついでに寄っていくこともしばしば。
まずは、近代美術協会の仲間の個展です。
              
書と絵が展示されていましたが、書は、すでに絵画化していました。

風邪気味だったのが、だいぶ良いので、友人と国立新美術館に春陽会展を見に行ってきました。
            
元同僚の方の絵も飾られていて、結構たくさんの絵を見て、ちょっとお疲れ気味。
ミッドタウンでお食事してから、後方の公園で一休みです。
            
もう、ゴールデンウィークに突入していて、人が大勢出ていました。
新緑の中、つつじが咲いていて風も心地良いです。

また、別の日、上野の森美術館展を見ながら、柏に出かけました。
知人が、3人入選していました。
全体に、色の落ち着いた、地味な感じの絵が多かったです。
日本画が多かったような気がしましたね。

それに比べ、国画会は、いろんな絵があって楽しめました。
どうして、上野の森美術大賞展は、あんなに監視の人がいて、写真も撮らしてくれないんだろう?
             
              
こちらは、みんな、国画会展の絵。気に入った絵は、写真に収めてきました。
大きな黒っぽい絵は、知人の絵。
先日、友人たちと、流山本町江戸回廊の、散策の後、森美術館によって、国画会展の招待はがきをゲットしたんです。
流山の古い通りには、あかり館や蔵造の呉服屋、万華鏡ギャラリーが並んでいました。
                          
       
切り絵の行灯も、街の雰囲気を増しています。
この街道には、浅間神社や、近藤勇陣屋跡、庚申塔、一茶双樹記念館、光明院、赤城神社などもあって、結構歩きました。
町中ミュージアムとある場所は、みりん発祥の地としての、昔の様子が描かれた絵を壁面に飾っていました。
            
小林一茶の俳句も、端午の節句にちなんだつるし飾りも、堪能しました。
友人たちは、つるし飾りの教室に行って、作り方を勉強しようかなと言っていました。
畳屋さんの前に立ってみていると、店の人が戸を開けてくれて、多種の畳のヘリ布があって、バッグも作れると言われて、
じっくり見てしまいました。
畑中に新しくできた森美術館では、畠山孝一展、をやっていて、ゆず饅頭と紅茶も出て、庭を見ながら、一休みです。
       
畠山氏は、岩手の、陸前高田氏に生まれ、岩の絵を描き続けているそうで、大きくて迫力がありました。

夫は、5月11日から18日まで新洋画会展で、必死に仕上げ、審査も終わりほっとしているところです。
ハワイアンの絵を2点出していますが、前回よりさらに向上したような~。
夫の個展のはがきも、もうあと少しで出来上がる予定です。

私も、展覧会で多くの絵を見て、色や構成を考え中です。
今取り組んでいる絵は、162cmX162cmの大きな絵です。



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