雨、24度、100%
香港島の北を走る地下鉄の東の方に,太古という駅があります。観光でみえる人は、ほとんどトンローワンまでしか行きませんので,時には観光地図にも載っていないところです。この太古の駅で地下鉄を降りると、南側の山手にはイオン,北側の海向きにはアピタがあります。海向きには太古城というマンション群、山向きにはコーンヒルというこれまたマンション群が建っています。2つの日系のスーパーがあるこの地域は,一時は一番日本人が多く住んでいました。日本人が多く住む地域も,時とともに変わって行きます。それでも,便利の良さからこの太古,今でも日本人がたくさん住んでいます。日系の幼稚園までありますから,若いお母さんが昼過ぎに子供の手を取って、買い物をしている姿を目にします。
昨年辞めた私の家庭教師の仕事は,この香港島ではなく海の向こう九龍サイドから初まりました。一日3軒ほどの家を廻ります。仕事を初めて3年目の頃でしたか、香港島の方から仕事の依頼がありました。お受けしたのはいいものの,教えに行く家から家への移動が大変でした。私の住んでいるのは香港島です。九龍サイドから仕事を始めます。香港島の次の家に行くために,夕方の人の渦のようなモンコクの街を地下鉄の駅へと急ぎます。若かったので,あの時期を乗り越えたと思っています。そのうち,仕事場は全部香港島になりました。
一番教えた子供が多かったのが太古城です。 30階近いマンションが、はて?何棟建っているでしょう。海際に建ち、海の向こうは,昔の啓徳空港で,飛行機の煩雑な離着陸が見えていました。
一歩太古城を出ると,その西も東も香港のローカルの街でした。太古城が開発された時は,香港の普通の街にニュッと出来た近代都市のようではなかったでしょうか。今では,西には オフィスビル群が建ち,太古の地下鉄の隣の駅を,多くの外人を含む勤め人が朝夕利用しています。太古城の海際は埋立てられて,公園に変わりました。その公園が東の方まで伸びて,やはり埋立てた土地に新しいマンション群が出来ています。
太古城に住んでいた方が一番驚かれるのは,きっとあの好運市場が無くなってしまったことだと思います。駅のすぐ横にあった好運市場は、シャレたホテルになりました。 左手前で建物です。香港はホテルが次々に建てられています。それでも,まだ足りないそうです。きれいな生きたエビが売られていた好運市場は,跡形もありません。
今でも,日系のスーパーに行くために太古にはよく行きます。変わって行く街ですが,変わらないものがあります。街の匂いです。朝晩仕事に通ったこの街は,私の住む街と違う匂いがしました。今も,車から降りるとそのにおいを胸いっぱい吸い込みます。
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