雨、7度、60%
私の庭仕事、お花を植えたたり木の剪定をするばかりではありません。半ば土木仕事です。家の瓦の痛みがひどく古い瓦を外しました。その瓦を取ってあったものを飛び石がわりに土に埋めてもらいました。瓦を縦に埋めるのです。やってもらったはいいが、掘り出した土はそのまま。塀の上にフェンスを立てました。塀に絡んでいた蔦は抜いたまま山のよう。よくよく見ると屋根瓦を外した時の残骸までが土に埋まっているという有様です。工務店の方達の後始末の悪さに驚きます。誰もいない家の改築、造作をお願いするとこんなものでしょうか。
シャベルと大きなごみ袋を持って土慣らしをしています。枯葉が溜まっているのは仕方ありません。それも細かいところは手で掻き出します。そんな折、座敷の縁側の「沓脱ぎの石」に目がいきました。座敷はL字型の回縁でした。つまり2面に窓がありました。その北側の一面を改築の時、壁に変えました。ちょうど窓の中央に「沓脱ぎの石」はあります。つまり、2つあります。その正面の方の石がやたらに白っぽく見えます。なんだか死んだように見えました。小さい時に目にしていたこの石はやや青みがかった石でした。無機質の石です。死んだりするはずがありません。そう思って、蹲の石を見ます。こちらも石の表面はカサカサに見えます。庭を一回り、大きな石達を見て回りました。
これが正面の「沓脱ぎの石」です。 今は閉めてしまった方の「沓脱ぎの石」です。主な石はこの2つの他に、蹲の石と玄関脇の石です。表の屏を全て無くして背の低い小塀を玄関脇にこさえました。 その小屏のおかげで陰になってしまった大きな石です。昔の庭には家を取り巻く四面に飛び石がありました。その飛び石はすべて取り除かれています。石達が元気なく見えることに胸が痛くなった途端、昔の飛び石までもが蘇りました。不揃いな石の表面ですが、ポンポンと飛んで足元の水を避けてくれました。
石が元気ないと思うや、デッキブラシとバケツに水を入れて磨きました。毎日毎日磨きました。写真は磨いた後の様子です。少し見られるような石の表面になりました。小さい頃、父母はどこそかの石がいいなどと話していました。子供の私は、石などに興味はありません。60歳を前にして、石に目覚めます。我が家の庭の石を愛おしく感じます。初めて、この家を好きなんだと気づきます。
飛び石にしていた石達も庭のひと隅に積み上げてあります。 それでももう5年、蔦が絡まってどれもこれも惨めな姿です。地面に跪いて、その蔦を剥がしていきました。 梅の木の根元に置かれているこの石、蔦を取ったばかりです。いい形の石です。そういえば、東京に住んでいた頃の家にも飛び石がありました。大家さんが住む母屋と私たちが住む離れの間、門に通じるところには飛び石がありました。石だと思って踏んだら大きな土ガエルだったこともありました。家の飛び石は、がれきのコンクリートの塊などと一緒に放置されています。これを選り分けながら、どこの飛び石だったかと思い出します。不思議に石などに興味がなかったのに、あの辺の飛び石だと記憶が蘇ります。
たくさんの石、一人では動かせないほどの大きな石もあります。蹲の石の位置を変えるのにクレーン車が入ったそうです。今風の庭では石など見向きもされないのでしょう。ホームセンターでも、売っている石物は小さな灯篭ぐらいです。玄関脇の石も蹲の石もこの家のために切り出されたと聞いた記憶があります。
石を洗う、石を守る。この石達に今一度命を吹き込んでやりたい。そういう思いで、今日も跪き石と向き合います。
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