曇、6度、80%
小さい頃から母に私は「横着」だとか「粗雑」な人間だと言われました。いつも言われるので意味も考えずに「うるさいなあ。」「また言ってる。」と思い続けていました。それがこの数年、確かに私は「粗雑」で「横着」だと思うようになりました。何かをした行為で「横着」「粗雑」というのではなく性格の中にあるものです。母が言うくらいですから、他人もそういう私が見えていたと思います。でも他人事ですから口にはしません。65歳になろうという今も変わらない自分を恥ずかしく思います。もっと早くに母の言葉を受け止めていたら、違った自分があったはずです。そう思うと、無駄にしたものがたくさんあっただろうと悔やまれます。
先日、私をよく知る友人と話をしていて、「真奈さん、お母様への気持ちに変化があったわね。」と言われました。母が逝って十年が経とうとしています。その間、長年住んだ香港から父母が残してくれたこの家に戻ってきました。母はこの家で父が亡き後40年近く一人で暮らし、最期を老人施設で迎えました。母がこの家で過ごした40年の四季を私も辿っています。働くわけでもなく、家の掃除や家事をするでもなく母は一体何をして過ごしていたのか?立ち働く母の姿が記憶にありません。友人の言うように母への気持ちは幾分緩みました。まず、家を遺してくれたことへの感謝です。もう一つは老人施設に入れてしまったことへの申し訳なさです。毎朝、父母に感謝の気持ちで手を合わせます。母が最後を過ごした施設のある南の山を眺めると、「ごめんね」と心が呟きます。ところが依然、母を好きではありません。感謝、申し訳ないと毎日思いつつ好きではないと自覚します。もし母に似た方がいたら、私はお近付きにならないように避けると思います。
「横着」「粗雑」、娘は60歳を過ぎてから母の言葉に自分を省みています。省みながらその言葉を言った時の母の顔が蘇ります。いかにも汚いものを見るような目付きでした。言ってくれた言葉をありがたく感じながらも、母を好きになれない私がいます。
毎日丁寧に過ごされていているし、ご自宅もきちんと整えられていて、ごちゃごちゃした我が家が恥ずかしいといつも感じています。
感謝の気持ちや申し訳なさと、嫌悪感は全く別物で人の心の中でいつも共存してる気がします。
感謝や済まない気持ちと好き嫌いは同一線上にはないよね。どうしても好きとは言えないの、母のこと😅